ルドガー・レミーのブロードウッドピアノによるソナタ集(ハイドン)

今日はハイドンが活躍していた時代のピアノで演奏したピアノソナタを取り上げます。

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ルドガー・レミー(Ludger Rémy)のピアノによる、ハイドンの晩年のピアノソナタ3曲(Hob.XVI:52、XVI:51、XVI:50)を収めたアルバム。ピアノは1794年製のブロードウッドピアノ(John Broadwood 1794)。収録情報はPマークが1987年とだけ記載されています。レーベルはaudio max。

このアルバムに興味を持ったのは、もちろんブロードウッドピアノで弾かれているから。現代のピアノの透徹した響きの美しさもいいものですが、ハイドンが作曲していた頃、どのような響きをイメージして曲を書いたのかということにも興味は尽きません。こうした興味が本格的に生まれたのはクラヴィコードで弾かれたハイドンの素晴らしい演奏を聴いてからです。

2013/01/27 : ハイドン–ピアノソナタ : デレク・アドラムのクラヴィコードによるソナタ集

そのような興味が生まれると、色々と楽器に興味が湧いてくるわけで、その後楽器の変遷を見に、浜松の楽器博物館にも詣でております。

2015/09/15 : 旅行・温泉巡り : 【番外】浜松市楽器博物館詣で+うなぎ!

このアルバムの演奏に使われているのは1794年製のブロードウッドピアノですが、浜松市楽器博物館の所蔵楽器をウェブサイトで調べてみると、なんと7台ものブロードウッドのピアノがヒットします。いずれも1800年以降のものですが、資料番号K-0041、K-0022あたりの楽器がこの演奏に使われたものに近いのではないかと想像しております。

浜松市楽器博物館:所蔵資料データベース:検索=Broadwood

一応ブロードウッドピアノの歴史をWikipediaなどから紐解いておきましょう。
1732年にスコットランドに生まれたジョン・ブロードウッドが1952年にロンドンに移り、チェンバロ製作者のバーカット・シュディの元で働き始めたのが興り。シュディの娘と結婚し1773年にシュディが亡くなりピアノの制作を始め、1780年にはオリジナルなピアノを完成。1795年には息子もピアノ制作に加わりブロードウッド&サンとなります。ブロードウッドピアノの特徴は、それまで手や膝で操作していたペダルを脚で操作する方式を導入するなどの革新をもたらしているとのこと。ブロードウッド社のウェブサイトに掲載されている歴史を辿ると1774年にウィーンのハイドンにハープシコードを届けているという記載が見られるのに加え、1791年の最初のロンドン旅行の際にブロードウッドの楽器を使用しているとのことで、ハイドンとも浅からぬ関係があったようです。

このフォルテピアノから現代のピアノへの進化の途上にあるブロードウッドピアノによって、ハイドンの晩年のソナタがどう響くのか興味津々ですね。

奏者のルドガー・レミーは調べてみると手元の以前レビューしたアルバムでフォルテピアノを弾いていました。

2014/06/27 : ハイドン–声楽曲 : 【新着】ドロテー・ミールズの歌曲集

ルドガー・レミーは1949年、ドイツのオランダ国境に近いカルカー(Kalkar)生まれの鍵盤楽器奏者、指揮者、音楽学者。フライブルク、パリなどで学び、メインは17世紀から18世紀のドイツ音楽の研究などドイツでの教職のようです。

Hob.XVI:52 Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
ブロードウッドピアノはフォルテピアノよりも音に力強さと厚みがあり、冒頭の力強いタッチから始まる曲の迫力が十分伝わります。ルドガー・レミーは楽器が良く鳴る勘所を踏まえて、楽器のキャパシティいっぱいのダイナミックレンジを使って鮮烈な響きを引き出してきます。フォルテピアノによる雅な響きとは力感が異なり、ピアノに近いダイナミクスで音色はフォルテピアノに近いと言ったらいいでしょうか。手元にある浜松楽器博物館の制作で小倉貴久子さんの弾く1802年製のブロードウッドピアノ(コレクションシリーズ38)と音色は近いんですが、浜松の楽器の方が調律が気持ちよく決まっていて、響きに濁りがありません。逆にルドガー・レミーの演奏の方が力強さを感じますので一長一短というところでしょうか。ピアノに負けないダイナミクスを感じさせます。まさにハイドンがこの曲に込めたダイナミクスはこのブロードウッドピアノがあってのことかもしれません。ピアノの演奏に耳は慣れていますが、この演奏を聴いてフォルテピアノの世界から扉が一つ開いたところを想像します。1楽章のダイナミクスがまさにその象徴のように思えてきました。
続くアダージョも所々に力強いタッチとその余韻を楽しむような曲想であり、進化途上のブロードウッドピアノの響きがそのタッチの魅力をかえって浮かび上がらせるよう。耳をすますとこの先進化を遂げていくピアノの音色に近い響きも聴き取れ、なかなか想像力に訴える演奏。響の濁りも含めてなんだかとても聴き心地がよくなってきました。ルドガー・ラミーは訥々と語りかけるように弾き進め、ブロードウッドピアノならではの響きの余韻も十分に取り入れたダイナミックかつ詩的なニュアンスも踏まえた演奏で応えます。音色になれると演奏の深みがわかってきます。
3楽章に入ると鮮やかなタッチと絶妙な間のコントラストを効かせながらハイドンの素晴らしい音階の交錯による音楽が冴えてきます。澄みきりすぎた現代のピアノからは失われてしまったデリケートな響きのニュアンスもあるのだと知ります。

