トッド・クロウのピアノソナタ集(ハイドン)

素晴らしいマイナー盤を発掘しました!

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トッド・クロウ(Todd Crow)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:50、XVI:29、XVI:38、XVI:20)、ピアノ三重奏曲Hob.XV:22のアダージョのピアノ編曲版の合わせて5曲を収めたCD。収録時期は記載されていませんが、解説などの内容から2002年頃の収録と思われ、ニューヨークのマンハッタンの約100キロ北にあるポキプシー(Poughkeepsie)にあるヴァッサー大学(Vasser College)のスキナー・ホール(Skinner Hall)でのセッション録音。レーベルは米MUSICIANS SHOWCASE RECORDINGS。

最近オークションで仕入れたアルバムですが、いつものようにちょっとジャケットに霊気を感じたアルバム(笑) うっすらと微笑むピアニストの姿にピピっと来た次第。なんとなくこの手のアルバムに名演奏が多いという経験則があり、意外に当たるんですね。

奏者のトッド・クロウはもちろん初めて聴く人。欧米では評価されている人のようで、ニューヨークタイムスは「英勇的で無限の才能、音色、スタミナを感じさせるピアニスト」、英タイムス紙は「背筋が凍るほど爽快」、ウォールストリートジャーナル紙は「驚くほどの制御能力と素晴らしい音楽の構築力」と各紙絶賛。1945年、カリフォルニアのサンタ・バーバラ生まれで、カリフォルニア大学、ジュリアード音楽院などで学び、十代から頭角を現し、以後ピアニストとして様々な音楽祭やオケなどとの共演を含めて活動するとともに、現在はこのアルバムの録音会場となったニューヨーク州のヴァッサー大学で教職についています。アルバムも多数リリースされていますが、ハイドンの録音はこのアルバムのみのようです。ただし、有名曲を集めただけという選曲ではなく、ハイドン通を唸らせる見事な選曲ゆえ、ハイドンについてはかなり研究していることを窺わせます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
自然な響きのホールでステージからちょっと離れた席で演奏を楽しむような録音。先に紹介した各紙の評価からは豪腕ピアニストのような印象もなくはないのですが、このハイドンは落ち着きながらも、音楽の起伏をしっかりと描く、まさにくっきりと構築感を感じさせる演奏。フレーズがイキイキと弾みながらも、程よくバランスを保ちながら淡々と音楽を進めてゆく名演奏。4月のHaydn Disc of the monthに取り上げたマクダーモットが研ぎ澄まされた美しさで聴かせたのに対し、クロウはそこにも頼らず力感の変化やフレーズのクッキリ感で聴かせる男らしい(笑)演奏。さらりと自然ながら雄弁な語り口は聴いているうちになるほどと唸らされます。アダージョに入るとさらに語り口は訥々と神妙になり、まさにハイドン自身が語りかけるように聴こえます。一音一音のタッチはデリケートさを極め、表面的な美しさとは真逆のじわりとくる音楽。そしてフィナーレも優しい風が吹き抜けるような入りからしっかりと展開させて見事な結びを描きます。雰囲気ではなく音楽の面白さで描き切る見事な演奏でした。

Hob.XVI:29 Piano Sonata No.44 [F] (1774)
リヒテルの演奏が刷り込みの曲ですが、力感のみならず、軽やかに弾む入りが秀逸。音楽が活きてます。ごく自然ながらくっきりと曲想の面白さを浮かび上がらせて活きます。この曲でも語り口の面白さに惹きつけられます。軽妙洒脱なだけでなく、しっかりとした構築感が背後にあることを感じさせ、テクニックではなく音楽性が聴かせどころ。この曲でもアダージョは音楽の大きさを見せつけ、詩的でかつ叙事的な音楽。ハイドンのアダージョがこれほどまでに雄弁な音楽だったとは。トッド・クロウ、只者ではありませんね。フィナーレはもう身を任せるだけ。楽器の存在が消え、自らの言葉で音楽を紡いでいくよう。心地よいどっぷりと音楽に浸ります。

Hob.XVI:38 Piano Sonata No.51 [E flat] (before 1780)
もはやトッド・クロウの演奏に身をさらすだけ。さらりと雄弁なのは変わらず、次々と演奏する曲の面白さを純粋に楽しむことができます。ハイドンの曲に仕込まれた構成の妙、機知、変化の面白さをこれほど見事に語る演奏はありません。この曲では短調から入って徐々に明るさが射してくるアダージョのニュアンスのなだらかな変化が聴きどころ。フィナーレも言うことなし。

Hob.XV:22 Piano Trio (Nr.36/op.71-2) [E flat] (before 1795)
ここにこの曲を持ってくるとは見事なセンス。まるで原曲がピアノのために書かれたような自然な美しさに満ちた演奏に驚きます。ここにきて純粋に美しい響きに特化した音楽で心が洗われるよう。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
最後にこの曲を持ってくるとは。一瞬にしてこの曲独特の雰囲気に包まれます。まさにハイドンの天才を物語る曲。もちろんクロウの絶妙な語り口によってこの曲の広がりというか空間に引きずり込まれる感じ。憂いに満ちた美しさと明確な構成はハイドンの創作期の最初の頂点であるシュトルム・ウント・ドラング期ならでは。そしてハイドンのソナタで最も美しい緩徐楽章であるアンダンテは、予想通り音色の美しさだけに媚びない、構成の美しさで聴かせる絶品の音楽。この曲だけても展開の起承転結が見事に決まっただけでなく、このアルバムの最後にふさわしい堂々たる表情でフィナーレを締めくくります。

何度も言いますが、トッド・クロウ、只者ではありません。ジャケットを見る限りただのおじさんですが、その紡ぎ出す音楽の豊かな表情は見事の一言。このハイドンのソナタ集を聴けばその手腕は一目瞭然。最初に紹介したニューヨークタイムズなどの評価に偽りはありません。もう少し名が売れていてもおかしくありませんが、音楽業界も演奏の内容のみならずスター性も重要な訳ですね。トッド・クロウの紡ぎ出す音楽は、ミケランジェリほど究極に研ぎ澄まされているわけではありませんし、エマールほどの前衛を感じさせるわけでもなく、グールドのように個性が突き抜けているわけでもありません。しかし、ハイドンのソナタをこれほど雄弁かつ自然に演奏できるのはクロウだけかもしれません。当ブログがクロウのハイドンの見事さを世に問いましょう。もちろん評価は全曲[+++++]とします。ピアノ好きな方、是非聴いてみてください。まだ手に入ると思います。

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山名敏之のカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」3種(ハイドン)

久々のCD。しかも国内盤です!

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山名敏之(Toshiyuki Yamana)のフォルテピアノによるハイドンのカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」(Hob.XVII:1)、クラヴィコードによるクラヴィーアソナタ(XVI:52)、ハープシコードによるカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」、クラヴィコードによるクラヴィーアソナタ(XVI:20)、クラヴィコードによるカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」などを収めたCD。アルバムタイトルは「ハイドンと18世紀を彩った鍵盤楽器たち」。収録は2012年3月13日から15日、大阪は関空のそばの泉佐野市にあるエブノ泉の森ホールでのセッション録音。レーベルは浜松市楽器博物館コレクションシリーズで知られるALM RECORDS。

ふと手に入れたアルバムですが、内容をよく見てみるとハイドンのソナタをフォルテピアノ、クラヴィコード、ハープシコードで弾き分ける、なかなか含蓄あるアルバムでした。

奏者の山名敏之さんは藝大ピアノ科卒業後、オランダのスウェーリンク音楽院などでフォルテピアノを学んだ人。録音時は和歌山大学教育学部の教授です。2009年から2012年まで「ハイドン・クラヴィーア大全」というシリーズでハイドンのクラヴィーア独奏曲をクラヴィコード、ハープシコード、フォルテピアノの3種の鍵盤楽器で演奏したそう。いわば日本のトム・ベギンといえばハイドン通の皆さんにはわかりやすいでしょうか。

このアルバムはそうした活動の成果として録音されたものと思いますが、選ばれた曲と楽器が変わっています。冒頭の収録曲を改めて噛み砕いてみると、フォルテピアノ、ハープシコード、クラヴィコードの3種の楽器で弾き分けられたのは、カプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」という不思議な名前の曲。その間にクラヴィコードでXVI:52と、XVI:20という名ソナタのクラヴィコードによる演奏が挟まれているという構成。特にカプリッチョは当ブログで以前取り上げた時には大宮真琴さんの「新版ハイドン」に従い「8人のへぼ仕立て屋に違いない」という名前で掲載していましたが、このアルバムのライナーノーツの記載によればそれは誤訳で、歌詞の意味を踏まえると「豚の去勢にゃ8人がかり」が正しい訳とのことです。

