ギルバート・カリッシュのピアノソナタ集(ハイドン)

ピアノソナタのLPが続きます。

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ギルバート・カリッシュ(Gilbert Kalish)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ3曲(Hob.XVI:20、XVI:40、XVI:23)、アリエッタと12の変奏(Hob.XVII:3)の合わせて4曲を収めたLP。収録は1978年5月、ニューヨークでのセッション録音。レーベルは米nonesuch。

こちらも先日ディスクユニオンの店頭で発見し仕入れたもの。このアルバムの存在は知ってはいたものの今まで出会うことなくきたため、売り場で見かけた時にはちょっと呼吸が乱れました(笑)。そもそもの発端は次の記事をご参照ください。

2014/11/09 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】ギルバート・カリッシュのピアノソナタXVI:52(ハイドン)

新譜としてリリースされた老年のギルバート・カリッシュのアルバムですが、これが、、老いたカリッシュが奥さんの愛した曲をまとめたという、心温まるプロダクションで、なんとなく心に残る演奏でした。その記事でカリッシュのことを調べていた際、ハイドンの録音もかなりあるということがわかりましたので、以来見つけたら手に入れようとずっと思ったまま、出会わずに来た次第。今回手に入れたLPはプロモーション用の非売品とのシールが貼られたものでしたが、タイトルは「ヨゼフ・ハイドンのピアノ音楽第4巻」とあり、ライナーノーツには第1巻から3巻までの収録曲も掲載され、カリッシュのハイドンの録音の全容も判明しました。

カリッシュの略歴などは上の記事を参照いただくとして、早速針を落とすと、実に慈しみ深く、美しい響きにいきなり耳を奪われました。LPのコンディションも悪くなく美しいピアノの音色を存分に堪能できる状態!

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
録音のせいか、妙にしみる音色。眼前にピアノの美しい響きが広がります。nonesuchといえばワンポイント録音で名を馳せたレーベルゆえ、録音の自然さは見事なレベル。テンポは遅めで一音一音を慈しむようにゆったりと弾いていきます。まるで大切な宝石を一つ一つ数えていくようなタッチ。晩年のカリッシュの演奏の原点がここにあると知り、ちょっと感動的。これだけ音を大切にするタッチは滅多にありません。そして紡ぎ出される音楽は人の温もりの伝わる音楽。カリッシュ40代の演奏にしては枯れすぎかもしれませんが、これが彼のスタイルなのでしょう。
続く2楽章は、ハイドンのソナタの中でも最も美しいアンダンテの一つですが、カリッシュの訥々としたタッチで聴くこの曲はその素朴な美しさが最も自然に表された名演奏と言っていいでしょう。美しい音色やタッチなど技術的なことに対する執着は皆無で、純粋無垢な響きが自然に滔々と湧き出てくる音楽。飾り気なく淡々と弾き進めるカリッシュの真面目な音楽に心を洗われるよう。
フィナーレでもピアノが美しく響く範囲で優しいタッチから音楽が紡ぎ出されていきます。力むことを知らないカリッシュの音楽は心地よさを失いません。1曲目から素晴らしい演奏がジワリと沁みてきます。

Hob.XVI:40 Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
続く曲はまるでそよ風のような心地良さで入ります。ことさらサラサラとしたタッチでサクサクと進めることで曲の素朴な味わいが活きてきます。この曲では特に高音のタッチの透明感、キラメキが素晴らしい。時折り輝く高音がアクセントになって、力を入れるところはないのに音楽がくっきりと浮かび上がります。ピアノの響きを知り尽くした奏者による円熟の技。
この曲は2楽章構成。常に軽さを帯びたタッチが紡ぎ出す音楽の軽妙さがカリッシュの音楽のベースにあるよう。力任せでは音楽は弾まないとでも言いたげな軽妙洒脱な展開にうっとり。速い音階も技術を誇示することなく、実に自然流麗なもの。非常に滑らかな音階によってハイドンの音楽が自然に磨かれ、素朴な美しさを纏います。この曲も見事。

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Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
レコードを裏返して3曲目。すでにカリッシュの素晴らしい演奏にノックアウトされていますので、あとは純粋に楽しむだけ。落ち着いたタッチから繰り出される自然に磨かれた音楽の美しさに酔いしれます。1楽章の起こりに2楽章の沈み。特にこのアダージョも全曲同様美しい表情を持つだけに、カリッシュのタッチによって自然な美しさの極みに達します。耳を澄ますと、フレーズごとに大きな起伏をつけて弾いており、素朴に響くもののかなりの表現力を駆使しての演奏であることがわかります。慈しみ深いハイドンのソナタの演奏の代表格と言っていいでしょう。そしてフィナーレのリズムの面白さも秀逸。軽々とこなしていくので爽やかさまで纏いますが、やはりかなりの表現力があってのことですね。

Hob.XVII:3 Arietta con 12 variazioni [E flat] (early 1770's)
最後は変奏曲。力の抜けたカリッシュのタッチにより、まずはメロディーがいきなり枯れた美しさで驚かせます。そして変奏が始まると、フレーズごとに表情がくっきりと浮かび上がるところはカリッシュの表現力の面目躍如。冒頭から孤高の美しさを発散し続けます。この曲に入ってカリッシュのタッチは冴え渡り、フレーズの一つ一つが素晴らしい生命力を帯び、すでに神がかっています。これまで見せなかった大胆なタッチと息の長い休符を織り交ぜて演奏は自在の極地へ。変奏とはこのように弾くべしとのカリッシュの心情がハイドンの曲に乗り移ったような、カリッシュにしかできない演奏。いやいや、これは絶品です。

探し求めていた若き日のギルバート・カリッシュのソナタ集。晩年の演奏も感動的でしたが、実は若い頃から感動的な演奏をする人でした。全曲素晴らしいんですが、中でも最後のアリエッタと12の変奏はこれまで聴いたどの演奏より素晴らしい、超名演です。間違いなくこの曲のベスト盤としてよいでしょう。残念ながらこの素晴らしいLPを手に入れるのは難しいでしょうが、本家nonesuchのウェブサイトを見ると2009年のハイドン没後200年を記念してmp3で再発売されていますので、聴くことはできるでしょう。評価は全曲[+++++]とします。

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【新着】ベルント・グレムザーのピアノソナタ集(ハイドン)

またまたピアノソナタのアルバム。

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ベルント・グレムザー(Bernd Glemser)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ5曲(Hob.XVI:20、XVI:32、XVI:34、XVI:36、XVI:44)を収めたアルバム。収録は2015年12月1日から3日かけて、ミュンヘンのバイエルン放送第2スタジオでのセッション録音。レーベルは独OEHMS CLASSICS。バイエルン放送との共同制作盤。

ジャケットには"Sonaten in Moll"「短調のソナタ」と書かれており、文字どおりハイドンのソナタの中から短調のソナタを集めて録音したアルバム。あらためてこのアルバムに収録された曲のホーボーケン番号を並べて見ると、個人的には好きな曲ばかりが並んでいることに気づきますが、これは短調の曲だったわけですね。モーツァルトの場合も同様ですが、古典期の作品では短調の曲は少ないのですが、やはり独特の翳りを持ついい曲が多いんですね。

奏者のベルント・グレムザーは1962年、ドイツ南部、フライブルク東方の街、デュルプハイム(Dürbheim)生まれのピアニスト。7歳からピアノをはじめ、学生時代からロシア出身のピアニストヴィターリ・マルグリスに師事、1987年にミュンヘン国際音楽コンクールに入賞してから世界的に活躍するようになりました。以降教育者としてもザールラント高等音楽学校、ヴュルツブルク高等音楽学校などで教えています。最近ではNAXOSからプロコフィエフ、ラフマニノフ、チャイコフスキーなどのソナタをかなりの枚数リリースしておりご存知の方も多いかもしれません。