Hob.XVI:51 Piano Sonata No.61 [D] (probably 1794)
今度は落ち着き払った入り。噛みしめるようにしっとりとブロードウッドピアノをしっとりと鳴らしながらハイドンの素朴な音楽を奏でていきます。フレーズごと微妙に明るさと翳りが変化する様子を巧みに表現していき、ピアノでは表現できない音色の多彩さがあることに気づきます。やはりフォルテピアノよりもわずかにダイナミクスの表現に秀でていることの大きさが効いています。抑えた部分では音色の美しさ、強音では弱音との音色の変化の大きさがピアノ以上にダイナミクスを感じさせます。穏やかな1楽章に対して、少しタッチを強める2楽章への変化も実に面白く聴こえます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
そして冒頭のXVI:52とともにハイドンのソナタの頂点をなすこの曲では、さらにタッチの強弱の絶妙な力加減がブロードウッドピアノをとうして生む音色の変化の面白さに耳を奪われます。ルドガー・レミーのタッチも精緻を極め、ブロードウッドピアノという楽器を知り尽くした人だけが、楽器の響きを活かし尽くすように操る妙技。音楽に創意がみなぎり、タッチは自在の極致へ至ります。久々に脳内にアドレナリンが溢れてきます。完全にルドガー・レミーの音楽に圧倒されます。1楽章のタッチとリズムの変化、2楽章の抑制された美しさ、3楽章の軽妙さと、どれをとっても現代ピアノでの表現の幅を上回る豊穣な音楽が湧き出てきます。これは見事。絶品です。

ルドガー・レミーがハイドン存命時の楽器であるブロードウッドピアノで弾いた最後の3つのソナタ。この演奏を聴いて、新たな時代の楽器の潜在力がハイドンのこの3つのソナタの作曲に際して大きな影響があったというふうに思えるような素晴らしい演奏でした。特に最後のXVI:50は絶品。現代ピアノに比べればダイナミクスでも音色の統一感でもまだまだ進化途上のものですが、逆にハイドンのこのこれらのソナタには、タッチの強さによる音色の変化や、響きの美しさが際立つ面白さがあることがわかります。これは是非皆さんに聴いていただきたいアルバムですね。評価はもちろん全曲[+++++]とします。

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ツィモン・バルトのピアノソナタ集(ハイドン)

ピアノのアルバムが続きます。今日はハイドンの演奏としては変り種。

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ツィモン・バルト(Tzimon Barto)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:1、XVI:23、XVI:27、XVI:50)を収めたアルバム。収録は2008年1月、フィンランドのヘルシンキの少し北の街、ヤルヴェンパー(Järvenpää)のヤルヴェンパーホールでのセッション録音。レーベルはフィンランドのONDINE。

これは最近手に入れたものですが、CDプレイヤーにかけるとすぐに異常に気づきました。異常といってもトラブルではなく異常な表現意欲。ハイドンのソナタの演奏は結局は素直に演奏する方が楽しめるものが多く、妙に力が入ると空回りしてしまい、奏者の音楽性を丸裸にしてしまう怖さがあります。この演奏は力の抜き方で勝負してくる珍しいタイプ。その力の抜き方と間の緊張感のようなものに語らせようという演奏です。

奏者のツィモン・バルトはもちろんはじめて聴く人。いつものように調べてみると経歴というかプロフィールも変わった人でした。1963年、アメリカのフロリダ州ユースティス(Eustis)生まれと私と同世代。ピアニストであるばかりか、作家でもあり、しかもボディービルダーでもあるとのこと。ジュリアード音楽院で学び、1989年にはウィーンのムジークフェラインでエッシェンバッハの指揮で演奏、翌1990年にはカラヤンの招きでザルツブルク音楽祭に出演するなど、ピアニストとしては素晴らしい経歴の持ち主。検索するとアルバムもかなりの数がリリースされていますので、世界的に活躍している人のようですね。ちょっとボディービルダーという経歴が気になってGoogleで画像検索してみると、若い頃の太もものように鍛え上げられた腕をがっしり組んで微笑む写真が何枚か出てきました。クラシックの演奏者でボディービルをやっているという超個性派。しかも冒頭で触れたように力任せの演奏とは真逆の演奏をするということで、記事にしようと思った次第。