このアルバムの解説は奏者の山名さんによるものですが、この意欲的なアルバム構成の背景がよくわかる力作。量といい内容といいアルバムの解説というよりは論文と言ってもいいもの。デザインを専攻している方ならばよくご存知のドナルド・ノーマンの名著「誰のためのデザイン?」の記述で有名になったアフォーダンスという概念を軸に、フォルテピアノ、ハープシコード、クラヴィコードというハイドンが作曲していた時代に使われた楽器そのものが、作曲、作品にどのような影響を与えたか、そして当時作曲に使われていたクラヴィコードの特徴がハイドンの音楽に与えた影響などについて各楽器のフリクションやダンパーペダルなど楽器のメカニズムに関する分析をもとに影響を記述したもの。純粋に音楽を楽しみたい方にはちょっとトゥー・マッチな内容かもしれませんが、これはこれで読み甲斐があるもので、これだけでもアルバムを手に入れる価値があるかもしれませんね。

さて、このアルバムのキーになっている「豚の去勢にゃ8人がかり」という曲はこれまで4回取り上げています。

2017/06/12 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】フランチェスコ・コルティのソナタ集(ハイドン)
2017/05/12 : ハイドン–ピアノソナタ : フランツペーター・ゲーベルスのソナタ集(ハイドン)
2013/01/27 : ハイドン–ピアノソナタ : デレク・アドラムのクラヴィコードによるソナタ集
2010/09/27 : ハイドン–ピアノソナタ : ジョアンナ・リーチのスクエアピアノ2枚目

この中でも、デレク・アドラム盤は私がクラヴィコードという楽器へ開眼するきっかけとなったアルバム。音量が極端に小さく、響きも後年の楽器より貧弱な楽器の知る人ぞ知る素晴らしさに目覚めさせてくれたアルバムです。そして、今日取り上げるアルバムも、クラヴィコードによる演奏が含まれているということが手に入れようと思った直接の動機。ということで、珍曲「豚の去勢にゃ8人がかり」の3つの楽器による弾き分けと、有名な2つのソナタのクラヴィコードの演奏の出来が気になるわけですね。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
まずは挨拶がわりか、冒頭にはこのカプリッチョのフォルテピアノによる演奏が置かれています。フォルテピアノは1782年製アントン・ヴァルターの複製品で2002年ロバート・ブラウン作のもの。曲はユーモラスなメロディーがロンド形式で何度も転調しながら現れるもの。3つの楽器の中では最もダイナミックレンジの広いフォルテピアノの特徴を生かして、テンポよく快活に入り、徐々にダイナミックに変化していくところが聴きどころでしょう。終盤はフォルテピアノらしからぬ迫力を帯びて堂々としたもの。ユーモラスさや諧謔性よりも楽器を鳴らしきることに主眼を置いているような演奏。録音は浜松市楽器博物館コレクションシリーズで手慣れているだけに楽器の魅力を伝えるいい録音です。

Hob.XVI:52 Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
続いてクラヴィコードによるソナタの演奏。クラヴィコードは1790年頃のJohann Bodechtel作の複製品で2002年フランスのクリストファー・クラーク作のもの。このソナタはご存知のとおり、ハイドンのソナタの総決算のような曲。クラヴィコードで演奏した実際の音量はフォルテピアノよりもかなり小さいものでしょうが、録音だけにレベルを調整してフォルテピアノに近い音量で録られています。クラヴィコードは音量は小さいですが繊細な音色と音色の変化、ヴィブラートがかけられることなどが特徴であり、音量を気にせずに集中してきくと小宇宙的な世界を楽しめます。解説ではピアノやフォルテピアノが音を発するタイミングに集中して演奏するのに対し、クラヴィコードは音を鳴らし終わるタイミングに集中して演奏するという楽器の特性により、音を響かせるダンパーペダルなしでもこの壮麗なソナタを十分音を響かせて演奏できることに触れられています。そう言われて耳を澄ませて聴くと、なるほどそうした楽器の特性がこの曲の作曲にも影響していると思えてきます。演奏の方は絶対的なダイナミックレンジが狭いながらも小音領域での相対的なダイナミックレンジの広さで十分ダイナミックに聴こえ、ソナタの格に負けない風格ある演奏に聴こえます。山名さんの演奏は特に速い音階の鮮やかな指使いが印象的。前出のデレク・アドラムの演奏が楽器製作者らしく、クラヴィコードのちょっと落ち着かない音程の不安感を全く感じさせない絶妙なタッチと高潔な諧謔性を感じる芸術性の高さが素晴らしい演奏だったのに対し、楽器の弱点であるちょっとしたふらつき感と音域ごとの音色の違いをそのまま感じさせる面もあったのが惜しいところ。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
続いてカプリッチョのハープシコードによる演奏。楽器は17世紀のルッカースの複製品で、1978年エジンバラのグラント・オブライエン製作のもの。ハープシコードさしい凜とした音色はこのユーモラスな曲の典雅な側面に光を当てます。今度は楽器自体もダイナミックレンジは逆に狭く音量のコントロール幅は狭い中、メロディーの表情で聴かせることになります。メロディーを奏でる高音域のクリアな響きの美しさは魅力的。この音色が古典期のハイドンの作品を妙にバロック風な響きに聴かせるのが面白いところ。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
今度はクラヴィコードによる中期の名ソナタの演奏。曲の格からいうとソナタ2曲が構成も緻密で構築感のある曲なんですが、フォルテピアノやハープシコードと直接響きを比較できる配置でクラヴィコードの響きを聴くと、直接的な響きの印象で少し聴き劣りする印象を持ってしまいます。演奏自体は悪くないんですが、楽器と曲の組み合わせは、少し無理があるように感じてしまいます。それだけ奇抜な組み合わせにチャレンジしているのはよくわかります。特にこの響きの美しい曲では、クラヴィコードの濁った響きが顔を出すところもあって惜しいところ。タッチの強さが音程に影響するクラヴィコードだけに、楽器に起因するのか、演奏の問題なのかはわかりません。演奏の質は高いものの、この曲の美しさを表現しきれていないようにも感じました。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
最後はクラヴィコードで演奏したカプリッチョ。前のソナタではちょっと響きの濁りが気になったのですが、このカプリッチョでは不思議と気になりません。おそらくこの曲の曲想、音域、リズム、展開そのものにクラヴィコードの音色が合うのでしょう。実にしっくりとくる演奏で、クラヴィコードの不可思議な響きもこの曲のユーモラスさの演出に一役買っている感じ。この演奏でこのアルバムが締まりました。

このほか、XVI:20のソナタの自筆譜や初版譜に基づく1楽章の演奏が末尾に収められています。

山名敏之によるフォルテピアノ、クラヴィコード、ハープシコードでハイドンのクラヴィーア曲を弾き分けた好企画。このアルバム、フォルテピアノなどの楽器を演奏する方、研究者の方には論文や解説が大きな価値を持つものと映るでしょう。私にとっても、3つの楽器を弾き比べた音色とそこから浮かび上がる音楽の違いを楽しめるものとして実に興味深いアルバムです。演奏の出来については客観的に見るとフォルテピアノとハープシコードの演奏の面白さが逆に際立つもので、クラヴィコードの演奏では最後のカプリッチョでようやく合点がいきました。ということで評価は、フォルテピアノ、ハープシコードの演奏は[+++++]、クラヴィコードの演奏はカプリッチョが[+++++]、ソナタのXVI:52[++++]、XVI:20は[+++]としました。

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ジュリア・クロードのピアノソナタ全集第4巻(ハイドン)

最近入手した気になるアルバム。またまた宝物に出会いました。

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ジュリア・クロード(Julia Cload)のピアノによるハイドンのピアノソナタ9曲(Hob.XVI:8、XVI:2、XVI:12、XVI:14、XVI:25、XVI:42、XVI:46、XVI:20、XVI:32)を収めた2枚組のCD。収録に関する情報は記載されていませんがPマークが2009年と記載され、ハイドンのアニヴァーサリーイヤーであるこの年にコンサートも開いたとのこと。レーベルは英Meridian。

ジュリア・クロードのピアノソナタ集はこれまでに3巻がリリースされていましたが、それぞれ1985年、1989年、1990年のリリースということで、第3巻から20年近く経ってから第4巻がリリースされたことになります。ということで第3巻を記事に取り上げた際には完結などと書いてしまいましたが、どっこいまだ完結していなかったことになりますね。以前に取り上げた際の記事はこちらをご参照ください。

2013/10/03 : ハイドン–ピアノソナタ : ジュリア・クロードのピアノソナタ集完結
2010/09/25 : ハイドン–ピアノソナタ : ジュリア・クロードのピアノソナタ集