イェネ・ヤンドーとともにNAXOSの看板ピアニスト的存在と言うことで、実力はありそうですが、果たしてハイドンを如何に料理してくるのか、興味津々です。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
予想通りというか、NAXOSに多く録音を残している人とのイメージにぴったりの演奏。そしてピアノの教育者らしい、端正かつ正確な演奏と言えばいいでしょうか。テンポは中庸、力まず適度な力感で曲の構造を楽譜通りにトレースしていく感じが心地よい演奏です。この短調の名曲は、もう少し情緒的に演奏することが多いのですが、比較的あっさりと演奏することで、ハイドンらしい爽やかさを感じさせます。
期待の2楽章は、美しさの際立つ楽章で、丁寧に美しさを際立たせる演奏が多い中、グレムザーはあえて逆にあっさりとした演奏できました。アンダンテ・コン・モートとという「気楽にのんびりと」という気楽さの表現が「さりげない美しさを」感じさせるもの。このアンダンテ・コン・モートという指定の解釈の仕方に触発されたものかはわかりませんが、よく聴くこの曲の美しい演奏とは対照的に禁欲的なまでにあっさりときました。
そして3楽章のアレグロもアッサリとした表現に徹して、サラサラと流れていく演奏。聴き進めていくうちに、小手先の表現ではなくハイドンの音楽自体に潜む魅力を引き出すためにあえて淡々と弾き進めるグレムザーの意図が見えてきます。表現の方向は異なりますが、スタイルとしてはオルベルツのアプローチに近いでしょうか。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
グレムザーのスタイルがなんとなく見えてきたところで、またまた有名曲。ピアノ教師としての矜持を感じさせる鮮やかなタッチで短調の曲を磨きこんで、やはり淡々と弾き進めて行きます。テンポは一貫しており推進力を感じさせるほどグイグイと弾いて行きますが、その中にフレーズごとのメリハリをくっきりと表現していくところは流石。折り目正しく、端正で品格を感じさせる演奏と言えばいいでしょうか。
前曲の2楽章ほど禁欲的ではなく、程よくリラックスしたメヌエット。そしてフィナーレも鮮やかなタッチでキレの良い演奏。速いパッセージのタッチの鮮やかさはかなりのもの。前曲でのかなり禁欲的な演奏よりは一般的な演奏に近い表現に感じますが、それでもテンポを揺らさず一貫した表現で通すところがグレムザーらしいところ。

Hob.XVI:34 Piano Sonata No.53 [e] (c.1782)
低音のリズムと音階の面白さが独特の入りの曲ですが、曲自体の面白さに語らせようとするグレムザーのスタイルは変わらず、あえて淡々としながらも、ここはアクセントをかなり効かせてタッチの冴えを印象付けます。正確無比なタッチでハイドンの独特の音楽を弾き進めていくことに快感を感じているのではないかと思わせる鮮やかな手腕。相当のテクニックがなければこれだけの鮮やかさは表現できないと思います。だんだんグレムザーの音楽にハマってきました。
これまでの中間楽章の中では一番美しさにこだわった演奏に聴こえるアダージョ。なんとなくテンポの指定に忠実な演奏を心がけているよう。アダージョらしいリラックスした表現。そう思うとこれまでの中間楽章はアンダンテ・コン・モートやメヌエットでしたので、その指定に忠実に弾き分けているようです。
そして、3楽章はヴィヴァーチェ・モルト。活発に速くとの指定通りに活気ある演奏。

Hob.XVI:36 Piano Sonata No.49 [c sharp] (before 1780)
1楽章のモデラートはこのアルバムでは最も自在さを感じさせる演奏。タッチに遊びを感じさせ、アクセントも恣意的で表現意欲を感じさせます。曲が進むにつれてこの曲に仕込まれた機知に反応してどんどん表現が果敢になっていくのが面白いところ。ハイドンの仕掛けたアイデアにつられてグレムザーも気を許してきた感じ。音楽の純度が上がり、それにつれてグレムザーの心境も澄み渡っていくのがわかります。弱音部の澄み渡り方は絶品。
この曲を聴くたびに1楽章との繋がりの意外性を感じる2楽章。ここでも淡々とした入りから徐々に表現が深くなっていき、軽妙なタッチを織り交ぜ、アルバム前半の推進力溢れる演奏とは全く異なる自在さを感じさせます。
そして3楽章のメヌエット。トリオを挟んで両端がメヌエットなんですが、そのメヌエットが静謐ななかなかの演奏。深いですね。

Hob.XVI:44 Piano Sonata No.32 [g] (c.1771)
このアルバム最後の曲ですが、作曲年代が最も古い曲。この曲のみ2楽章構成。前曲で意外にも表現の深さを感じさせたあと、明快な曲想で締めくくろうということでしょうか。そう感じさせたのは最初だけで、徐々に表現が深くなり、フレーズごとの表現の幅も広がっていきます。じわりと伝わる曲の面白さ。
そして2楽章は軽々とメロディーを転がしながらサラサラと弾き進めていくうちに曲の面白さが浮かび上がるなかなかの名演奏でした。

ベルント・グレムザーによるハイドンの短調のソナタを5曲集めたアルバム。セッション録音ゆえ収録曲順に録音したかもわかりませんが、最初の2曲はまるでピアノ教師が見本に演奏するようなカッチリとした演奏。特に2楽章の美しさで知られる最初のXVI:20は表現意欲を封印したかのように禁欲的かつ一貫してあっさりとした演奏。それが3曲目からは徐々に表現が冴えてきて後半2曲は最初とはかなり異なり自在な表現の深さが光る演奏。同じ短調のソナタでも色々な表現ができることを示すような演奏でした。評価ははじめの2曲、XVI:20とXVI32が[++++]、以降3曲が[+++++]とします。これはこれでなかなか面白いアルバムでした。このような表現の幅を楽しめるベテランの方向けのアルバムですね。

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【新着】ジョン・オコーナーのピアノソナタ集(ハイドン)

今日はピアノの美しい響きをとことん味わえるアルバム。

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ジョン・オコーナー(John O'Conor)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ5曲(Hob.XVI:32、XVI:23、XVI:46、XVI:20、XVI:23)を収めたアルバム。収録は2016年8月29日、ニューヨークのスタインウェイホールでのセッション録音。レーベルはピアノで有名なSTEINWAY & SONS。

最近リリースされたアルバムをチェックしていて、何気なく手に入れたアルバムですが、ピアノメーカーのスタインウェイが自らリリースしているアルバムということで、ちょっと気になる存在でした。世界中の一流のピアニストに弾かれる楽器ゆえ、多くのピアニストの中から、スタインウェイの美音を最も美しく響かせる演奏に違いないとの想像力も働きます。

ピアニストのジョン・オコーナーは1947年、アイルランドのダブリン生まれのピアニストで教育者。ダブリンのベルヴェデーレ・カレッジでピアノを学んだ後、オーストリア政府の奨学金でウィーンに留学、ディーター・ウェーバーの元で学びました。その間、ケンプにベートーヴェンの演奏の教えを受け、1973年にウィーンで開催された国際ベートーヴェンピアノコンクールで優勝、1975年にはベーゼンドルファーコンクールで優勝し、世界に知られるようになったとのこと。今回アルバムをリリースしているスタインウェイとはライバル関係にあるベーゼンドルファーのコンクールで優勝しているのも何かの因果でしょうか(笑)

これまでにリリースされているアルバムを調べてみると、TELARKレーベルからベートーヴェンのピアノソナタ全集、協奏曲全集、モーツァルトの協奏曲全集などがリリースされており、やはりベートーヴェンを得意としているようですね。

ということで、早速聴いてみます。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
流石に最新の録音だけあってピアノの臨場感は素晴らしいものがあります。自然な響きと鍵盤の重みが伝わってくるような録音。このところエイナフ・ヤルデンやツィモン・バルト、デニス・コジュヒンなど、ハイドンの機知をアーティスティックに表現したピアノを聴いてきましたが、このジョン・オコーナーは実にオーソドックスで変な自己顕示欲は皆無。淡々とハイドンの書いた音楽をピアノに乗せていく感じの演奏で、安心して演奏を楽しむことができます。オコーナー自身もリラックスして演奏を楽しんでいる感じ。かといってオルベルツほど枯れてもおらず、程よくバランスのとれた演奏。先生が楽しげに見本で演奏しているような感じ。この「楽しげに」というのが大事なところ。タッチが精緻を極めるわけでもなく、このすっかりリラックスしてストイックさとは無縁の表情がハイドンの面白さを引き立てるわけです。

Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
軽いタッチで入る曲。まるで朝飯前だとでも言いだしそうなカジュアルな入り。これが曲想にピタリ。よく聴くと一音一音が磨かれていて、流石にピアノの音色は絶品です。1楽章は流れるように一貫して軽めにサカサカ弾き進めていくのが乙なところ。
素晴らしいのが続くアダージョ。軽さを保ちながらも、ぐいぐい響きが深く変化して行きます。デリケートな表情の変化に引き込まれます。音の長さを絶妙にコントロールして曲の一貫性を保ちながら表情を変えていく表現が素晴らしい。
そして軽いフィナーレ。同じ軽さでもわずかな曇りを帯びさせて曲想に合わせているのがわかります。ピアノの響きをリアルに伝える録音だからこそ、こうしたデリケートな変化を味わえます。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
同じく軽くくるのかと思いきや、実に滑らかしっとりとした表情にハッとさせられます。ピアノの響きの表情の変化を実に巧みに表現してくる、さすがスタインウェイという演奏。ふとしたフレーズの切り替えのアクセントの一音の変化で響きが実に新鮮に聴こえます。こうしたところを控え目にさりげなく挟んでくるのが流石なところ。静寂の中に浮かび上がるハイドンのメロディーの美しさが際立ちます。徐々にタッチがチョコがとろけるように流れ出したり、千変万化するオコーナーのタッチに聴き惚れます。この曲からこれまで聴いたことのないような多彩な響きがあふれ出します。
前曲同様、アダージョの美しさは絶品。とりわけピアノの響きの美しさは鳥肌もの。凜と澄んだ夜空に浮かぶ天の川を眺めるよう。細かい星雲に無数の表情が宿り、美しい音楽が心に刺さります。
対比のためにあえて繊細さを避けるようにグイグイとくるフィナーレで曲を引き締めます。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きな曲。入りは意外に少し重め。この短調の入りを厳かなコントラストで強調しようということでしょう。もちろんふと力を抜いたり、さりげないアクセントで曲の変化の面白さを炙り出してくるところはこれまで同様。力の抜き際のタッチの鮮やかさが徐々に印象的になり、曲にグイグイ引き込まれて行きます。最初の重さから徐々にキレてくる絶妙な演出。聴き進むうちにオコーナーの意図がなんとなくわかってきました。
ハイドンのソナタの緩徐楽章の中でも一二を争う美しい楽章。期待どおり、あまりの美しさに言葉になりません。この詩情あふれる楽章がオコーナーの手にかかると、美しさも極まり、一音一音が宝石のごとく輝きます。ピアノという楽器の素晴らしさを思い知らされる感じ。
フィナーレはアンダンテの余韻をすっと断ち切り、気配を一瞬にして変えるマジックのよう。全く異なる音楽の魅力を突合させるハイドンのアイデアとそれを鮮やかに演出するオコーナーの技にやられました。

Hob.XVI:48 Piano Sonata No.58 [C] (1787/9)
最後の曲は唯一晩年の曲。最後は余裕たっぷりに有名曲の演奏を楽しむスタンス。自分の指から繰り出される多彩な響きを自ら楽しんでいるよう。ピアノの余韻が消え入る美しさを存分に味わえます。聴き進むうちに後年の作曲であるアンダンテと変奏曲を先取りするような曲想を感じさせる大きな構えの音楽であることに気づきます。
そして、絶妙な軽さのタッチでのロンド。このタッチの変化の幅の大きさと自然さがオコーナーの魅力でしょう。重さも軽さも自在に使い分けながらピアノという楽器の表現の幅を生かしきった演奏。ハイドンだけにダイナミクスの表現の幅は上品な範囲でこなしていくところが良識的です。最後はカッチリとした響きで締めました。

ベテランピアニスト、ジョン・オコーナーによるハイドンのソナタ集。最初はオーソドックスな演奏かと思いきや、これは深い演奏です。途中で触れたように、最近聴いたエイナフ・ヤルデンやツィモン・バルト、デニス・コジュヒンなどハイドンの曲に潜む機知をアーティスティックに表現した演奏とは表現の方向が異なり、自然な美しさの範囲での表現ですが、円熟の技がもたらすその美しさはかなりのもの。ピアノメーカーであるスタインウェイがリリースするアルバムだけあって、ピアノという楽器がもつ響きの美しさを存分に活かした演奏となりました。これはこれで素晴らしいもの。非常に気に入りました。XVI:20も良かったんですが、その前のXVI:46は、この曲の素晴らしさを改めて知ることになった秀演です。もちろん評価は全曲[+++++]とします。

これほど美しい音色ゆえ、できればSACDでリリースすべきでしょうね。

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エミール・ギレリスのXVI:20 1962年ライヴ(ハイドン)

珍しいギレリスのハイドン。

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エミール・ギレリス(Emil Gilels)のピアノによるハイドンのピアノソナタHob.XVI:20、ベートーヴェンのピアノソナタ23番「熱情」、ショパンのピアノソナタ2番「葬送」、ラヴエルの「高雅にして感傷的なワルツ」の4曲を収めたアルバム。ハイドンの収録は1962年、プラハでのライヴをチェコスロバキア放送が収録したもの。レーベルは東芝EMIのVatava Classics。

ギレリスは有名なピアニストなのでご存知の方も多いでしょう。ただし、ハイドンを弾くという印象はあんまりない人。以前にギレリス、コーガン、ロストロポーヴィチによるピアノトリオの演奏を取り上げています。

2011/11/08 : ハイドン–室内楽曲 : ギレリス/コーガン/ロストロポーヴィチのピアノ三重奏曲

ギレリスは前にも触れたとおり、1916年ウクライナの黒海沿岸の街オデッサの生まれ。1929年に13歳でデビュー。1930年にオデッサ音楽院に入り、1933年には全ソ連ピアノコンクールに17歳で優勝します。卒業後はモスクワに移り、リヒテルと同じくゲンリフ・ネイガウスに師事。1938年、22歳でイザイ国際コンクールで優勝し、戦後の1947年からヨーロッパでの演奏を開始、1955年にアメリカデビュー、鋼鉄のタッチと称されます。亡くなったのは1985年とのこと。

手元にあるギレリスのアルバムはハイドンのピアノトリオの他は晩年にDGに録音したベートーヴェンの「悲愴」、13番、「月光」を収めたアルバムくらい。鋼鉄のタッチというよりは枯淡の境地という印象が残ってます。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1962年のライヴにしては透明感のあるピアノの音色。テープのコンディションからか、音程にほんのわずかの揺らぎがありますが気になるほどではありません。非常に落ち着いた入り。じっくり慈しむように入ります。鋼鉄のタッチと呼ばれた片鱗を感じる、一音一音の揺るぎないタッチ。凛とした気高さと磨き抜かれたピアノ美音を駆使してゆったりとハイドンの名ソナタのメロディーを置いていきます。遠くでわずかに会場ノイズが聞こえるのでライヴだとわかる程度。演奏自体はスタジオ録音と言われてもわからないほど落ち着いています。特に高音を美しく響かせることでクッキリとした音楽になります。曲が進むにつれて音に力が漲りさすがに名ピアニストと唸らされます。ハイドンのピアノソナタとしては異例の格調高さ。リヒテルの力感とはまた異なる品格。ここにきて鋼鉄のタッチと言われるのが腑に落ちた気がします。
好きな2楽章。響きの美しさで聴かせる演奏はこれまでにいろいろありましたが、ギレリスのピアノは音色で聴かせるのではなく落ち着き払った巨匠が繰り出す並々ならぬ迫力を聴かせるもの。静かな演奏なのにグイグイ来ます。じっくりとした音楽に不気味なほどの迫力が宿ります。やはり曲が進むにつれて、知らぬ間に力感がみなぎり、知らぬ間に圧倒されます。こんな心境になったのは初めて。
フィナーレでも落ち着きを失わず、一音一音をしっかりと演奏していきます。小細工的な要素は皆無。テンポも一貫して滔々と流れる大河のような雄大さ。しっかりとしたタッチから生まれるピアノの音の浸透力というか風圧に圧倒される感じ。ハイドンのソナタがこれほど神々しく響くとは。速いパッセージの指さばきも鮮やかなんですが、それをテクニックと感じさせない揺るぎない迫力。最後はすっと力が抜けて終わり、拍手が降り注ぎました。

いやいや、想定外の素晴らしさに驚きました。この演奏でギレリスの真価に触れた気がします。ハイドンのピアノソナタがこれほどまでに格調高く鳴り響くとは思いませんでした。まさに鋼鉄のタッチ。ギレリスの音楽の深さは、ベートーヴェンやブラームスならいざしらずハイドンの音楽をも峻厳なものにしています。ギレリスによってハイドンの名曲XVI:20の新たな魅力を知りました。もちろん評価は[+++++]とします。参りました!