このアルバムのリリースは2009年のハイドン没後200年に当てたものでしょうが、タイトルは”Unexpected Encounters”、「予期せぬ出会い」とあり、バルトにとってハイドンのアニヴァーサリーに出会った宝物のようなものという意味でしょうか。ハイドンのオペラに「突然の出会い」"L'incontio improvviso"というのがありますが、それとかけたものとも思えなくはありませんね。

Hob.XVI:1 Piano Sonata No.10 [C] (c.1750-1755)
普通になめらかなタッチのピアノの演奏と思って聴き始めますが、だんだんタッチがキレてきて、何やらただならぬ雰囲気を感じ始めます。しかもキレているのは弱音部。1楽章はまだその片鱗を感じさせただけで下が、2楽章に入ると、音量を一段と落として、ピアノのダイナミックレンジとしては普通のピアニスト抑える音量よりはるかに小さな音量に驚きます。そして何より実に濃密な音楽が流れます。鍵盤を触るか触らないかくらいの微妙なタッチを織り交ぜながらの演奏。ハイドンの曲に込められたメロディーの全く異なる美しさを引き出します。とぼとぼと歩みながら奏でる超デリケートな音楽。そして3楽章のメヌエットは、ほんの少し音量を上げただけで、視界の霧が晴れたようなクリアさが聞き取れます。スローテンポとゆったりと歩き回るような展開は変わらず、非常に濃密な時間が流れます。まるで人生を回想しているような枯れ具合。ハイドンの初期のソナタからこのような音楽が浮き彫りになるとは。

Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
1曲目の静寂の余韻から立ち上がる立体的な響き。特段強いタッチではないのに超立体的に聴こえるのが不思議なところ。音楽とはそれまでの演奏の余韻の中に流れるものであり、対比によって様々なニュアンスが乗るものだと改めて痛感した次第。相変わらずタッチのキレは最高。若い時のグールドの狂気のような切れ味とは少々異なり、実に丁寧にリズムで遊びながらも純音楽的なピュアさを狙ったような方向。この純度の高いスリリングさは見事です。高音のメロディーはくっきりと浮かびあがり、タッチを千変万化させてハイドンの楽譜に込められた隠れたニュアンスを次々と掘り起こして行きます。演奏時間はこの曲の1楽章では最長の8分25秒。
続くアダージョでは前曲ほど音量を落とすことなく、しっとりとした雰囲気を作りながらもメロディーをクッキリと浮かび上がらせます。この曲の素朴ながらもキラメキに満ちた音楽がしみじみと紡がれていきます。そしてフィナーレでも7分の力でクッキリとリズムとメロディーを刻んで終了。見事です。

Hob.XVI:27 Piano Sonata No.42 [G] (1776 or before)
相変わらずリズムのキレとタッチの巧みな変化の面白さに集中しますが、バルトの音楽に十分慣れてきたので、この曲くらいになると、安心して聴けるようになります。粒立ちの良い1楽章に、音量を落としてしっとりと沈みながらもクッキリとした2楽章、そして再びクリアなフィナーレという曲の展開を相変わらず鮮やかなタッチでまとめてきます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
最後に晩年の大曲を持ってきました。予想通り力むことなく、これまでの曲と同様、タッチのキレで聴かせようとするのは同じですが、超スタッカート気味にタッチの冴えを強調して軽やかに入ります。この曲に潜むリズムの面白さにピンスポットを当てた感じ。右手のクリアな旋律に比べて、左手は強打することなく、リズムのキレに集中しています。一音一音の粒たちがこれ以上ないほどに鮮明に響き、和音の魅力は旋律とアクセントの魅力で聴かせきってしまいます。徐々に左手に力が漲り、特徴的なリズムを刻み出すとようやく普通の演奏に近い曲のニュアンスが浮かび上がります。またしても所有盤リスト中最長の演奏時間。
この曲のアダージョではこれまでの演奏にはない即興的なタッチが紛れ込んで晩年のソナタの自在な境地をバルトなりに表しているよう。最後は静寂の中に消え入るように終わります。
そしてフィナーレでは音符を分解するようにタッチは明晰さを極め、ホールに響くピアノの余韻を楽しむような演奏。最後の曲は迫力不足に聴こえるのではとの危惧がありましたが、杞憂に終わりました。最後まで鍛え上げられた肉体を感じさせる。素晴らしいタッチの魅力で聴かせきってしまいました。