ジュリア・クロードはハイドン研究の大家、ロビンス・ランドンが推薦していたピアニスト。そのあたりのことは完結の方の記事をご参照ください。これまでにリリースされたアルバムの演奏はランドンが推すだけのことはあって、くっきりとした右手のメロディーの輝きを感じさせるなかなかの演奏でした。この度手に入れたアルバムはこれまでリリースされたアルバムとは時代が変わって、ジャケットのデザインも変わり、録音も比較的最近のものということでクロードのくっきりとした演奏にさらに磨きがかかったものであろうと想像して、アルバムを聴き始めました。ライナーノーツを見てみると、ハイドンのピアノのソナタ「全」集の第4巻とはっきりと書かれているので、この第4巻のリリースによって停滞していたと思われた全集化の歩みは止まっていなかったわけですね。

Hob.XVI:8 Piano Sonata No.1 [G] (before 1760)
ごく初期の練習曲のようなシンプルなソナタですが、豊かな残響の中にピアノがくっきりと浮かび上がる見事な録音によって、シンプルなメロディーがくっきりとしかも豊かにに響きわたります。ジュリア・クロードはかなりリラックスして、このシンプルなソナタをまるで小人の国で遊びまわるように楽しげに演奏していきます。オルベルツのような芯のしっかりした面もあり、それでいて響きの美しさは超一級。これまでの3巻の演奏から奏者の熟成を感じる素晴らしい演奏。ピアノはヤマハのCFIIIですが、これほど研ぎ澄まされたヤマハの音を聴くのは初めて。Meridianの素晴らしい録音によって初期のソナタの美しさが最上の形に仕上がっています。

Hob.XVI:2 Piano Sonata No.11 [B flat] (c.1762)
初期のソナタが続きますが構成は随分進歩して、楽章間の対比もよりはっきりとしてきています。研ぎ澄まされた響きの美しさは変わらず、そしてハイドンの仕組んだリズムの面白さや、ふとした瞬間の翳り、ハッとするようなアイデアを丹念に拾って美音に包みこんだ名演奏。そして表現も深みを帯びてきました。少し前に取り上げた、エイナフ・ヤルデンの演奏が知性に訴えるような美しさだったのに対し、ジュリア・クロードの演奏は優しさに包まれた響きの美しさ。揺りかごに揺られながら聴く音楽のような安堵感に包まれます。

Hob.XVI:12 Piano Sonata No.12 [A] (before 1765)
入りの気配から洗練の極み。いつもながらハイドンの創意の多彩さに驚かされますが、それも極上の美音で聴くと一段と冴えて聴こえます。メロディーもリズムもハーモニーも全てが信じられないような閃めきの彼方からやってきたよう。脳の全神経が音楽に揺さぶられて覚醒。短いソナタにもかかわらず、なんと刺激に満ちた音楽なのでしょう。それも優しさと機知に飛んだユーモラスな刺激。この演奏によってこのソナタにこれほどの魅力があると気づかされました。

Hob.XVI:14 Piano Sonata No.16 [D] (early 1760)
曲を追うごとに創意の多彩さに打ちのめされるのがハイドンのソナタ集の常。予想外に展開する音楽に呑まれます。音符を音にしているのではなく音符に宿る魂を音楽にしているがごとき見事なクロードの魔術にかかっているよう。タッチのデリケートさは尋常ではなくこれ以上繊細にコントロールするのは難しいとも思える領域での演奏。散りばめられたそれぞれの音が溶け合ってまばゆい光を放っています。こればかりは聴いていただかなくては伝わりませんね。2楽章のメヌエットから3楽章のアレグロへの変化は誰にも想像がつかない見事な展開。独創的な3楽章に改めて驚きます。

Hob.XVI:25 Piano Sonata No.40 [E flat] (1773)
これまでの曲よりも少し下った時代の曲。曲の展開とメロディーの構成は一段と緊密になりますが、これまでの曲のシンプルさもハイドンらしい音楽として見事に仕上げてきていますので、聴き劣りしていたわけではありません。フレーズごとの描き分けはさらに巧みになり、音楽の起伏も大きくなっていきますが、聴きどころがクロードの演奏の見事さから、曲自体の素晴らしさに移ってきているようにも感じます。この曲から聴き始めていたら、もう少し普通の演奏に感じたかもしれません。それだけシンプルな曲におけるクロードの表現が素晴らしいということです。もちろんこの曲でもクロードのデリケートな表現力は変わらず素晴らしいものがあります。

Hob.XVI:42 Piano Sonata No.56 [D] (c.1783)
CD1の最後の曲。有名曲ですので聴き覚えのある方も多いはず。クロードの演奏は洗練の極み。この曲の私の刷り込み盤はブレンデル。この曲で最初に手に入れたアルバムだけに鮮明に覚えていますが、クロードの演奏を聴いてしまうと、今まで磨き込まれた名演だと思っていたブレンデルの演奏が無骨に聴こえてしまうほど透き通るような透明感に溢れた演奏です。ハイドンのソナタがこれほどの輝きを持つことに驚きます。ゆったりと語られる一音一音にそれぞれ意味が込められ、まさに絶妙に磨き込まれた孤高の響き。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
CD2は1770年代の名曲が3曲並びます。空中にピアノの美音が漂うような雰囲気満点の録音。磨き抜かれた宝石のようなピアノの美音が転がりだしてきます。この曲は、構成の面白さ、アイデアの豊富さ、メロディーの美しさなどこれまでの曲よりさらに一段高いレベルの曲ですが、このジュリア・クロードの演奏はその中でも響きの美しさとメロディーの美しさに踏み込んだ演奏。曲の骨格よりもハーモニーの美しさを追い込んでいきます。この演奏によってハイドンが最も生み出すのが難しいものと語ったメロディーの類稀な美しさにスポットライトが当たります。特にデリケートなタッチによってヂュナーミクの変化は無限の階調とも言えるしなやかさを帯び、ハイドンがまるでエンヤの音楽のように漂います。ちょっとやりすぎのような気がしなくもありませんが、これはこれでハイドンのソナタの一つの姿とも言えるでしょう。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きなXVI:20。一歩一歩踏みしめるようなたどたどしい入りに驚きます。響きの深さはこのアルバムに共通ですが、表現が少しづつ深くなります。徐々に歩みを速めていきますが、聴き進む間にテンポを自在に変化させ、ソナタの格にふさわしい表現の深さを聴かせます。まさに詩情あふれる演奏とはこのこと。2楽章のアンダンテが聴きどころと思っていたところ、その前にやられてしまいます(笑)。そして2楽章は予想どおり美しさを極めた演奏となります。クロードのタッチはこの曲でもデリカシーに富んだものですが、曲が曲だけにそのレベルは極まった感じ。フィナーレの達観したかのような落ち着きも見事。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
最後も有名曲。タッチのキレに初めて殺気のような迫力を感じます。テンポが次々と変わり、CD2に入って自在な表現を極めてきた感じ。響きの美しさばかりでなく1楽章中盤からの畳み掛けるような迫力も加わり、過去に録音された3巻よりも明らかに表現のスケールが大きくなり円熟を感じます。より曲の本質に迫ろうとする意欲が音楽に乗っているのがわかります。メヌエットも直裁なキレを聴かせたかと思うと穏やかな膨らみで和ませ、キレ味を引き立てる見事な展開。そしてフィナーレは全方角から音の雫が降り注ぐようなこれも見事な表現に参ります。

1985年のシリーズ第1巻の録音から24年後、直近の第3巻の1990年の録音から19年を経て2009年に録音された2枚組の第4巻ですが、その間の時の流れを経ての録音であるとの説得力を感じさせる、円熟味が加わった見事な演奏。ジュリア・クロードというピアニストが人生を賭けてハイドンのソナタに取り組んでいるとわかる素晴らしい演奏でした。はじめは数曲取り上げるだけにしておこうかと思って聴きはじめましたが、あまりの面白さに3日かけてしっかり聴き通して記事にした次第。もちろん評価は全曲[+++++]とします。
これまでのリリース間隔から想像するに、すぐに第5巻がリリースされるとはいかないでしょうが、それでも2009年の録音から8年が経過しており、第5巻がそろそろリリースされてもおかしくないでしょう。次のアルバムが待ち遠しいですね。

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ローズ・マリー・ツァルトナーのピアノ協奏曲、ピアノソナタ(ハイドン)