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tag : ピアノソナタXVI:20 ヒストリカル ライヴ録音

アンドリュー・ワイルドのピアノソナタ集(ハイドン)

旅行記にかまけておりましたので久々のレビューとなってしまいました。ハイドンを愛する正規の読者の皆さん、あいすみません。今日はピアノソナタの名盤です。

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アンドリュー・ワイルド(Andrew Wilde)のピアノによるハイドンのピアノソナタ3曲(Hob.XVI:20、XVI:42、XVI:44)とアンダンテと変奏曲(Hob.XVII:6)の4曲を収めたアルバム。収録は1991年10月、ロンドンの北東約20kmのところにあるラフトン(Loughton)のセント・ジョーンズ教会でのセッション録音。レーベルは英Collins CLASSICS。

このアルバムもしばらく前から湖国JHさんに貸していただいているもの。なぜか当家のCDプレイヤーと相性が悪く、ちょっと音飛びするところがあるのですが、試行錯誤しているとMacなら聴けることがわかりました。演奏はピアノの美しい響きと静寂の織りなす綾をうまく表現した名演盤。ハイドンのピアノソナタを謙虚に弾きつつ、その真髄を極めた演奏といっていいでしょう。

演奏者のアンドリュー・ワイルドはまったく未知の人なので、ちょっと調べてみますが、ライナーノーツには奏者の情報がまったくありません。ということでいつものようにネットで調べた情報。1965年イギリス生まれのピアニストでマンチェスターのチェザム音楽学校、ロイヤル・ノーザン・カレッジで音楽を学び、ピアニストとしてはショパンを得意としている人。活動は主にイギリスやアメリカのようで、ロンドンフィルをはじめとするイギリスの主なオケとは共演履歴があります。いずれにしても日本で知っている方は少ないのではないでしょうか。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
教会での録音らしくピアノの余韻の美しい録音。ピアノの響きの透明感はかなりのもの。録音のマイク設定などが上手いのでしょう。ワイルドのピアノはオーソドックスな演奏ですが、自然な流れの中にもテンポをすっと落とすところのさりげない美しさ、高音のメロディーがすっと抜けるような爽やかさが感じられる実に品のいい演奏。よく聴くとかなりテンポを自在に操っているんですが、それと感じさせない自然さがあります。作為的に聞こえる感じは皆無。ピアノ自体が音楽を語っているような印象。速いパッセージの音階は非常に軽やかで音階の大きな起伏だけが目立ち、細かい音階は小々波のように聞こえます。このXVI:20はハイドンのソナタの中でも格別美しいメロディーがちりばめられていますが、その美しさの結晶のような演奏。1楽章から引き込まれます。
綺羅星の輝きのような美しさに打たれる2楽章。ワイルドの自然なタッチと作為のない佇まいは冒頭から澄み切った冬の夜空に天の川を眺めるがごとき至福のひととき。あまりの自然さ、凛とした美しさに言葉になりません。淡々と進むピアノから自然に詩情が滲み出てくる感じ。
その自然さをそのまま引き継いでフィナーレに入り、ピアノを美しく響かせながら自然な感興で適度にダイナミックに攻めてきます。冒頭から一貫したスタンスの演奏。川の流れのようにしなやかに表現を変えながらここまで滔々と音楽が流れます。最後はピアノ全体を鳴らしきって終了。これはいいですね。

Hob.XVI:42 Piano Sonata No.56 [D] (c.1783)
つづいて2楽章構成の曲。ピアノの響きの美しさを存分に味わえる曲。高音の響きの美しさを聴かせたかと思うと、中音、低音もそれに合わせて実に深い響きで呼応。どの音も実に立体的に鳴り響きます。鍵盤からこれほど彫刻的な音が紡ぎ出せるのが不思議なほど。音の隅々までコントロールされた至高の名演です。ブレンデル盤やアックス盤以上にピアノの響きの美しさに酔える演奏。
2楽章はあっという間に終わる短い曲ですが、忙しく上下する音階の合間に楔のように強音を挟んで、素晴らしい力感を見せつけます。あまりの展開の見事さに息を呑むほど。

Hob.XVI:44 Piano Sonata No.32 [g] (c.1771)
もう1曲2楽章構成の曲。今度は短調でリズムの面白さを聴かせる曲。なかなか巧みな選曲。ピアノの響きを美しく聴かせる曲をうまく選んでいる感じ。いい意味で弾き散らかすようなタッチの面白さを感じさせます。2楽章もリリカルな曲調が美音で際立ち、磨き抜かれた響きの中にメロディーがくっきりと漂う絶妙な音楽。ここまで完璧な演奏。この完成度は尋常ではありません。そしてピアノのコンディションも完璧。全てが調和した奇跡の瞬間のような音楽。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
最後は数多の名演ひしめく名曲。これまでの演奏からその出来についてはまったく不安はありません。どれほどの起伏と翳りの深さを聴かせてくれるのでしょうか。冒頭の入りはこのあとの展開を際立たせるためか、実に穏やかな入り。変奏が進むにつれて徐々に起伏が大きくなり、曲もうねりを伴って展開していきます。それでも自然さと、フレーズごとにしっかり休符をとって曲の構成を浮かび上がらせる手腕は前曲までと変わらぬレベル。オーソドックスではあってもこの名曲の名演に名を連ねるレベルに仕上がっています。

まったく未知の存在だったアンドリュー・ワイルドによるハイドンのピアノソナタ集ですが、ピアノから美しい響きを紡ぎ出すことにかけては一流どころに引けを取るどころか、十分勝負になる演奏。この人のアルバムはベートーヴェンのソナタ集の他数枚しかリリースされていないようですが、マーケットはこれほどの腕前のピアニストを見過ごしていたのでしょうか。ハイドンに関する限り、このアルバムはピアノソナタのおすすめ盤として、ブレンデルやアックス盤以上の魅力をもっています。評価は全曲[+++++]としておきます。

このアルバムをリリースしているCollins CLASSICSですが、このレーベル、ロバート・ハイドン・クラークの交響曲集など、ハイドンに関しては素晴らしいアルバムをリリースしており、ハイドンファンにはとりわけ重要なレーベルだと思います。こういう素晴らしいレーベルが生き残っていないのは大きな損失ですね。

2015/04/09 : ハイドン–弦楽四重奏曲 : ヴァンブラ弦楽四重奏団のラルゴ(ハイドン)
2010/07/19 : ハイドン–交響曲 : ロバート・ハイドン・クラークの交響曲集

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tag : ピアノソナタXVI:20 ピアノソナタXVI:42 ピアノソナタXVI:44 アンダンテと変奏曲XVII:6

キャロル・セラシのクラヴィコードによるXVI:20(ハイドン)

久しぶりクラヴィコードの深淵な響きを求めて手に入れたアルバムを聴きます。

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キャロル・セラシ(Carole Cerasi)のクラヴィコードによるC.P.E.バッハの小品4曲、ヨハン・ゴットフリート・ミューテルのアリオーソと12の変奏曲、モーツァルトのアダージョ(K.540)そしてハイドンのクラヴィーアソナタ(Hob.XVI:20)の7曲を収めたアルバム。収録はロンドン近郊のサリー(Surrey)にあるハッチランズ・パーク(Hatchlands Park)でのセッション録音。レーベルは英METRONOME。

キャロル・セラシのクラヴィコードによるハイドンはソナタ集を以前に取り上げています。奏者の情報は下の記事をご参照ください。

2013/03/02 : ハイドン–ピアノソナタ : キャロル・セラシのフォルテピアノ/クラヴィコードによるソナタ集

前のアルバムが2009年の録音であり、ハイドンばかりを集めたアルバムだったのに対し、その4年後の2013年にハイドンやモーツァルト、C.P.E.バッハなどハイドンと同時代の4人の作曲家の作品を集めて録音されたこのアルバム、タイトルには"Treasures of the Empfindsamkeit”との表記があり、いろいろ調べてみると「多感様式の重要作品」とでも訳すのでしょうか。Empfindsamkeitは文学や哲学におけるシュトルム・ウント・ドラング期の生まれる前の構図としての啓蒙主義の対極にあった心情主義、感傷主義のことを指すらしいのですが、音楽においてはC.P.E.バッハに代表される多感様式のことをのようです。そもそもその辺りを専門とするわけではないので本当のところはわかりませんが、このアルバムに収録された曲を聴く限り、それまでのバロック期からくらべると心情の赴くままに自在に作られた音楽の時代を感じるわけで、なにやらタイトルに合点がいくわけです。
ハイドンの前の時代の音楽も、ハイドンを聴いているわりにはちゃんと聴いてはいないのでC.P.E.バッハの音楽は新鮮で、同じバッハと名のつく作曲家としてはかなり斬新な曲調。クラヴィコードという響きの髄を聴くような楽器で奏でられているからかもしれませんが、繊細な響きの変化に耳を奪われます。そしてミューテルの変奏曲も展開の面白さに引き込まれます。そしておなじみのモーツァルトのロ短調のアダージョは、フォルテピアノやハープシコードで弾かれるよりも、音楽がダイナミックに聞こえます。もちろん実際の音量はずっと小さいわけですが、耳を澄まして聴く響きのエッセンスや響きの変化がそう感じさせるわけです。最初に聴いた印象よりも、何度か聴くうちにクラヴィコード独特の世界に慣れて、実に深い音楽に聴こえます。さて、肝心のハイドン。このXVI:20はピアノソナタの中でも独特の美しさをもつ2楽章のアンダンテが好きでよく聴く曲ですが、ハイドンの数多の曲からこの曲が選ばれたということは、やはりこの2楽章の響きの変化の面白さからだと想像してます。このアルバムのコンセプトにピタリとはまる選曲と言わざるを得ません。楽器は1784年製のクリスチャン・ゴットヘルフ・ホフマン(Christian Gotthelf Hoffmann)。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1楽章の始まりから、クラヴィコードの繊細な響きの面白さにうっとり。ヴォリュームを上げて聴くと眼前にクラヴィコードの響きが浮かぶよう。クラヴィコードの録音はあまりの音量の低さに暗騒音のようなものが付きまとうことが多いのですが、このアルバムの録音は森の中の一軒家のような場所だけに、静寂のなかにクラヴィコードの美しい響きがしっかりと録られて、録音も見事。強音はしっかりアクセントがつけられて迫力もあります。音が歪むことなく、クラヴィコードの美しい響きが保たれます。音域ごとに変化する音色。そして強弱による音色の変化。キータッチが直に音になる面白さ。そしてキャロル・セラシの確信に満ちた音楽。これまで聴いたなかではデレク・アドラム盤のクラヴィコードが最も印象に残っていますが、このアルバムの演奏はそれに勝るとも劣らないもの。か弱さがないのがポイントでしょうか。
聴きどころの2楽章の美しさはピアノで聴くのと全く異なるもの。ピアノではきらめくようなメロディーの美しさに耳がとらわれますが、クラヴィコードでは逆に仄暗い繊細な響きの変化にスポットライトが当たります。特に左手の伴奏の面白さに初めて気付きました。あえてクラヴィコードでこの曲を演奏する理由がなんとなく飲み込めました。中盤から終盤の盛り上がるところの迫力もまったく問題ありません。むしろ強音でほんの少し音程が下がるところが逆に迫力を増して聴こえるほど。
フィナーレに入るとタッチのキレが際立ち、クラヴィコードという楽器のハンデを全く感じさせません。中低域の音のちょっと本つくようなコミカルな響きがかえって面白く、楽器全体が様々に共鳴するのを全身で受け止める感じ。