ツィモン・バルトによるハイドンのソナタ集ですが、普通の演奏とは一味もふた味も違う演奏でした。はじめに書いたように、ハイドンのソナタの演奏としては変り種と言っていい演奏ですが、不思議に違和感はなく、ハイドンのソナタの曲の面白さがきっちり浮かび上がるなかなかの演奏です。ファーストチョイスにはなりませんが、ピアノソナタを色々聴いている人にとってはこれは非常に面白いアルバムだと思います。私は気に入りましたので、[+++++]を進呈することといたします。

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エリザベス・スペイサー/ジョン・バトリックの歌曲集(ハイドン)

今月は週末しか記事が書けてなくてスミマセン。今日は久々の歌曲のアルバム。

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エリザベス・スペイサー(Elizabeth Speiser)のソプラノ、ジョン・バトリック(John Buttrick)のピアノによるハイドンの英語によるカンツォネッタ4曲、ピアノソナタ(Hob.XVI:50) 、ナクソスのアリアンナ、アンダンテと変奏曲(Hob.XVII:6)を収めたアルバム。収録は1987年とだけ記載されています。レーベルはスイスのJecklin disco。

このアルバム、少し前にディスクユニオンで仕入れたのですが、歌曲の未入手盤を売り場で見かけるのは珍しいこと。いつものように所有盤リストを見ててダブり買いではないことのみ確認して、にんまりするのを抑え気味でレジに向かいゲット。未入手盤を手にいれるのは心躍ることなんですね。

歌手のエリザベス・スペイサーは1940年スイスのチューリッヒ生まれのソプラノ。スイスのウィンタートゥル、チューリッヒ、ウィーンなどで学び、当初はコンサートや歌曲のソロ歌手として国際的に活躍しはじめました。レパートリーは現代音楽にも広がりましたがオペラはごく一部をのぞき出演していないとのことですが、記録に残っているのは魔笛のパミーナなどわずか。他にはヘルムート・リリングとバッハの録音が何枚かあるようです。ハイドンについてはテレジアミサのソプラノを歌ったアルバムが1枚あるのみ。要はあまり知られていない人と言う感じです。

ピアノの伴奏を務めるジョン・バトリックもあまり知られていない人ですね。アメリカ生まれのようですが、腕から肩にかけての病気で一度は演奏者の道を諦めたものの、ピラティス、漢方などにより復帰し、今日取り上げるアルバムのリリース元であるJecklinより12枚のアルバムをリリースするに至っているとのこと。

ということで、このアルバム、知る人ぞ知るというか、知らない人はまったく知らない奏者による歌曲集ということになります。もちろんレビューに取り上げたのは演奏が素晴らしいからに他なりません。

Hob.XXVIa:32 6 Original Canzonettas 2 No.2 "The Wanderer" 「さすらい人」 [g] (1795)
しっとりとしたピアノの伴奏。伴奏者になりきった自己主張を抑えた穏やかなピアノの佇まい。録音のバランスはもう少し歌手に焦点をあててもよさそうですが、ピアノがぐっと前に来て、歌手はピアノの横というより後ろにいるようなバランス。ピアノから香り立つ穏やかな詩情がなんとも言えず素晴らしいです。ソプラノのエリザベス・スペイサーはよく通る声で、派手さはありませんが歌い回しは自然で、伸びやかな中音の響きが特徴。声量はピアノに負けていますが、声の余韻のデリケートなコントロールが秀逸で、聴き応え十分。この陰りのある曲の陰影を実に深々と感じさせます。アルバムの冒頭に置かれたのがわかります。

Hob.XXVIa:34 6 Original Canzonettas 2 No.4 "She never told her love" 「彼女は決して愛を語らなかった」 [A sharp] (1795)
この曲でもピアノが実に詩情豊かに伴奏を奏で、歌が入る前に雰囲気を整えます。ジョン・バトリック、素晴らしい腕前です。豊かなピアノの表情だからこそ、繊細なスペイサーの声の表情が引き立つというもの。全般に静寂のなかでの歌唱を意識させる透明感があります。

Hob.XXVIa:41 "The Spirit's Song" 「精霊の歌」 [f] (c.1795)
カンツォネッタ集の中では情感の濃い曲ばかりを集めているのがわかります。穏やかな表情ながら、集中力あふれる展開。前半の暗いメロディーからすっと明るさが射すところでの変化。暖かい光が射したときのじわりとくる深い感動。この曲の勘所を知っての選曲でしょうが、実に見事な歌にしびれます。