またまた未知の奏者の演奏です。

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ローズ・マリー・ツァルトナー(Rose Marie Zartner)のピアノ、ウォルフガング・ホフマン(Wolfgang Hofmann)指揮のニュルンベルグ交響楽団(Die Nürnberger Symphoniker)の演奏で、ハイドンのピアノ協奏曲(Hob.XVIII:3)、ピアノソナタ(XVI:20)の2曲を収めたLP。収録の情報は記載されていませんが、ネットを色々調べて見るとリリースは1970年と記載されたサイトを発見しました。レーベルはcolosseum。

このアルバムも最近オークションで手にいれたアルバムです。なんとなくいい雰囲気のジャケットにピンときた次第。

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ピアニストのローズ・マリー・ツァルトナーについては、ジャケット裏面に若き姿の写真があるだけで、ネットにも情報が見つかりません。アルバムについてもこのアルバムを含めて数枚確認できるのみ。ということでこのアルバムがリリースされたであろう1970年代の短期間のみ活動していた人との想像が働きます。
指揮者のウォルフガング・ホフマンは1922年ドイツのカールスルーエ生まれのヴァイオリン奏者、作曲家、指揮者で、若い頃からアーベントロートのもと、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスのヴァイオリン奏者として活躍。大戦中は音楽活動を休止したものの1959年から指揮者として活躍し、プファルツ室内管(Kurpfälzischen Kammerorchester)の音楽監督を1987年まで続けたとのこと。また1963年からはカール・リスタンパルトが亡くなった後を受けてザールランド放送室内管(Kammerorchester des Saarländischen Rundfunk)を振るようになり、しばしばテレビに登場したとのこと。晩年はフリーランスの作曲家として活躍し、亡くなったのは2003年でした。

この日本ではほとんど知られていないピアニストと指揮者によるハイドンのピアノ協奏曲、これが実に味わい深い演奏なんです。

Hob.XVIII:3 Concerto per il clavicembalo(l'organo) [F] (1765)
見事に図太い音色のオケの序奏がテンポよく鳴り響きます。奥でホルンが響く奥行きを感じる非常にいい録音。これぞLPの真骨頂。ローズ・マリー・ツァルトナーのピアノはよく磨かれた音色を響かせますが、決して焦らず、オケを鎮めるように落ち着いてゆったりと音を置いていく感じ。ソロがオケを引っ張るようにグイグイ来るのが普通なんでしょうが、ツァルトナーは落ち着き払って典雅な雰囲気を率先して保つ感じ。テクニックの冴えとも解釈のキレとも無縁の落ちいた音楽。ピアノの響きの美しさを優しく表現することに集中しているよう。この曲でこれほどのピアノの穏やかな輝きを聴くのははじめてのこと。火花散らすだけが協奏曲の演奏ではないと諭されているよう。カデンツァでは少しテンポを上げ、指の動きの鮮やかさを聴かせますが、それも非常に落ち着いた演奏で、この典雅さを保ったもの。
続くアダージョはまさに至福の境地。ゆったりとしたオケの伴奏に乗ってツァルトナーのピアノが光り輝きます。ゆっくりと噛みしめるようなツァルトナーのタッチの美しさを存分に味わいます。指揮のホフマンはツァルトナーの引き立て役に徹するようにオケの柔らかな響きを引き出します。ツァルトナーはテンポを変えずに表情が千変万化する魔法のタッチで曲の美しさを浮かび上がらせます。あまりに見事な演奏に息を呑みます。
フィナーレも実にリラックスした演奏。1楽章とは異なりリズムで先導するツァルトナーのタッチの軽やかさ! ちゃんと楽章ごとに聴かせどころを用意していました。これぞハイドンという展開の妙をさらりと聴かせる妙技。最後までピアノの最も美しい響きを保つ見識が素晴らしいですね。フレーズの一つ一つまで磨き抜かれ、オケとの呼吸も絶妙。あまりに華麗な演奏にノックアウトです。

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Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
裏面は好きなソナタ。録音の状態は変わらず絶品。美しいピアノの響きが存分に楽しめる録音。リラックスしたツァルトナーの繰り出す音の流れに身を任せます。協奏曲同様、落ち着いたタッチからえも言われぬ芳香が立ちのぼります。起伏をあえて抑えながらサラサラと引き進めるスタイル。微妙なタッチの変化から生まれるフレーズのデリケートな表情の変化に耳を奪われます。この曲に潜む詩情を抑制された美しさに昇華。
好きな2楽章は響きを研ぎ澄ますのではなく、淡々と音を置いてく感じが新鮮。高音ではなく中音域をしっかりと響かせて確かな足取りで曲が進みます。今までのこの曲のイメージとは異なる面にスポットライトを当て、じっくりと曲の良さを描いていくことで、意外に骨太なこの曲の魅力を知った次第。情感を抑えた何か禁欲的な香りがする美しさにうっとり。
目を覚まされるようにくっきりとした3楽章の出だし。かっちりとしたタッチの中にも仄かに雰囲気を感じさせるツァルトナーの演奏。ツァルトナーとしては険しい演奏なのでしょうが、麗人の真剣な視線にも色気を感じるように、ハイドンの締まったフィナーレながら雰囲気のある演奏。1曲のみをゆったりとカッティングしたLPゆえ実にいい響きで演奏を楽しめました。

全く未知のピアニスト、ローズ・マリー・ツァルトナーによる協奏曲とソナタのアルバム。ピアノに詳しい方ならご存知なのかもしれませんが、これだけの演奏する人が今は全く知られていないのが不思議なくらい。特に協奏曲の演奏は絶品と言っていいでしょう。LPのコンディションも良く、素晴らしい演奏を楽しむことができました。また一枚、宝物が増えましたね。評価はもちろん両曲とも[+++++]といたします。

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tag : ピアノ協奏曲XVIII:3 ピアノソナタXVI:20 LP

ギルバート・カリッシュのピアノソナタ集(ハイドン)

ピアノソナタのLPが続きます。

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ギルバート・カリッシュ(Gilbert Kalish)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ3曲(Hob.XVI:20、XVI:40、XVI:23)、アリエッタと12の変奏(Hob.XVII:3)の合わせて4曲を収めたLP。収録は1978年5月、ニューヨークでのセッション録音。レーベルは米nonesuch。

こちらも先日ディスクユニオンの店頭で発見し仕入れたもの。このアルバムの存在は知ってはいたものの今まで出会うことなくきたため、売り場で見かけた時にはちょっと呼吸が乱れました(笑)。そもそもの発端は次の記事をご参照ください。

2014/11/09 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】ギルバート・カリッシュのピアノソナタXVI:52(ハイドン)

新譜としてリリースされた老年のギルバート・カリッシュのアルバムですが、これが、、老いたカリッシュが奥さんの愛した曲をまとめたという、心温まるプロダクションで、なんとなく心に残る演奏でした。その記事でカリッシュのことを調べていた際、ハイドンの録音もかなりあるということがわかりましたので、以来見つけたら手に入れようとずっと思ったまま、出会わずに来た次第。今回手に入れたLPはプロモーション用の非売品とのシールが貼られたものでしたが、タイトルは「ヨゼフ・ハイドンのピアノ音楽第4巻」とあり、ライナーノーツには第1巻から3巻までの収録曲も掲載され、カリッシュのハイドンの録音の全容も判明しました。

カリッシュの略歴などは上の記事を参照いただくとして、早速針を落とすと、実に慈しみ深く、美しい響きにいきなり耳を奪われました。LPのコンディションも悪くなく美しいピアノの音色を存分に堪能できる状態!

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
録音のせいか、妙にしみる音色。眼前にピアノの美しい響きが広がります。nonesuchといえばワンポイント録音で名を馳せたレーベルゆえ、録音の自然さは見事なレベル。テンポは遅めで一音一音を慈しむようにゆったりと弾いていきます。まるで大切な宝石を一つ一つ数えていくようなタッチ。晩年のカリッシュの演奏の原点がここにあると知り、ちょっと感動的。これだけ音を大切にするタッチは滅多にありません。そして紡ぎ出される音楽は人の温もりの伝わる音楽。カリッシュ40代の演奏にしては枯れすぎかもしれませんが、これが彼のスタイルなのでしょう。
続く2楽章は、ハイドンのソナタの中でも最も美しいアンダンテの一つですが、カリッシュの訥々としたタッチで聴くこの曲はその素朴な美しさが最も自然に表された名演奏と言っていいでしょう。美しい音色やタッチなど技術的なことに対する執着は皆無で、純粋無垢な響きが自然に滔々と湧き出てくる音楽。飾り気なく淡々と弾き進めるカリッシュの真面目な音楽に心を洗われるよう。
フィナーレでもピアノが美しく響く範囲で優しいタッチから音楽が紡ぎ出されていきます。力むことを知らないカリッシュの音楽は心地よさを失いません。1曲目から素晴らしい演奏がジワリと沁みてきます。