キャロル・セラシのクラヴィコードによる、ハイドンの名曲Hob.XVI:20。クラヴィコードという楽器の面白さを存分に生かした演奏。ピアノによるこの曲もいいですが、クラヴィコードの実に繊細、雅な響きも悪くありません。このアルバム、デレク・アドラム盤と並んで、クラヴィコードの面白さを知るには絶好のもの。選曲、録音、演奏とも揃った名盤です。特にクラヴィコードの響きを楽しむには録音の良さは必須条件ですね。評価は[+++++]を進呈です。クラヴィコードの面白さに開眼したい方、是非聴いてみてください!

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【新着】ダリア・グロウホヴァのハイドンのピアノソナタ集新盤(ハイドン)

先日取りあげたアルバムがとても良かったダリア・グロウホヴァですが、ハイドンのソナタ集の2枚目が届きましたので早速レビュー。

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ダリア・グロウホヴァ(Daria Gloukhova)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:44、XVI:47、XVI:20、XVI:23)を収めたアルバム。収録は2012年7月、1枚目と同じモスクワ議会議事堂のラジオ放送収録第1スタジオでのセッション録音。レーベルは米CENTAUR。

2013/12/02 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】ダリア・グロウホヴァのピアノソナタ集

前に取りあげたアルバムもなんだかインパクトのあるジャケットでしたが、こちらも負けず劣らず。前のアルバムが中途半端にツッパっていたのが、今度はだいぶアーティスティックになってきました。グロウホヴァの情報は前記事の方をご覧ください。

グロウホヴァのピアノは、ハイドンなのにまるでショパンを弾くような詩的なもの。さらりと弾き流すようなスタイルから詩情が溢れる演奏。前アルバムが2011年12月の録音だったので、1年経たずに次のアルバムを録音したことになります。

ジャケットには"ESSENTIAL HAYDN"と何やら気になるタイトルがつけられています。「ハイドンの真髄」とでも訳せばいいのでしょうか。ライナーノーツに書かれたグロウホヴァの解説によれば、このアルバムでは第1集とは全く異なるハイドンの世界を描くことを意図しており、短調で書かれたメロディーこそがハイドンの真髄であるというようなことが書かれています。このアルバムには2曲の短調作品の他、へ長調の2曲も中間楽章に印象的な短調の曲が置かれていて、その表現の深さがポイントのようです。若い奏者ながらこうしたアルバムのコンセプトはよく考えられていますね。

果たして、意図通り短調のソナタの深遠な世界が描かれるでしょうか。

Hob.XVI:44 / Piano Sonata No.32 [g] (c.1771)
シュトルム・ウント・ドラング期に作曲された2楽章とも短調の曲。この時期のハイドン独特の憂いに満ちた曲想の名曲。グロウホヴァのしなやかなタッチが活きる曲でしょう。冒頭から力をぬいた独特の柔らかいタッチで、テンポ大胆に揺らしながらいきなり濃い詩情を聴かせます。所々でクッキリしたアクセントを効かせながらも基本的にしっとりと濡れたような表情で音楽を創っていきます。
続く2楽章も切々とメランコリックなメロディーを刻んでいきます。あえて曲想の変わる部分の区切りをぼやかし、曲の構造ではなく、しなやかな変化を聴かせるあたりがグロウホヴァ流。ほのかに明るさを感じさせる部分へのじわりとした変化が深いですね。

Hob.XVI:47 / Piano Sonata No.57 [F] (c.1765)
こちらはシュトルム・ウント・ドラング期直前の作。この曲にはホ短調版(XVI:47bis)もあり、最近の研究ではホ短調版がオリジナルとされているようです。1楽章は非常に穏やかに音階が繰り返されながら曲が進みます。
やはりこの曲は2楽章の短調の美しいフレーズが聴き所と、そう言われてきくと、まさにその通り。シュトルム・ウント・ドラング期の深い深い世界を予感させる、素朴ながら陰りのあるフレーズが重なり、えも言われぬ詩情が浮かび上がります。表現の幅を広げるべく、左手のタッチがめずらしく強靭に変化しますが、すぐに鎮まり興奮の余韻を楽しみます。
フィナーレは対比を鮮明につけるように明るく快活。グロウホヴァも弾むのを楽しむように無邪気に鍵盤上を跳ねているよう。2楽章のきらめくような美しさを引き立てる素晴しい構成が鮮明に描かれました。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
ふたたびシュトルム・ウント・ドラング期の、ご存知名曲。私が偏愛する曲であります。この曲はもともと2楽章が聴き所なんですが、言われてみれば1楽章は短調の入りでした。この曲はグロウホヴァの特徴が良く出て、かなりテンポを動かして、自在な演奏。テンポを急に上げたり、下げたりしながら曲の面白さを引き出そうという意図でしょう。淡々と描く名演奏に慣れているからか、最初は違和感を感じましたが、聴き進むうちにグロウホヴァの意図がなじんで、これも悪くないという印象になりました。
続く2楽章は1楽章、穏やかな心境でテンポを揺らしながら、美しいフレーズを奏でていきます。グロウホヴァの手にかかるとフレーズが生き物のように感じられ、しなやかに踊ります。ほどほどの力で音符に潜む曲想を浮かび上がらせながら、独特の詩情を残していきます。
フィナーレは短調から入ります。短調の曲の2楽章にほんのり明るさを感じさせる曲を挟んでいるわけですね。かなり速めのテンポをとりますが、程よくテンポを落とす場面を挟んで、構成感をキチンと保っているのは流石。最後は静かに沈みます。

Hob.XVI:23 / Piano Sonata No.38 [F] (1773)
シュトルム・ウント・ドラング期直後の明解な構成が特徴の曲。1楽章はカッチリ明解な曲調に変わり、暗い時代から時代が変わったような新鮮さを感じさせます。グロウホヴァはここでも緩急自在のスタンスで、曲を自分のペースにしっかり据えます。
短調のアダージョは、これまでの陰りは消え、華やかさを感じさせる短調に変わります。一音一音が磨かれ、まさに宝石のよう。グロウホヴァ流にテンポが変化し、可憐とも言えるような表情が色濃くなってきます。かなりの流麗な展開に、これまで聴いた他の演奏を聴くと、固く聴こえそう。ここでも表情の微妙な変化の移り変わりのきめ細かい綾の美しさが冴え渡ります。明るく明解な1楽章の入りから一転、美しさを極めたアダージョが曲を引き締めます。
この曲でもフィナーレは速めで、千変万化するタッチとテンポの複雑な変化を楽しめと言っているよう。力感のコントロールが秀逸で、特に力を抜く表現がアーティスティックなところ。

ダリア・グロウホヴァのハイドンのソナタ集の2枚目は、短調の美しい曲を集めて、まさにグロウホヴァのしなやかに変化するタッチの面白さと、詩情の濃さを見せつけられた感じ。アルバムの企画意図も冴え、演奏もこれまでのハイドンのソナタの演奏とはひと味違うもの。この若さでこの音楽性は流石です。円熟すればハスキルのような神がかった存在になるかもしれませんね。聴き始めは違和感もちょっとありましたが、聴き進むうちに、グロウホヴァのしなやかなハイドンも気に入りました。評価は全曲[+++++]とします。