Hob.XXVIa:42 "O tuneful Voice" 「おお美しい声よ」 [E flat] (c.1795)
なんという澄んだ響き。序奏でのハイドンのひらめきだけでノックアウト。カンツォネッタ集から最後の曲にこの曲を選んでくるとは。伴奏の劇的な展開と、それに乗ってしっとりと響きを重ねるスペイサーのソプラノ。歌曲の素晴しさに満ち溢れた演奏。最後にゆったりと終わるあたりのセンスも見事。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
ジョン・バトリックによるソナタの演奏が挟まります。これも見事。腕の病気で演奏を断念していたことが信じられません。ハイドンのソナタのツボであるリズムをしっかり刻みますが、珍しく高音のアクセントで印象づけてきます。歌曲の伴奏同様、力むようなところはなく、力の抜けた演奏。適度なしなやかさを保ちながら初見で楽しんで弾いているような自在さを感じさせる不思議な演奏。ソナタに正対するのではなく、友人の書いた曲を楽しんで弾いているような印象。この晩年の見事なソナタから、実に楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
続くアダージョでは、しなやかさはそのままに美しいメロディーを実に美しいピアノの響きで飾ります。これまで聴いた磨かれたタッチによる緩徐楽章の美しさとは少し異なり、透徹したというよりざっくりとしたタッチで一音一音が磨かれているという感じ。また、老成したという感じでもなく、適度に凸凹したところが持ち味。それでいてこの楽章の美しさを表現しきっている感もある実に不思議な演奏。
フィナーレの入りのリズミカルな表現の素晴らしいこと。間の取り方ひとつで、ハイドンの書いたメロディーがまるで生き物のように弾みます。余裕綽々の演奏からハイドンのソナタの真髄がじわりと伝わります。これは見事な演奏。

Hob.XXVIb:2 Cantata "Arianna a Naxos" 「ナクソスのアリアンナ」 [E flat] (c.1789)
名曲「ナクソスのアリアンナ」。ジョン・バトリックはことさら劇的になるのを避け、さらりと流すような入り。スペイサーの入るところでさっと間を取り、最初の一声が入るところは鳥肌が立つような絶妙さ。これほど見事な歌の入りかたは聴いたことがありません。歌が入るとピアノは実に巧みにフレーズを組み立て、オケには真似のできないような変化に富んだサポート。スペイサーの透明感溢れる真剣な歌唱を十分に活かすようよく考えられた伴奏。スペイサーはカンツォネッタ同様、響きの余韻のコントロールが素晴らしく、この劇的な曲の美しさを緻密に表現しています。三部構成で19分と長い曲がバトリックの見事な伴奏で緊張感が緩むことなく劇的に展開します。各部の描き分けも見事。コレペティートル的なざっくりとした良さを持ったピアノですね。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
ナクソスのアリアンナの最後の響きの余韻が残っているところでさっと始まりますが、この入りがまた絶妙。最初から完全にバトリックのピアノに引き込まれます。前曲のざっくりとした印象は影を潜め、今度は透徹した響きの美しさが印象的。特に高音のアクセントが冴えて、曲をきりりと引き締めています。変奏が進むたびに、ハイドンのアイデアに呼応してバトリックのピアノも敏感に反応します。ハイドンのアイデアを次々にバトリックの表現でこなしていく見事な展開。変奏曲とはかく弾くべしとでもいいたそうですね。聴く方は耳と脳が冴えわたってピキピキ。高音の速いパッセージの滑らかなタッチは快感すら感じさせます。曲が進むにつれてバトリックの孤高の表現の冴えはとどまるところを知らず、どんどん高みに昇っていきます。一度ピアノが弾けなくなった経験があるからこそ、一音一音の意味をかみしめながら弾いているのでしょうか。これほどまでに透明な情感の高まるピアノは聴いたことがありません。奏者の魂が音になっているような珠玉の演奏。これほどの演奏をする人がマイナーな存在であること自体が驚きです。この曲には名演が数多くありますが、最近聴いた中ではベストの演奏と言っていいでしょう。見事。

このアルバム、エリザベス・スペイサーの歌も素晴らしかったですが、それよりさらに素晴らしいのが伴奏のジョン・バトリック。音符を音にするというのではなく、音符に潜む魂を音にしていくような素晴らしい演奏。歌手と伴奏の息もピタリとあって歌曲は絶品。そして2曲収められたピアノ独奏の曲も歌曲以上の素晴らしさ。これほど見事な演奏が埋もれているとは人類の損失に他なりません。もちろん全曲[+++++]とします。歌曲が好きな方はもちろん、ピアノソナタの好きな方、このアルバムを見逃してはなりません。いつもながらですが手にはいるうちにどうぞ。