Hob.XVI:40 Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
続く曲はまるでそよ風のような心地良さで入ります。ことさらサラサラとしたタッチでサクサクと進めることで曲の素朴な味わいが活きてきます。この曲では特に高音のタッチの透明感、キラメキが素晴らしい。時折り輝く高音がアクセントになって、力を入れるところはないのに音楽がくっきりと浮かび上がります。ピアノの響きを知り尽くした奏者による円熟の技。
この曲は2楽章構成。常に軽さを帯びたタッチが紡ぎ出す音楽の軽妙さがカリッシュの音楽のベースにあるよう。力任せでは音楽は弾まないとでも言いたげな軽妙洒脱な展開にうっとり。速い音階も技術を誇示することなく、実に自然流麗なもの。非常に滑らかな音階によってハイドンの音楽が自然に磨かれ、素朴な美しさを纏います。この曲も見事。

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Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
レコードを裏返して3曲目。すでにカリッシュの素晴らしい演奏にノックアウトされていますので、あとは純粋に楽しむだけ。落ち着いたタッチから繰り出される自然に磨かれた音楽の美しさに酔いしれます。1楽章の起こりに2楽章の沈み。特にこのアダージョも全曲同様美しい表情を持つだけに、カリッシュのタッチによって自然な美しさの極みに達します。耳を澄ますと、フレーズごとに大きな起伏をつけて弾いており、素朴に響くもののかなりの表現力を駆使しての演奏であることがわかります。慈しみ深いハイドンのソナタの演奏の代表格と言っていいでしょう。そしてフィナーレのリズムの面白さも秀逸。軽々とこなしていくので爽やかさまで纏いますが、やはりかなりの表現力があってのことですね。

Hob.XVII:3 Arietta con 12 variazioni [E flat] (early 1770's)
最後は変奏曲。力の抜けたカリッシュのタッチにより、まずはメロディーがいきなり枯れた美しさで驚かせます。そして変奏が始まると、フレーズごとに表情がくっきりと浮かび上がるところはカリッシュの表現力の面目躍如。冒頭から孤高の美しさを発散し続けます。この曲に入ってカリッシュのタッチは冴え渡り、フレーズの一つ一つが素晴らしい生命力を帯び、すでに神がかっています。これまで見せなかった大胆なタッチと息の長い休符を織り交ぜて演奏は自在の極地へ。変奏とはこのように弾くべしとのカリッシュの心情がハイドンの曲に乗り移ったような、カリッシュにしかできない演奏。いやいや、これは絶品です。

探し求めていた若き日のギルバート・カリッシュのソナタ集。晩年の演奏も感動的でしたが、実は若い頃から感動的な演奏をする人でした。全曲素晴らしいんですが、中でも最後のアリエッタと12の変奏はこれまで聴いたどの演奏より素晴らしい、超名演です。間違いなくこの曲のベスト盤としてよいでしょう。残念ながらこの素晴らしいLPを手に入れるのは難しいでしょうが、本家nonesuchのウェブサイトを見ると2009年のハイドン没後200年を記念してmp3で再発売されていますので、聴くことはできるでしょう。評価は全曲[+++++]とします。

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tag : ピアノソナタXVI:20 ピアノソナタXVI:40 ピアノソナタXVI:23 アリエッタと12の変奏XVII:3 LP

【新着】ベルント・グレムザーのピアノソナタ集(ハイドン)

またまたピアノソナタのアルバム。

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ベルント・グレムザー(Bernd Glemser)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ5曲(Hob.XVI:20、XVI:32、XVI:34、XVI:36、XVI:44)を収めたアルバム。収録は2015年12月1日から3日かけて、ミュンヘンのバイエルン放送第2スタジオでのセッション録音。レーベルは独OEHMS CLASSICS。バイエルン放送との共同制作盤。

ジャケットには"Sonaten in Moll"「短調のソナタ」と書かれており、文字どおりハイドンのソナタの中から短調のソナタを集めて録音したアルバム。あらためてこのアルバムに収録された曲のホーボーケン番号を並べて見ると、個人的には好きな曲ばかりが並んでいることに気づきますが、これは短調の曲だったわけですね。モーツァルトの場合も同様ですが、古典期の作品では短調の曲は少ないのですが、やはり独特の翳りを持ついい曲が多いんですね。

奏者のベルント・グレムザーは1962年、ドイツ南部、フライブルク東方の街、デュルプハイム(Dürbheim)生まれのピアニスト。7歳からピアノをはじめ、学生時代からロシア出身のピアニストヴィターリ・マルグリスに師事、1987年にミュンヘン国際音楽コンクールに入賞してから世界的に活躍するようになりました。以降教育者としてもザールラント高等音楽学校、ヴュルツブルク高等音楽学校などで教えています。最近ではNAXOSからプロコフィエフ、ラフマニノフ、チャイコフスキーなどのソナタをかなりの枚数リリースしておりご存知の方も多いかもしれません。

イェネ・ヤンドーとともにNAXOSの看板ピアニスト的存在と言うことで、実力はありそうですが、果たしてハイドンを如何に料理してくるのか、興味津々です。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
予想通りというか、NAXOSに多く録音を残している人とのイメージにぴったりの演奏。そしてピアノの教育者らしい、端正かつ正確な演奏と言えばいいでしょうか。テンポは中庸、力まず適度な力感で曲の構造を楽譜通りにトレースしていく感じが心地よい演奏です。この短調の名曲は、もう少し情緒的に演奏することが多いのですが、比較的あっさりと演奏することで、ハイドンらしい爽やかさを感じさせます。
期待の2楽章は、美しさの際立つ楽章で、丁寧に美しさを際立たせる演奏が多い中、グレムザーはあえて逆にあっさりとした演奏できました。アンダンテ・コン・モートとという「気楽にのんびりと」という気楽さの表現が「さりげない美しさを」感じさせるもの。このアンダンテ・コン・モートという指定の解釈の仕方に触発されたものかはわかりませんが、よく聴くこの曲の美しい演奏とは対照的に禁欲的なまでにあっさりときました。
そして3楽章のアレグロもアッサリとした表現に徹して、サラサラと流れていく演奏。聴き進めていくうちに、小手先の表現ではなくハイドンの音楽自体に潜む魅力を引き出すためにあえて淡々と弾き進めるグレムザーの意図が見えてきます。表現の方向は異なりますが、スタイルとしてはオルベルツのアプローチに近いでしょうか。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
グレムザーのスタイルがなんとなく見えてきたところで、またまた有名曲。ピアノ教師としての矜持を感じさせる鮮やかなタッチで短調の曲を磨きこんで、やはり淡々と弾き進めて行きます。テンポは一貫しており推進力を感じさせるほどグイグイと弾いて行きますが、その中にフレーズごとのメリハリをくっきりと表現していくところは流石。折り目正しく、端正で品格を感じさせる演奏と言えばいいでしょうか。
前曲の2楽章ほど禁欲的ではなく、程よくリラックスしたメヌエット。そしてフィナーレも鮮やかなタッチでキレの良い演奏。速いパッセージのタッチの鮮やかさはかなりのもの。前曲でのかなり禁欲的な演奏よりは一般的な演奏に近い表現に感じますが、それでもテンポを揺らさず一貫した表現で通すところがグレムザーらしいところ。

Hob.XVI:34 Piano Sonata No.53 [e] (c.1782)
低音のリズムと音階の面白さが独特の入りの曲ですが、曲自体の面白さに語らせようとするグレムザーのスタイルは変わらず、あえて淡々としながらも、ここはアクセントをかなり効かせてタッチの冴えを印象付けます。正確無比なタッチでハイドンの独特の音楽を弾き進めていくことに快感を感じているのではないかと思わせる鮮やかな手腕。相当のテクニックがなければこれだけの鮮やかさは表現できないと思います。だんだんグレムザーの音楽にハマってきました。
これまでの中間楽章の中では一番美しさにこだわった演奏に聴こえるアダージョ。なんとなくテンポの指定に忠実な演奏を心がけているよう。アダージョらしいリラックスした表現。そう思うとこれまでの中間楽章はアンダンテ・コン・モートやメヌエットでしたので、その指定に忠実に弾き分けているようです。
そして、3楽章はヴィヴァーチェ・モルト。活発に速くとの指定通りに活気ある演奏。