ピアノソナタ好きな皆さん、一聴あれ。

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ワリド・アクルのピアノソナタ集(ハイドン)

今日も湖国JHさんに貸していただいているアルバムから。

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ワリド・アクル(Walid Akl)のピアノによるハイドンのピアノ作品全集の第1巻。ソナタ4曲(Hob.XVI:20、XVI:22、XVI:35、XVI:23)と変奏曲(Hob.XVII:7)の5曲を収めたアルバム。収録はPマークが1998年、場所はパリとだけ記載されています。レーベルはオーストリアのKOCH DISCOVER INIERNATIONAL。

ワリド・アクルのアルバムは手元に「十字架上のキリストの最後の七つの言葉」のピアノ版のアルバムがあるのみ。そのアルバムにもハイドンのピアノ作品全集の第3巻との記載がありますが、他の巻のアルバムをあまり目にすることもなかったので、とりたてて注目しているわけではありませんでした。今回このアルバムを貸していただいて、ライナーノーツをよく見ると、裏面に「ワリド・アクル(1945-1997)に捧ぐ」との記載があり。ハイドンのピアノ作品全集を残して、亡くなられたということでしょう。

ライナーノーツの解説によるとワリド・アクルは終戦の年、1945年にレバノンに生まれたピアニスト。パリで教育を受け、マルグリット・ロン・アカデミー、エコール・ノルマル、パリ音楽院などで学び、1969年からヨーロッパの都市を中心に活躍したとのこと。オケとはミュンヘン・フィル、ラジオ・フランス管弦楽団、パウル・クエンツ管弦楽団などと共演。レパートリーは広く、ベートーヴェン、リスト、ボロディンなどまでこなしましたが、とりわけ気に入っていたのがハイドンとのことで、ピアノ作品全集まで録音したということです。1997年、パリで心臓手術を受け、そのあと52歳という若さで亡くなったとのことです。

現在、amazonで中古が数枚みつかる他、あまり目にしないアルバムですが、聴いてみるとさすがにハイドンの全ピアノ作品を録音しようというほどの意気込みが伝わる演奏でした。1曲1曲の表現を磨くのではなく、非常に大きな視点から音楽を描いて行く感じ。これは悪くありません。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
録音は自然でいいですね。アクルのピアノはさっぱりとしたテイストでサラサラと弾き進めていくもの。自然に生まれる感興がほどよく感じられ、曲自体がもっている音楽に集中することができます。表現が大げさでないのににじみ出る情感は濃いという不思議な感覚。フレーズはキリリと引き締まり、8分の力でメリハリをつけながら弾いていきます。
期待の2楽章。星がきらめくような名曲ですが、ことさらきらめきを強調することはせず、淡々と弾いていきます。途中音量を結構落とす場面があるのですが、これがいい味をだしています。さっぱりとした美しさがにじみ出てきます。叙事詩が語られるのを聴いているような落ち着いた音楽。ただタッチのキレ、音楽の濃さはそれなりにあって、アクルの演奏スタイルにだんだんハマってきます。
フィナーレは練習曲を速弾きするような軽やかさ。大上段に構えるのではなく、普段の練習のようなくだけたスタイルがハイドンに合っています。冒頭にも書きましたが、やはり全集を演奏するということで、一歩引いた立場で冷静な視点をもちながら、自然な演奏から音楽を滲ませようというスタンス。

Hob.XVI:22 / Piano Sonata No.37 [E] (1773)
つづく曲も姿勢は変わりません。まるでハイドンの多くのソナタをすべて初見で弾いているような新鮮さ。1曲1曲の出来ではなく、ソナタ全体から音楽を引き出そうとしているようにすら感じます。途中の転調でハッとさせられる他は、実に地道な演奏。
2楽章のアンダンテはしっかり沈んで、美しいメロディーを引き立てます。そしてフィナーレは禁欲的なほどあっさりとまとめます。ハイドンの秩序と規律を軽快に表現しているようで、微笑ましい限り。最後の一音のさっと消え入る感じ、こちらも実に味わい深い。

Hob.XVI:35 / Piano Sonata No.48 [C] (c.1780)
軽やかなメロディーラインが心地良い曲。子犬が走り回るような微笑ましい軽快さ。喜んで型にはまっているような律儀さがあり、まさにハイドンのソナタに相応わしいコミカルさをはらんでいます。良く聴くと非常にクッキリとした右手の音階。終盤、きちんと間をとりメリハリをつける事は忘れません。要はハイドンのツボを押さえているということです。
この曲まで来ると、アダージョのしっとり感もかなりのもの。頭の中に音楽が流れているのでしょう、指から紡ぎ出される音楽は非常に完成度の高い表現。陽光に輝く雪山を遠くから眺めるがごとき陰影の深さ。ゆったりと音楽が紡ぎ出され、輝きは最高潮。
フィナーレは相変わらずの軽さ。これだけの軽さにはかなりのタッチのキレが求められます。

Hob.XVI:23 / Piano Sonata No.38 [F] (1773)
もうアクルの術中にハマってます。いやいや、ハイドンのピアノ作品をこよなく愛していることがひしひしと伝わります。ハイドンのソナタのツボを完全に掌握。とくに軽さとと機知の表現が絶妙。有名なこの曲もアクルのさりげないピアノで聴くと、じつに趣き深いですね。この曲では珍しくかなりアクセントを効かせてメロディーを奏でます。転がるような音階ときっちりメリハリをつけた部分の対比の鮮明さはかなりのもの。
アダージョのさっぱりしながらも濃密な音楽は相変わらず。ゆったり語られる音楽には、比較的硬質なスタインウェイの高音の美しさが効いているよう。抑えた表情の美しさが決まります。
いつもながら、アダージョとフィナーレの切り替えは鮮やか。まさに鮮烈なフィナーレ。音量は抑えながら、色彩感を感じさせる見事な指さばき。

Hob.XVII:7 / Variazioni [D] (1766)
珍しい曲。コミカルなメロディが次々と変奏となっていきます。音楽の方向性は異なるものの、この狂気を感じるほどの鮮やかなタッチのキレはグールドを彷彿とさせるもの。独特のあっさりとしたテイストは保ちながら、右手と左手の独立性はまさにグールド並み。いやいや恐ろしいテクニックです。この小曲が小宇宙のような深さを醸し出します。見事。

今までノーマークだった、ワリド・アクル。このアルバムをじっくり聴き直して、その音楽、テクニックに打ちのめされました。いや素晴らしい。特に最後の小さな変奏曲の鮮やかさには圧倒されました。流石ハイドンのピアノ作品の全集を録音しただけの奏者と納得です。前に触れた通り、この他にもアルバムがリリースされています。入手はなかなか大変そうですが、これは収集しなくてはなりませんね。評価は全曲[+++++]とします。

TOWER RECORDSさんかどこかで、まとめて復刻すべき素晴らしい録音だとおもいますが、如何なものでしょうか。

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マルコム・ビルソンのクラヴィーアソナタ集

最近手に入れたアルバムから。

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HMV ONLINEicon / amazon / TOWER RECORDS

マルコム・ビルソン(Malcolm Bilson)のフォルテピアノによるハイドンのクラヴィーアソナタ5曲(Hob.XVI:50、XVI:43、XVI:3、XVI:20、XVI:40)を収めたアルバム。収録は2003年8月13日,14日、カナダ、トロントのカナダ放送グレン・グールド・スタジオでのセッション録音。レーベルはスイスのclaves records。

マルコム・ビルソンといえば、ガーディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツとのモーツァルトのピアノ協奏曲全集でしょう。リリースされる度に一枚一枚手に入れて聴いたのが懐かしいですね。ブレンデル/マリナー盤が刷り込みでしたので、特に20番より前の協奏曲の鮮やかな色彩感は、ビルソン盤でその魅力を知ったものです。調べてみるとガーディナーとのモーツァルトの全集は1983年から88年にかけての録音ということで、古楽器によるモーツァルトのピアノ協奏曲録音の走りだったことがわかります。

マルコム・ビルソンのハイドンのソナタの録音は、手元にELECTRA NONSUCHによる1982年にXVI:49、XVI:52を収めたアルバムがあるのですが、ビルソン独特の媚びないというか、素っ気ない演奏と、普段は超絶Hi-Fi録音で知られるNONSUCHのリアルすぎる録音によって、どうにも音楽に入り込めない演奏という印象でした。

このアルバム、店頭で見かけた時に、NONSUCH盤の延長かと思いきや、レーベルも異なり、録音年代がぐっと新しいものだとわかり、迷わず購入しました。

マルコム・ビルソンは1935年、アメリカ、ロスンゼルス出身の鍵盤楽器奏者。弾くばかりではなく研究者でもあるそうです。ニューヨーク州のバード大学を卒業後、ベルリンの音楽舞台芸術アカデミー、パリのエコール・ノルマル音楽院で音楽を学び、イリノイ大学で博士号を得ました。1976年からはコーネル大学で教えています。ガーディナーとのピアノ協奏曲全集の他、フォルテピアノによるモーツァルトとシューベルトのピアノソナタ全集をHUNGAROTONに録音するなど、古楽器演奏の一翼を担いました。