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ギャリック・オールソンのピアノソナタ集(ハイドン)

今日も湖国JHさんから送り込まれた刺客。恐ろしいキレ者でした。

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ギャリック・オールソン(Garrick Ohlsson)のピアノによるハイドンのピアノソナタ集。Hob.XVI:50、XVI:51、XVI:52、アンダンテと変奏曲XVII:6、アダージョXVII:9の5曲を収めたアルバム。収録はPマークが1992年、ニューヨークのコンコルディア・カレッジでのセッション録音。レーベルは米ARABESQUE RECORDINGS。

ギャリック・オールソンは私ははじめて聴く人。ネットをみてみると、ショパン、ベートーヴェンなどのアルバムがかなりリリースされていますので、知っている人も多いでしょう。

1948年、アメリカ、ニューヨーク州のマンハッタンの30kmほど北方にあるホワイト・プレインズ生まれのピアニスト。1966年にブゾーニコンクール、1968年にモントリオール・ピアノコンクールに優勝、1970年にはワルシャワで行われたショパンコンクールで金賞を受賞し国際的に有名になりました。ショパンのピアノ曲をすべてレコーディングしている他、レパートリーは広大で、80曲もの協奏曲を弾くことができるとのことです。

オールラウンダーたるオールソンのハイドン、これが素晴しかった。このアルバム以外にハイドンの録音はなさそうですが、選曲はハイドン山脈の頂上をいきなり目指す意欲的なもの。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
広いホールの残響をたっぷりと含んだピアノの響き。冒頭から尋常ならざるキレ。オールソン、テクニシャンらしくクッキリとハイドンの最晩年のソナタを軽々と演奏していきますが、テクニックの誇示のような印象はなく、ハイドンのソナタと戯れているよう。ハイドンに対する畏敬のようなもの感じられる真摯な姿勢も感じます。このキレは素晴しいですね。ところどころで大きくメリハリつけるので、曲の構造がクッキリと浮かび上がり、キリリと構成感を表現。迫力も十分。冒頭から圧倒的な演奏にのけぞります。
素晴しかったのがこのアダージョ。ハイドンの美しい煌めくようなメロディーが次々と奏でられ、まるで満天の夜空をながめるよう。テンポをしっかり落とし、ゆったりと濃密な音楽が流れます。溢れんばかりの香しい詩情にうっとり。
フィナーレではやはり、自在に加減速をコントロールしながら、抜群のキレ味のタッチ。この人、只者ではありませんんね。最後はふっと力を抜いた見事な終わり方。1曲目からノックアウトです。

Hob.XVI:51 / Piano Sonata No.61 [D] (probably 1794)
2楽章構成の曲。実に伸びやかな入り。キレよくしなやかなタッチは変わらず、クッキリとしたメリハリもあり、ピアノが鳴りきっています。このXVI:51は今ひとつ落ち着かない演奏も多いのですが、曲の聴かせどころをしっかり把握して見事な演奏。ベートーヴェンの曲のようなダイナミックさではあるのですが、不思議と違和感はなく、ピアノによるハイドンのソナタの理想的な響きと言っていいでしょう。

Hob.XVI:52 / Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
これまでの演奏とかわらず、素晴しい集中力。この曲に求められるダイナミックさと軽やかさ、しなやかさ、古典的な規律、そしてハイドンらしい微笑ましさまで、すべてが高次にまとめられた演奏と言っていいでしょう。聴いていてエクスタシーを感じるほどのキレ味。ひとつひとつのフレーズを完璧に描き分ける驚愕のコントロール。ビアノの分厚い響きの最後の余韻までコントロールされているような、完璧な制御。これだけの表情が自然にまとまっているあたり、恐ろしく鋭敏な感覚の持ち主なのでしょう。
このアダージョでは確信犯的に変化を抑え、孤高の境地に達するよう意図しているよう。ピアノによるこの演奏でこれ以上の高みはあるのでしょうか。ゆったりと演奏をすすめるうちに、高みは成層圏の濃紺の空のよう。
フィナーレの入りのフレーズにほっと一息つきますが、この曲のこれからの展開をオールソンのカミソリのようなキレ味で演奏されることを想像すると穏やかではありません。すぐにキレが炸裂。広いホールに広がるピアノ響きにただただ打たれます。