Hob.XVI:36 Piano Sonata No.49 [c sharp] (before 1780)
1楽章のモデラートはこのアルバムでは最も自在さを感じさせる演奏。タッチに遊びを感じさせ、アクセントも恣意的で表現意欲を感じさせます。曲が進むにつれてこの曲に仕込まれた機知に反応してどんどん表現が果敢になっていくのが面白いところ。ハイドンの仕掛けたアイデアにつられてグレムザーも気を許してきた感じ。音楽の純度が上がり、それにつれてグレムザーの心境も澄み渡っていくのがわかります。弱音部の澄み渡り方は絶品。
この曲を聴くたびに1楽章との繋がりの意外性を感じる2楽章。ここでも淡々とした入りから徐々に表現が深くなっていき、軽妙なタッチを織り交ぜ、アルバム前半の推進力溢れる演奏とは全く異なる自在さを感じさせます。
そして3楽章のメヌエット。トリオを挟んで両端がメヌエットなんですが、そのメヌエットが静謐ななかなかの演奏。深いですね。

Hob.XVI:44 Piano Sonata No.32 [g] (c.1771)
このアルバム最後の曲ですが、作曲年代が最も古い曲。この曲のみ2楽章構成。前曲で意外にも表現の深さを感じさせたあと、明快な曲想で締めくくろうということでしょうか。そう感じさせたのは最初だけで、徐々に表現が深くなり、フレーズごとの表現の幅も広がっていきます。じわりと伝わる曲の面白さ。
そして2楽章は軽々とメロディーを転がしながらサラサラと弾き進めていくうちに曲の面白さが浮かび上がるなかなかの名演奏でした。

ベルント・グレムザーによるハイドンの短調のソナタを5曲集めたアルバム。セッション録音ゆえ収録曲順に録音したかもわかりませんが、最初の2曲はまるでピアノ教師が見本に演奏するようなカッチリとした演奏。特に2楽章の美しさで知られる最初のXVI:20は表現意欲を封印したかのように禁欲的かつ一貫してあっさりとした演奏。それが3曲目からは徐々に表現が冴えてきて後半2曲は最初とはかなり異なり自在な表現の深さが光る演奏。同じ短調のソナタでも色々な表現ができることを示すような演奏でした。評価ははじめの2曲、XVI:20とXVI32が[++++]、以降3曲が[+++++]とします。これはこれでなかなか面白いアルバムでした。このような表現の幅を楽しめるベテランの方向けのアルバムですね。

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【新着】ジョン・オコーナーのピアノソナタ集(ハイドン)

今日はピアノの美しい響きをとことん味わえるアルバム。

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ジョン・オコーナー(John O'Conor)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ5曲(Hob.XVI:32、XVI:23、XVI:46、XVI:20、XVI:23)を収めたアルバム。収録は2016年8月29日、ニューヨークのスタインウェイホールでのセッション録音。レーベルはピアノで有名なSTEINWAY & SONS。

最近リリースされたアルバムをチェックしていて、何気なく手に入れたアルバムですが、ピアノメーカーのスタインウェイが自らリリースしているアルバムということで、ちょっと気になる存在でした。世界中の一流のピアニストに弾かれる楽器ゆえ、多くのピアニストの中から、スタインウェイの美音を最も美しく響かせる演奏に違いないとの想像力も働きます。

ピアニストのジョン・オコーナーは1947年、アイルランドのダブリン生まれのピアニストで教育者。ダブリンのベルヴェデーレ・カレッジでピアノを学んだ後、オーストリア政府の奨学金でウィーンに留学、ディーター・ウェーバーの元で学びました。その間、ケンプにベートーヴェンの演奏の教えを受け、1973年にウィーンで開催された国際ベートーヴェンピアノコンクールで優勝、1975年にはベーゼンドルファーコンクールで優勝し、世界に知られるようになったとのこと。今回アルバムをリリースしているスタインウェイとはライバル関係にあるベーゼンドルファーのコンクールで優勝しているのも何かの因果でしょうか(笑)

これまでにリリースされているアルバムを調べてみると、TELARKレーベルからベートーヴェンのピアノソナタ全集、協奏曲全集、モーツァルトの協奏曲全集などがリリースされており、やはりベートーヴェンを得意としているようですね。

ということで、早速聴いてみます。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
流石に最新の録音だけあってピアノの臨場感は素晴らしいものがあります。自然な響きと鍵盤の重みが伝わってくるような録音。このところエイナフ・ヤルデンやツィモン・バルト、デニス・コジュヒンなど、ハイドンの機知をアーティスティックに表現したピアノを聴いてきましたが、このジョン・オコーナーは実にオーソドックスで変な自己顕示欲は皆無。淡々とハイドンの書いた音楽をピアノに乗せていく感じの演奏で、安心して演奏を楽しむことができます。オコーナー自身もリラックスして演奏を楽しんでいる感じ。かといってオルベルツほど枯れてもおらず、程よくバランスのとれた演奏。先生が楽しげに見本で演奏しているような感じ。この「楽しげに」というのが大事なところ。タッチが精緻を極めるわけでもなく、このすっかりリラックスしてストイックさとは無縁の表情がハイドンの面白さを引き立てるわけです。

Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
軽いタッチで入る曲。まるで朝飯前だとでも言いだしそうなカジュアルな入り。これが曲想にピタリ。よく聴くと一音一音が磨かれていて、流石にピアノの音色は絶品です。1楽章は流れるように一貫して軽めにサカサカ弾き進めていくのが乙なところ。
素晴らしいのが続くアダージョ。軽さを保ちながらも、ぐいぐい響きが深く変化して行きます。デリケートな表情の変化に引き込まれます。音の長さを絶妙にコントロールして曲の一貫性を保ちながら表情を変えていく表現が素晴らしい。
そして軽いフィナーレ。同じ軽さでもわずかな曇りを帯びさせて曲想に合わせているのがわかります。ピアノの響きをリアルに伝える録音だからこそ、こうしたデリケートな変化を味わえます。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
同じく軽くくるのかと思いきや、実に滑らかしっとりとした表情にハッとさせられます。ピアノの響きの表情の変化を実に巧みに表現してくる、さすがスタインウェイという演奏。ふとしたフレーズの切り替えのアクセントの一音の変化で響きが実に新鮮に聴こえます。こうしたところを控え目にさりげなく挟んでくるのが流石なところ。静寂の中に浮かび上がるハイドンのメロディーの美しさが際立ちます。徐々にタッチがチョコがとろけるように流れ出したり、千変万化するオコーナーのタッチに聴き惚れます。この曲からこれまで聴いたことのないような多彩な響きがあふれ出します。
前曲同様、アダージョの美しさは絶品。とりわけピアノの響きの美しさは鳥肌もの。凜と澄んだ夜空に浮かぶ天の川を眺めるよう。細かい星雲に無数の表情が宿り、美しい音楽が心に刺さります。
対比のためにあえて繊細さを避けるようにグイグイとくるフィナーレで曲を引き締めます。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きな曲。入りは意外に少し重め。この短調の入りを厳かなコントラストで強調しようということでしょう。もちろんふと力を抜いたり、さりげないアクセントで曲の変化の面白さを炙り出してくるところはこれまで同様。力の抜き際のタッチの鮮やかさが徐々に印象的になり、曲にグイグイ引き込まれて行きます。最初の重さから徐々にキレてくる絶妙な演出。聴き進むうちにオコーナーの意図がなんとなくわかってきました。
ハイドンのソナタの緩徐楽章の中でも一二を争う美しい楽章。期待どおり、あまりの美しさに言葉になりません。この詩情あふれる楽章がオコーナーの手にかかると、美しさも極まり、一音一音が宝石のごとく輝きます。ピアノという楽器の素晴らしさを思い知らされる感じ。
フィナーレはアンダンテの余韻をすっと断ち切り、気配を一瞬にして変えるマジックのよう。全く異なる音楽の魅力を突合させるハイドンのアイデアとそれを鮮やかに演出するオコーナーの技にやられました。

Hob.XVI:48 Piano Sonata No.58 [C] (1787/9)
最後の曲は唯一晩年の曲。最後は余裕たっぷりに有名曲の演奏を楽しむスタンス。自分の指から繰り出される多彩な響きを自ら楽しんでいるよう。ピアノの余韻が消え入る美しさを存分に味わえます。聴き進むうちに後年の作曲であるアンダンテと変奏曲を先取りするような曲想を感じさせる大きな構えの音楽であることに気づきます。
そして、絶妙な軽さのタッチでのロンド。このタッチの変化の幅の大きさと自然さがオコーナーの魅力でしょう。重さも軽さも自在に使い分けながらピアノという楽器の表現の幅を生かしきった演奏。ハイドンだけにダイナミクスの表現の幅は上品な範囲でこなしていくところが良識的です。最後はカッチリとした響きで締めました。