このアルバム、ジャケットには気になるフレーズがあります。

”Five Keyboard Sonatas on a Schanz Fortepiano”

そう、ハイドン自身が「シャンツこそ最も優れたフォルテピアノ工房である」と言っている楽器です。シャンツのフォルテピアノを弾いたソナタは、これまで2つレビューで取りあげています。詳しくはパウル・バドゥラ=スコダの記事をご参照ください。

2013/03/02 : ハイドン–ピアノソナタ : キャロル・セラシのフォルテピアノ/クラヴィコードによるソナタ集
2013/01/13 : ハイドン–ピアノソナタ : ハイドンの時代の響き パウル・バドゥラ=スコダのフォルテピアノ作品集

古楽器に詳しいビルソンだけに、ハイドン自身が気に入っていたシャンツでの録音にこだわったのでしょうか。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
さっぱりとした表情はビルソンならではですが、音量を上げて聴くと、いつものビルソンとはちょっと違い、楽器の余韻を活かした透き通るような空気感とピリッとした緊張感に包まれています。響きに力があるシャンツの音色を活かして、力強いタッチで、フレーズごとにメリハリをつけて弾き進めていきます。録音は最新のものだけあって、自然で適度な残響がともなうもの。ビルソンの演奏はインマゼールのような色彩感やブラウティハムのようなしなやかなダイナミックさはなく、そのかわり誠実かつ骨格のしっかりした演奏。研究者でもある奏者として色づけを排した純粋な響きを求めているよう。少々音楽に固いところがありますが、それが良さでもあるでしょう。ハイドン晩年のソナタから禅の心境にも似た純粋な境地を感じさせます。一音一音のタッチが実にガッチリと決まります。
アダージョはゆったりした印象はなく、テンポはゆっくりなのに険しさを感じる音楽。前楽章同様、一音一音がクッキリ浮かび上がる鮮明なタッチで進みます。この曲のアダージョから情感を排して純粋な音楽のみが結晶となったような響き。ヨーロッパの伝統とは異なり、アメリカ出身のビルソンの中にある純粋な感性がベースにあるからでしょうか。純粋無垢な音楽。
フィナーレでも、間を活かしながらも強いタッチの鮮明な響きが繰り返しやってくるもの。シャンツのフォルテピアノのダイナミックレンジいっぱいに楽器を響かせ、強音の迫力で聴かせます。1曲目からハイドンのソナタの素晴しい迫力に圧倒されます。

演奏のスタンスは曲によって変わらず、一貫しているため、以後の曲は簡単に。

Hob.XVI:43 / Piano Sonata No.35 [A flat] (1770's)
続く曲はだいぶ作曲年代を遡った中期のもの。演奏によってはリズムの面白さ、軽妙洒脱さにスポットライトを当てる曲ですが、ビルソンはここでも、正攻法の演奏。確実なタッチで生真面目とも映る誠実さで弾き進めていきます。多少力は抜けているものの、教科書通り折り目正しい演奏。2楽章の途中で柔らかい音に響きを変化をさせる部分の美しさは楽器を知り尽くしたビルソンならでは。聴いているうちに、この淡々とした楽興は現代楽器と古楽器の違いはあるものの、オルベルツの演奏に近いように感じてきました。楽器が良く鳴って弾くのが気持ち良さそうな演奏。

Hob.XVI:39 / Piano Sonata No.52 [G] (1780)
前曲同様、小気味好い演奏も多い曲ですが、ビルソンは一貫してオーソドックスな攻め方。ハイドンのピアノソナタ全体を叙事詩を語るように演奏するような感じ。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きなXVI:20。この曲はじっくりとした入りから来ました。響きを美しく聴かせようというより、メロディーをとぼとぼ語っていくような弾きっぷり。時折テンポを落として音階を分解して鳴らすような場面があります。
キラ星のような美しさを誇るアンダンテは、ことさら曲の美しさに媚びることなく地味な展開。ただ、その地味さから音楽の美しさが立ちのぼるのがこの曲の素晴しいところ。

Hob.XVI:40 / Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
最後の曲は2楽章構成。アルバムの最後を飾る素朴さ。ビルソンは曲をどう料理するかということよりも、ハイドンの創作に対する謙虚な心情を吐露するように演奏することに集中しているよう。右手の音階がときおり鮮明に駆け上がりますが、全体ととしては落ち着いたもの。フィナーレもクッキリした表情が印象的でわかりやすい演奏。

このアルバム、評価が非常に難しいです。古楽器の研究者としてオーソドックスにフォルテピアノの演奏を仕上げてくるあたりは、かなりの腕前ですが、音楽自体が非常に謙虚で律儀なもの。ハイドンの音符をきっちり弾いていくことにかけて、そして楽器をきっちり鳴らしていく事にかけては素晴しい演奏ですが、どうしても音楽に固さを感じてしまうのがが正直な所。この5曲の演奏として皆さんに推すべき演奏は他にもいろいろありますが、ハイドンのソナタをいろいろ聴き込んできた人にはこのアルバムでのビルソンの筋の通った演奏の価値は伝わるのだと思います。私の評価はXVI:50が[+++++]、思い入れの強いXVI:20は[+++]、その他の曲は[++++]とします。

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【新着】リヒテルのピアノソナタライヴ集

せっかくのお休みですが、風邪をひいて喉がガラガラ。会社でも同じ風邪をひいている人が多かったのでうつってしまったよう。今日は出かけずに家でのんびり。

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HMV ONLINEicon / TOWER RECORDS

スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)のソ連時代の録音を集めたCD9枚組。この中のCD1がハイドンのピアノソナタ集となっており、Hob.XVI:20、XVI:41、XVI:50、XVI:52の4曲が収められています。収録は何れもモスクワでのライヴであり、XVI:52が1949年の他は1960年代のもの。それぞれ日付が異なるため、曲のレビューと一緒に収録日は記載することとします。レーベルは露Venezia。

このアルバムは最近リリースされてHMV ONLINEから届いたもの。これまでHMV ONLINEは出荷が遅く、注文して在庫がそろっていても、2、3日してから出荷になるケースが多く、すぐにつくとは思っていませんでした。ところが数日前に注文を入れるとすぐに在庫がそろって、すぐに出荷となりました。ウェブサイトにも在庫ありのものも13時までの注文は当日出荷とうたいはじめてますので、出荷体制がだいぶ変わってきたのでしょうか。これまでもマルチバイにすると値段は安い事が多いので、HMV ONLINEを使うことが多かったですが、出荷体制はお世辞にも良いとは言えなかったので、これで少し皆さんにもすすめやすくなりましたでしょうか。

さて、リヒテルはハイドンを好んでいたようで、ライヴを中心にアルバムはかなりリリースされています。手元にもかなりの数のアルバムがありますが、記事として取りあげたのは調べてみると2回のみ。しかも最初の記事はアバムの紹介程度でしたので、ちゃんとリヒテルのアルバムをレビューしたのは1度きりとなります。

2010/11/23 : ハイドン–ピアノソナタ : リヒテルの1993年のソナタ録音
2010/02/23 : ハイドン–ピアノソナタ : リヒテルのソナタ録音

前にも書きましたが、リヒテルのハイドンは力感の表現が秀逸でかつ音楽が大きく、好きな演奏です。ただし、ライヴがかなり出ていて、何となく演奏同士、比較してみなくてはいけないとの先入観から、レビューに取りあげにくかったのかもしれません。

前記事を読み直してみると、リヒテルの略歴等にも触れておりません。自分の知識のためにちょっとさらっておきましょう。

スヴャトスラフ・リヒテルは1915年、現ウクライナのキエフの西100kmほどのところにあるジトームィルで生まれました。父はドイツ人ピアニスト。幼いころに黒海沿岸のオデッサに移住、父親はリヒテルに音楽を教えましたが、音楽家にしようとは思わなかったそうで、後にオデッサで処刑されてしまったとのこと。リヒテルは独学でピアノをはじめ、1931年に15歳でオデッサ歌劇場のコレペティートルに採用され、この時多くのオペラ曲の演奏を通じて腕を磨きました。1934年、19歳で小規模なリサイタルを開き、成功したとの事。1937年22歳でモスクワ音楽院に入学し、名教師ゲンリフ・ネイガウスに師事します。ネイガウスはリヒテルの他、エミール・ギレリス、アナトリー・ヴェデルニコフ、ラドゥ・ルプーらの師として知られ、スタニスラフ・ブーニンは彼の孫とのこと。ネイガウスはリヒテルに「何も教えることはなかった」と語り、リヒテルはネイガウスから多くの事を学んだと言っているとされ、これ以上の師弟関係はないような間柄だったと想像できます。その後ネイガウスの紹介でプロコフィエフと親交を持つようになり、1943年モスクワでプロコフィエフのピアノソナタ7番を初演しました。以後ソ連内で活発に演奏活動をするようになり、1945年には30歳で全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位を受賞しました。以後東欧で公演を行い、西側にもその評判が伝わるようになり、「幻のピアニスト」と呼ばれるようになりました。1958年ブルガリアのソフィアで行ったリサイタルでの「展覧会の絵」などによって全世界に知られるようになり、ヴァン・クライバーンが「生涯で聴いたなかで最もパワフルな演奏だった」と語ったことで評価が決定的となったとされます。1960年にようやく西側での演奏が許可され、以後は日本を含む世界各地に演奏旅行に出かけ、1997年8月にモスクワで82歳で亡くなったということです。