Hob.XVII:6 / Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
これまでのオールソンの圧倒的な演奏から、この曲を聴く前から殺気を感じるほど。いったいどこまで澄みきった演奏を聴かせるのでしょうか。丁寧に丁寧に変奏を磨き込んでいくような演奏。ピアノ響きは磨き抜かれたキラ星のごとき美しさ。この長い変奏を完全に掌握して、演奏はオールソン流に完璧に仕上げてきます。隙もゆるみも一切なく、揺るぎない自信に溢れた演奏。変奏一つ一つの描き分けは見事と言う他ありません。ハイドンがたどり着いた、ベートーヴェンへとつながる音楽の歴史の一つの頂点を聴くような感慨を覚えるほどの説得力。この雄弁さ、余人の演奏とは一段レベルが違う感じです。この長い変奏を実にうまくまとめて、クライマックスを築いた後、最後は響きの純度が限りなく透明に近くなってすっと終わります。ピアノの美しい響きの余韻が耳にこだまします。

Hob.XVII:9 / Adagio [F] (before 1792)
何と純粋な響き。今までブレンデル盤を愛聴してきましたが、ブレンデルよりもオールソンのほうが深いですね。シンプルな音楽の中に祈りにも似た無垢なものがあります。心が洗われるような演奏です。

ギャリック・オールソン、はじめて聴く人でしたが、衝撃を受けたというのが正直なところでしょう。これほどのハイドンに今まで触れてこなかったとは。まだまだ研鑽がたりませんね。このアルバムは現在、中古以外では流通していないようですが、ハイドンのピアノソナタが好きな方は必聴のアルバムです。ピアノによるハイドンのソナタの正統的な演奏の一つの理想のような演奏です。評価は言うまでもなく全曲[+++++]です。

湖国JHさん、参りました。

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【新着】ルドルフ・ゼルキン最晩年のピアノソナタXVI:50

なんと、はじめて手に入れる、ルドルフ・ゼルキンのハイドンの録音。

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ルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin)のピアノによるブラームス、マックス・レーガー、ハイドンの作品を収めたアルバム。ハイドンはピアノソナタ(Hob.XVI:50)。ハイドンの収録は1985年5月15日、10月4日、アメリカ、ヴァーモント州、ギルフォード(Guilford)にあるルドルフ・ゼルキンの自邸のスタジオでの録音。レーベルは日本のSony Music Japan。

ルドルフ・ゼルキンといえば、ベートーヴェンなんでしょうが、個人的になじみなのはアバドと組んだモーツァルトのピアノ協奏曲。アバドといえばグルダと組んだモーツァルトが神格化されていたので、ゼルキンとの演奏は頑固オヤジのピアノにアバドが寄り添った演奏との印象でした。今までハイドンの録音があるとは知らずに来ましたが、HMV ONLINEの検索に引っかかって見つけたもの。

ルドルフ・ゼルキンは1903年、ボエミア、現在のチェコのヘプ(Chep)生まれのピアニスト。両親はロシア系のユダヤ人で、小さい頃ウィーンに移りピアノと作曲を学びました。1915年にウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を弾いてデビュー、1920年にはアドルフ・ブッシュとデュオを組んでヨーロッパ各地で演奏活動を行うようになり、アドルフ・ブッシュの娘と後に結婚することになります。1936年にはトスカニーニ指揮のニューヨークフィルとの共演でアメリカデビュー、1939年にはナチスから逃れるためアメリカに移住して、カーチス音楽院で教職につきます。その後の活躍は録音を通しても知られているかと思いますが、録音には慎重であり、得意としていたベートーヴェンについてもソナタ全曲の録音は残していないそうです。亡くなったのは1991年であり、今日取り上げる演奏は82歳と最晩年の録音。ゼルキンの自宅での録音というのも興味を引くところ。

もちろんハイドンが入っているCD2から聴き始めますが、1曲目に入っているマックス・レーガーの「バッハの主題による変奏曲とフーガ」が素晴しい集中力の演奏で思わず引きづり込まれます。ハイドンを聴く前からゼルキンの骨のある音楽にやられてます。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
レーガーは広いホールでの録音のようでしたが、ハイドンはまさに自宅で弾いているようなリアルな録音。グールドとまでは行かないものの、硬質なスタッカートが印象的な入り。とても82歳のピアニストの演奏とは思えない緻密なコントロール。一音一音の粒立ちが鮮やかで、ハイドンの機知を楽しむようにゼルキンが絶妙のタッチで演奏を進めます。大きな流れを表現したレーガーでの演奏とは異なり、本当にタッチのひとつひとつを楽しむような演奏。指一本一本が独立して一音一音を巧みにコントロールしているよう。ちょっと他の人には真似の出来ないような独特のハイドンですが、音楽に淀みはなく、絶妙のコントロールに酔いしれます。練習曲でも素晴しい音楽になるのだと諭されているよう。まさに自在な境地。終盤のオルゴールのように響く所も、繊細なタッチでデリカシー十分。あっぱれ。
1楽章のあまりにも素晴しい流れから予想はしていましたが、アダージョは絶品。これほどまでに磨き抜かれたピアノの響きを聴けるとは。フレーズのひとつひとつを慈しむように音楽にしていき、しっかりと音楽の骨格も感じさせるあたり、並のピアニストではありません。この期に及んでこれほど純粋な音楽を奏でられるとは驚きです。最後は本当に消え入るような響き。
フィナーレは予想通り、軽く流すような演奏。指は十分動いて、速いパッセージも軽々と音楽を楽しむ余裕のある演奏。メリハリは適度で、これまでの音楽の情感をさらりと洗い流すようなさっぱりとした演奏。必要な部分で音楽をすべて表現しきったからでしょうか、悟りにも聴こえる音楽でした。