ベテランピアニスト、ジョン・オコーナーによるハイドンのソナタ集。最初はオーソドックスな演奏かと思いきや、これは深い演奏です。途中で触れたように、最近聴いたエイナフ・ヤルデンやツィモン・バルト、デニス・コジュヒンなどハイドンの曲に潜む機知をアーティスティックに表現した演奏とは表現の方向が異なり、自然な美しさの範囲での表現ですが、円熟の技がもたらすその美しさはかなりのもの。ピアノメーカーであるスタインウェイがリリースするアルバムだけあって、ピアノという楽器がもつ響きの美しさを存分に活かした演奏となりました。これはこれで素晴らしいもの。非常に気に入りました。XVI:20も良かったんですが、その前のXVI:46は、この曲の素晴らしさを改めて知ることになった秀演です。もちろん評価は全曲[+++++]とします。

これほど美しい音色ゆえ、できればSACDでリリースすべきでしょうね。

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エミール・ギレリスのXVI:20 1962年ライヴ(ハイドン)

珍しいギレリスのハイドン。

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エミール・ギレリス(Emil Gilels)のピアノによるハイドンのピアノソナタHob.XVI:20、ベートーヴェンのピアノソナタ23番「熱情」、ショパンのピアノソナタ2番「葬送」、ラヴエルの「高雅にして感傷的なワルツ」の4曲を収めたアルバム。ハイドンの収録は1962年、プラハでのライヴをチェコスロバキア放送が収録したもの。レーベルは東芝EMIのVatava Classics。

ギレリスは有名なピアニストなのでご存知の方も多いでしょう。ただし、ハイドンを弾くという印象はあんまりない人。以前にギレリス、コーガン、ロストロポーヴィチによるピアノトリオの演奏を取り上げています。

2011/11/08 : ハイドン–室内楽曲 : ギレリス/コーガン/ロストロポーヴィチのピアノ三重奏曲

ギレリスは前にも触れたとおり、1916年ウクライナの黒海沿岸の街オデッサの生まれ。1929年に13歳でデビュー。1930年にオデッサ音楽院に入り、1933年には全ソ連ピアノコンクールに17歳で優勝します。卒業後はモスクワに移り、リヒテルと同じくゲンリフ・ネイガウスに師事。1938年、22歳でイザイ国際コンクールで優勝し、戦後の1947年からヨーロッパでの演奏を開始、1955年にアメリカデビュー、鋼鉄のタッチと称されます。亡くなったのは1985年とのこと。

手元にあるギレリスのアルバムはハイドンのピアノトリオの他は晩年にDGに録音したベートーヴェンの「悲愴」、13番、「月光」を収めたアルバムくらい。鋼鉄のタッチというよりは枯淡の境地という印象が残ってます。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1962年のライヴにしては透明感のあるピアノの音色。テープのコンディションからか、音程にほんのわずかの揺らぎがありますが気になるほどではありません。非常に落ち着いた入り。じっくり慈しむように入ります。鋼鉄のタッチと呼ばれた片鱗を感じる、一音一音の揺るぎないタッチ。凛とした気高さと磨き抜かれたピアノ美音を駆使してゆったりとハイドンの名ソナタのメロディーを置いていきます。遠くでわずかに会場ノイズが聞こえるのでライヴだとわかる程度。演奏自体はスタジオ録音と言われてもわからないほど落ち着いています。特に高音を美しく響かせることでクッキリとした音楽になります。曲が進むにつれて音に力が漲りさすがに名ピアニストと唸らされます。ハイドンのピアノソナタとしては異例の格調高さ。リヒテルの力感とはまた異なる品格。ここにきて鋼鉄のタッチと言われるのが腑に落ちた気がします。
好きな2楽章。響きの美しさで聴かせる演奏はこれまでにいろいろありましたが、ギレリスのピアノは音色で聴かせるのではなく落ち着き払った巨匠が繰り出す並々ならぬ迫力を聴かせるもの。静かな演奏なのにグイグイ来ます。じっくりとした音楽に不気味なほどの迫力が宿ります。やはり曲が進むにつれて、知らぬ間に力感がみなぎり、知らぬ間に圧倒されます。こんな心境になったのは初めて。
フィナーレでも落ち着きを失わず、一音一音をしっかりと演奏していきます。小細工的な要素は皆無。テンポも一貫して滔々と流れる大河のような雄大さ。しっかりとしたタッチから生まれるピアノの音の浸透力というか風圧に圧倒される感じ。ハイドンのソナタがこれほど神々しく響くとは。速いパッセージの指さばきも鮮やかなんですが、それをテクニックと感じさせない揺るぎない迫力。最後はすっと力が抜けて終わり、拍手が降り注ぎました。

いやいや、想定外の素晴らしさに驚きました。この演奏でギレリスの真価に触れた気がします。ハイドンのピアノソナタがこれほどまでに格調高く鳴り響くとは思いませんでした。まさに鋼鉄のタッチ。ギレリスの音楽の深さは、ベートーヴェンやブラームスならいざしらずハイドンの音楽をも峻厳なものにしています。ギレリスによってハイドンの名曲XVI:20の新たな魅力を知りました。もちろん評価は[+++++]とします。参りました!

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tag : ピアノソナタXVI:20 ヒストリカル ライヴ録音

アンドリュー・ワイルドのピアノソナタ集(ハイドン)

旅行記にかまけておりましたので久々のレビューとなってしまいました。ハイドンを愛する正規の読者の皆さん、あいすみません。今日はピアノソナタの名盤です。

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アンドリュー・ワイルド(Andrew Wilde)のピアノによるハイドンのピアノソナタ3曲(Hob.XVI:20、XVI:42、XVI:44)とアンダンテと変奏曲(Hob.XVII:6)の4曲を収めたアルバム。収録は1991年10月、ロンドンの北東約20kmのところにあるラフトン(Loughton)のセント・ジョーンズ教会でのセッション録音。レーベルは英Collins CLASSICS。

このアルバムもしばらく前から湖国JHさんに貸していただいているもの。なぜか当家のCDプレイヤーと相性が悪く、ちょっと音飛びするところがあるのですが、試行錯誤しているとMacなら聴けることがわかりました。演奏はピアノの美しい響きと静寂の織りなす綾をうまく表現した名演盤。ハイドンのピアノソナタを謙虚に弾きつつ、その真髄を極めた演奏といっていいでしょう。

演奏者のアンドリュー・ワイルドはまったく未知の人なので、ちょっと調べてみますが、ライナーノーツには奏者の情報がまったくありません。ということでいつものようにネットで調べた情報。1965年イギリス生まれのピアニストでマンチェスターのチェザム音楽学校、ロイヤル・ノーザン・カレッジで音楽を学び、ピアニストとしてはショパンを得意としている人。活動は主にイギリスやアメリカのようで、ロンドンフィルをはじめとするイギリスの主なオケとは共演履歴があります。いずれにしても日本で知っている方は少ないのではないでしょうか。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
教会での録音らしくピアノの余韻の美しい録音。ピアノの響きの透明感はかなりのもの。録音のマイク設定などが上手いのでしょう。ワイルドのピアノはオーソドックスな演奏ですが、自然な流れの中にもテンポをすっと落とすところのさりげない美しさ、高音のメロディーがすっと抜けるような爽やかさが感じられる実に品のいい演奏。よく聴くとかなりテンポを自在に操っているんですが、それと感じさせない自然さがあります。作為的に聞こえる感じは皆無。ピアノ自体が音楽を語っているような印象。速いパッセージの音階は非常に軽やかで音階の大きな起伏だけが目立ち、細かい音階は小々波のように聞こえます。このXVI:20はハイドンのソナタの中でも格別美しいメロディーがちりばめられていますが、その美しさの結晶のような演奏。1楽章から引き込まれます。
綺羅星の輝きのような美しさに打たれる2楽章。ワイルドの自然なタッチと作為のない佇まいは冒頭から澄み切った冬の夜空に天の川を眺めるがごとき至福のひととき。あまりの自然さ、凛とした美しさに言葉になりません。淡々と進むピアノから自然に詩情が滲み出てくる感じ。
その自然さをそのまま引き継いでフィナーレに入り、ピアノを美しく響かせながら自然な感興で適度にダイナミックに攻めてきます。冒頭から一貫したスタンスの演奏。川の流れのようにしなやかに表現を変えながらここまで滔々と音楽が流れます。最後はピアノ全体を鳴らしきって終了。これはいいですね。

Hob.XVI:42 Piano Sonata No.56 [D] (c.1783)
つづいて2楽章構成の曲。ピアノの響きの美しさを存分に味わえる曲。高音の響きの美しさを聴かせたかと思うと、中音、低音もそれに合わせて実に深い響きで呼応。どの音も実に立体的に鳴り響きます。鍵盤からこれほど彫刻的な音が紡ぎ出せるのが不思議なほど。音の隅々までコントロールされた至高の名演です。ブレンデル盤やアックス盤以上にピアノの響きの美しさに酔える演奏。
2楽章はあっという間に終わる短い曲ですが、忙しく上下する音階の合間に楔のように強音を挟んで、素晴らしい力感を見せつけます。あまりの展開の見事さに息を呑むほど。