私はリヒテルのハイドンはいろいろ聴いてますが、ベートーヴェンや展覧会の絵などの演奏はちゃんと聴いていません。リヒテルのアルバムで最初に買ったのはバッハの平均率クラヴィーア曲集。淡々とかつ雄弁に語っていく音楽の大きさに打たれたアルバムでした。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1960年代、モスクワでのライヴとだけ記載されています。リヒテルの詩情溢れるピアノが少し遠めに定位し、会場ノイズがわりと大きめに入っています。最初に何かぶつかったような音がします。高域はちょっと混濁気味ですが、リヒテルのピアノの宝石のような輝きはしっかり伝わります。テンポのコントロールは大胆。曲が大きく転換するところで大きくテンポを落とします。ピアノの音は確かな骨格に裏付けられたカッチリとしたもの。ハイドンの名曲の光と陰を鮮明に描いていきます。テープの転写か、先の音がうっすら聴こえてきます。速いパッセージのキレの良さと、ダイナミックレンジは録音を超えて伝わってきます。時折みせる右手の強音はホールを突き抜けるような力強さ。この曲独特の物憂げな印象と冬の星空のような凛とした美しさを実に上手く表現。やはり抜群の力感がものを言います。
咳払いが終わらぬうちに美しいアンダンテ・コン・モートがはじまり、右手の輝きは最初から閃光を放ちまくってます。意外にさらさらとすすめていき、左手の伴奏も正確なリズムに支えられて、鋼のような強靭さ。メロディーの主張の仕方というか、立体感が尋常ではありません。大きく音楽をとらえて大波が押し寄せては消えていくように美しいメロディーが次々とやってきますが、リヒテル自身は非常に冷静に音楽を作っているよう。素晴しく峻厳な音楽。詩情がただよう演奏が多いのですが、全盛期のリヒテルにかかると、豪腕投手の内角高めの豪速球のような厳しいアプローチ。有無をも言わせぬ迫力。ピアノからオーラが出まくってます。
驚くのがフィナーレの力感。ハイドンの曲でここまでのピアニズムを感じるとは。ピアノが鳴りきっています。指の一本一本が鋼で出来ているような素晴しい力感。音の力でもテクニックでも並のピアニストは次元が違います。1曲目から驚きの演奏。全盛期のリヒテルのエネルギーがスピーカーを伝わって、風邪で弱り気味の脳髄直撃です。まさに縦横無尽にピアノを操ります。痺れました。会場からは驚き混じりの拍手が降り注ぎます。

Hob.XVI:41 / Piano Sonata No.55 [B] (c.1783)
つづいて1961年4月17日のモスクワライヴ。前曲の混濁感はなくなって、鮮明さが上がりますが、高域重視の録音。鮮明に咳払いが録られています。いきなり右手のキレの良さに打たれます。速めのテンポながらアクセントがキレまくって、鮮烈な印象。速いパッセージの指が回っているのはもちろん、要所のアクセントが決まりまくって、痛快なほど。ハイドンの原曲の面白さもありますが、アクロバティックにも感じるリヒテルの指さばきにただただ聴き惚れます。鍵盤の上で指が踊りまくっているよう。1楽章の終盤に至り、渾身の打撃でまたもピアノの轟音が響き渡ります。本気ですね。
つづくアレグロ・ディ・モルトも良くこれだけのエネルギーをハイドンの曲に込められるものと感心しきり。速めのテンポで弾き進めていきますが、途中耳をつんざくような強音を何回か聴かせて、この2楽章の小ソナタに込められた本当のエネルギーを知らしめます。最後の一音と同時に拍手が振り注ぎますが、なぜかフェードアウトではなく、さっとヴォリュームを絞る唐突な終わり方。演奏の素晴しさを損なうものではありません。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
晩年の名曲。1960年9月24日のモスクワでのライヴ。この演奏はおそらく同じ演奏が手元に別のアルバムであります。前曲と似た音響ですが、このアルバムでは一番聴きやすい音。リヒテルは相変わらず、細かい事は気にせず、速めのテンポでバリバリ弾き進めます。後年のリヒテルの演奏は力感と知と情のバランスが絶妙なんですが、この時期の演奏は抑えきれない表現欲からか、ハイドンのソナタに潜む力感の極北を示すようなアタックの連続。無限に動く指と、ピアノと言う楽器のもつダイナミックレンジを遥かに超える強音を交えながら、他のピアニストには絶対に真似の出来ない世界を築いていきます。この曲でもアクセントのキレは尋常なものではありませんが、それがくどくなく、ピアノ音楽の極限んを示すように聴こえるところがスゴいところ。
続くアダージョは、しっかりテンポを落として、磨き抜かれた美音が轟きます。くっきりとアクセントがついてメロディーは恐ろしいほどの立体感。録音は鮮明で、その鮮明さを物語るようなリアルな咳払いが録られています。リヒテルのピアノは神々しい光を帯びたようにこの素晴しい楽章のメロディーを奏でていきます。まさに奇跡の瞬間のような演奏。会場の聴衆は完全にリヒテルの演奏に呑まれています。
最後のアレグロ・モルトは、意外にテンポを揺らさず、噛み締めるように入りますが、途中から強音炸裂。速いばかりじゃないとでも言いたげに、じっくり演奏が進みます。ここでも拍手はさっと消えます。

Hob.XVI:52 / Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
最後の曲。1949年5月30日、モスクワ音楽院グランド・ホールでのライヴ。この曲のみモノラルです。先の3曲から10年以上前の録音。迫力も自在さも一段下がりますが、右手のクリアなタッチがリヒテルらしさを感じさせます。なぜか録音はモノラルながらかなり良く、鮮明さはこのアルバム一番。モノラルなので空間を感じさせませんが、オンマイクでかなり鮮明にピアノの美音を録っています。所々ミスタッチがありますが、グールドの愛用したチッカリングピアノのような独特の高音の響きがあり、なかなか良い音色。スケール、特に音楽のつくりの大きさは後年のものに譲りますが、タッチのキレは流石リヒテル、指の回転は素晴しいものがあります。
つづくアダージョも前3曲と比べるとオーソドックスな演奏ですが、鮮明なピアノのタッチのキレでグイグイ聴かせていき、この楽章特有の孤高の表情を描いていきます。
フィナーレに入ると、指の回転を上回る超絶テンポ設定にリヒテル自身も絡まり気味ですが、そんなことは気にせず、グイグイいきます。ここまでくるとリヒテルの演奏スタイル耳のほうが合ってきて、完全にリヒテル術中にはまったよう。ブレンデルらが聴かせる研ぎすまされた世界とは全く異なる鋼のようなハイドンでした。

このアルバムで聴かれる特に1960年代のリヒテルのハイドンは一般的なハイドンの演奏とは全く異なり、かなり速めのテンポでハイドンのソナタに潜む力感を鋼のようなタッチで演奏したもの。ハイドンのピアノソナタの定番としてお薦めするにはちょっと無理がありますが、ハイドンのソナタの極北を示す演奏として、そしてリヒテルの全盛期の記録としては貴重な記録であることは間違いありません。リヒテルの全盛期の演奏は、決して誰にも真似の出来ない強靭なタッチ、狂気のような強音、何も躊躇することのない直裁なアプローチが鮮明に印象に残りました。評価は60年代の演奏はやはり[+++++]をつけない訳に参りません。最後のXVI:52は[++++]とします。

リヒテルの後年の演奏はこれに比べるとだいぶ穏やかになり、それでも力感と大きな音楽が宿る素晴しい演奏であり、一般的にはそちらをお薦めすべきでしょう。

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ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:20 ピアノソナタXVI:41 ピアノソナタXVI:50 ピアノソナタXVI:52 ヒストリカル ライヴ録音

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なぜかハイドン(Franz Joseph Haydn)が特に気に入り膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。東京在住のごく普通のサラリーマンです。

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