Hob.XVI:44 Piano Sonata No.32 [g] (c.1771)
もう1曲2楽章構成の曲。今度は短調でリズムの面白さを聴かせる曲。なかなか巧みな選曲。ピアノの響きを美しく聴かせる曲をうまく選んでいる感じ。いい意味で弾き散らかすようなタッチの面白さを感じさせます。2楽章もリリカルな曲調が美音で際立ち、磨き抜かれた響きの中にメロディーがくっきりと漂う絶妙な音楽。ここまで完璧な演奏。この完成度は尋常ではありません。そしてピアノのコンディションも完璧。全てが調和した奇跡の瞬間のような音楽。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
最後は数多の名演ひしめく名曲。これまでの演奏からその出来についてはまったく不安はありません。どれほどの起伏と翳りの深さを聴かせてくれるのでしょうか。冒頭の入りはこのあとの展開を際立たせるためか、実に穏やかな入り。変奏が進むにつれて徐々に起伏が大きくなり、曲もうねりを伴って展開していきます。それでも自然さと、フレーズごとにしっかり休符をとって曲の構成を浮かび上がらせる手腕は前曲までと変わらぬレベル。オーソドックスではあってもこの名曲の名演に名を連ねるレベルに仕上がっています。

まったく未知の存在だったアンドリュー・ワイルドによるハイドンのピアノソナタ集ですが、ピアノから美しい響きを紡ぎ出すことにかけては一流どころに引けを取るどころか、十分勝負になる演奏。この人のアルバムはベートーヴェンのソナタ集の他数枚しかリリースされていないようですが、マーケットはこれほどの腕前のピアニストを見過ごしていたのでしょうか。ハイドンに関する限り、このアルバムはピアノソナタのおすすめ盤として、ブレンデルやアックス盤以上の魅力をもっています。評価は全曲[+++++]としておきます。

このアルバムをリリースしているCollins CLASSICSですが、このレーベル、ロバート・ハイドン・クラークの交響曲集など、ハイドンに関しては素晴らしいアルバムをリリースしており、ハイドンファンにはとりわけ重要なレーベルだと思います。こういう素晴らしいレーベルが生き残っていないのは大きな損失ですね。

2015/04/09 : ハイドン–弦楽四重奏曲 : ヴァンブラ弦楽四重奏団のラルゴ(ハイドン)
2010/07/19 : ハイドン–交響曲 : ロバート・ハイドン・クラークの交響曲集

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tag : ピアノソナタXVI:20 ピアノソナタXVI:42 ピアノソナタXVI:44 アンダンテと変奏曲XVII:6

キャロル・セラシのクラヴィコードによるXVI:20(ハイドン)

久しぶりクラヴィコードの深淵な響きを求めて手に入れたアルバムを聴きます。

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キャロル・セラシ(Carole Cerasi)のクラヴィコードによるC.P.E.バッハの小品4曲、ヨハン・ゴットフリート・ミューテルのアリオーソと12の変奏曲、モーツァルトのアダージョ(K.540)そしてハイドンのクラヴィーアソナタ(Hob.XVI:20)の7曲を収めたアルバム。収録はロンドン近郊のサリー(Surrey)にあるハッチランズ・パーク(Hatchlands Park)でのセッション録音。レーベルは英METRONOME。

キャロル・セラシのクラヴィコードによるハイドンはソナタ集を以前に取り上げています。奏者の情報は下の記事をご参照ください。

2013/03/02 : ハイドン–ピアノソナタ : キャロル・セラシのフォルテピアノ/クラヴィコードによるソナタ集

前のアルバムが2009年の録音であり、ハイドンばかりを集めたアルバムだったのに対し、その4年後の2013年にハイドンやモーツァルト、C.P.E.バッハなどハイドンと同時代の4人の作曲家の作品を集めて録音されたこのアルバム、タイトルには"Treasures of the Empfindsamkeit”との表記があり、いろいろ調べてみると「多感様式の重要作品」とでも訳すのでしょうか。Empfindsamkeitは文学や哲学におけるシュトルム・ウント・ドラング期の生まれる前の構図としての啓蒙主義の対極にあった心情主義、感傷主義のことを指すらしいのですが、音楽においてはC.P.E.バッハに代表される多感様式のことをのようです。そもそもその辺りを専門とするわけではないので本当のところはわかりませんが、このアルバムに収録された曲を聴く限り、それまでのバロック期からくらべると心情の赴くままに自在に作られた音楽の時代を感じるわけで、なにやらタイトルに合点がいくわけです。
ハイドンの前の時代の音楽も、ハイドンを聴いているわりにはちゃんと聴いてはいないのでC.P.E.バッハの音楽は新鮮で、同じバッハと名のつく作曲家としてはかなり斬新な曲調。クラヴィコードという響きの髄を聴くような楽器で奏でられているからかもしれませんが、繊細な響きの変化に耳を奪われます。そしてミューテルの変奏曲も展開の面白さに引き込まれます。そしておなじみのモーツァルトのロ短調のアダージョは、フォルテピアノやハープシコードで弾かれるよりも、音楽がダイナミックに聞こえます。もちろん実際の音量はずっと小さいわけですが、耳を澄まして聴く響きのエッセンスや響きの変化がそう感じさせるわけです。最初に聴いた印象よりも、何度か聴くうちにクラヴィコード独特の世界に慣れて、実に深い音楽に聴こえます。さて、肝心のハイドン。このXVI:20はピアノソナタの中でも独特の美しさをもつ2楽章のアンダンテが好きでよく聴く曲ですが、ハイドンの数多の曲からこの曲が選ばれたということは、やはりこの2楽章の響きの変化の面白さからだと想像してます。このアルバムのコンセプトにピタリとはまる選曲と言わざるを得ません。楽器は1784年製のクリスチャン・ゴットヘルフ・ホフマン(Christian Gotthelf Hoffmann)。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1楽章の始まりから、クラヴィコードの繊細な響きの面白さにうっとり。ヴォリュームを上げて聴くと眼前にクラヴィコードの響きが浮かぶよう。クラヴィコードの録音はあまりの音量の低さに暗騒音のようなものが付きまとうことが多いのですが、このアルバムの録音は森の中の一軒家のような場所だけに、静寂のなかにクラヴィコードの美しい響きがしっかりと録られて、録音も見事。強音はしっかりアクセントがつけられて迫力もあります。音が歪むことなく、クラヴィコードの美しい響きが保たれます。音域ごとに変化する音色。そして強弱による音色の変化。キータッチが直に音になる面白さ。そしてキャロル・セラシの確信に満ちた音楽。これまで聴いたなかではデレク・アドラム盤のクラヴィコードが最も印象に残っていますが、このアルバムの演奏はそれに勝るとも劣らないもの。か弱さがないのがポイントでしょうか。
聴きどころの2楽章の美しさはピアノで聴くのと全く異なるもの。ピアノではきらめくようなメロディーの美しさに耳がとらわれますが、クラヴィコードでは逆に仄暗い繊細な響きの変化にスポットライトが当たります。特に左手の伴奏の面白さに初めて気付きました。あえてクラヴィコードでこの曲を演奏する理由がなんとなく飲み込めました。中盤から終盤の盛り上がるところの迫力もまったく問題ありません。むしろ強音でほんの少し音程が下がるところが逆に迫力を増して聴こえるほど。
フィナーレに入るとタッチのキレが際立ち、クラヴィコードという楽器のハンデを全く感じさせません。中低域の音のちょっと本つくようなコミカルな響きがかえって面白く、楽器全体が様々に共鳴するのを全身で受け止める感じ。

キャロル・セラシのクラヴィコードによる、ハイドンの名曲Hob.XVI:20。クラヴィコードという楽器の面白さを存分に生かした演奏。ピアノによるこの曲もいいですが、クラヴィコードの実に繊細、雅な響きも悪くありません。このアルバム、デレク・アドラム盤と並んで、クラヴィコードの面白さを知るには絶好のもの。選曲、録音、演奏とも揃った名盤です。特にクラヴィコードの響きを楽しむには録音の良さは必須条件ですね。評価は[+++++]を進呈です。クラヴィコードの面白さに開眼したい方、是非聴いてみてください!

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テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:20

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Author:Daisy

なぜかハイドン(Franz Joseph Haydn)が特に気に入り膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。東京在住のごく普通のサラリーマンです。

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2017年7月のデータ(2017年7月31日)
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