大御所、ルドルフ・ゼルキンの晩年の演奏ということで、もうすこし大仰な音楽だと想像していましたが、さにあらず。自宅での録音と言う事が影響しているのか、悟りきったような心境から迸り出る燻し銀の音楽。この人のベートーヴェンはすごいだろうと想像できるような、ちょっと骨っぽさを感じる一方、自己表現のような欲は皆無で、この人の特徴である、骨格のしっかりした確かなタッチで音楽を刻んでいく演奏でした。リヒテルのようにハイドンを得意としていたとは聞いていませんが、ハイドンの演奏としても流石といえるものでしょう。なんとゼルキンのCBSへの最後の録音がこのハイドンということで、少々感慨深くもあります。これは[+++++]をつけざるを得ませんね。

評価の高い、クーベリックとのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集、発注です!

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マルコム・ビルソンのクラヴィーアソナタ集

最近手に入れたアルバムから。

MalcolmBilson50.jpg
HMV ONLINEicon / amazon / TOWER RECORDS

マルコム・ビルソン(Malcolm Bilson)のフォルテピアノによるハイドンのクラヴィーアソナタ5曲(Hob.XVI:50、XVI:43、XVI:3、XVI:20、XVI:40)を収めたアルバム。収録は2003年8月13日,14日、カナダ、トロントのカナダ放送グレン・グールド・スタジオでのセッション録音。レーベルはスイスのclaves records。

マルコム・ビルソンといえば、ガーディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツとのモーツァルトのピアノ協奏曲全集でしょう。リリースされる度に一枚一枚手に入れて聴いたのが懐かしいですね。ブレンデル/マリナー盤が刷り込みでしたので、特に20番より前の協奏曲の鮮やかな色彩感は、ビルソン盤でその魅力を知ったものです。調べてみるとガーディナーとのモーツァルトの全集は1983年から88年にかけての録音ということで、古楽器によるモーツァルトのピアノ協奏曲録音の走りだったことがわかります。

マルコム・ビルソンのハイドンのソナタの録音は、手元にELECTRA NONSUCHによる1982年にXVI:49、XVI:52を収めたアルバムがあるのですが、ビルソン独特の媚びないというか、素っ気ない演奏と、普段は超絶Hi-Fi録音で知られるNONSUCHのリアルすぎる録音によって、どうにも音楽に入り込めない演奏という印象でした。

このアルバム、店頭で見かけた時に、NONSUCH盤の延長かと思いきや、レーベルも異なり、録音年代がぐっと新しいものだとわかり、迷わず購入しました。

マルコム・ビルソンは1935年、アメリカ、ロスンゼルス出身の鍵盤楽器奏者。弾くばかりではなく研究者でもあるそうです。ニューヨーク州のバード大学を卒業後、ベルリンの音楽舞台芸術アカデミー、パリのエコール・ノルマル音楽院で音楽を学び、イリノイ大学で博士号を得ました。1976年からはコーネル大学で教えています。ガーディナーとのピアノ協奏曲全集の他、フォルテピアノによるモーツァルトとシューベルトのピアノソナタ全集をHUNGAROTONに録音するなど、古楽器演奏の一翼を担いました。

このアルバム、ジャケットには気になるフレーズがあります。

”Five Keyboard Sonatas on a Schanz Fortepiano”

そう、ハイドン自身が「シャンツこそ最も優れたフォルテピアノ工房である」と言っている楽器です。シャンツのフォルテピアノを弾いたソナタは、これまで2つレビューで取りあげています。詳しくはパウル・バドゥラ=スコダの記事をご参照ください。

2013/03/02 : ハイドン–ピアノソナタ : キャロル・セラシのフォルテピアノ/クラヴィコードによるソナタ集
2013/01/13 : ハイドン–ピアノソナタ : ハイドンの時代の響き パウル・バドゥラ=スコダのフォルテピアノ作品集

古楽器に詳しいビルソンだけに、ハイドン自身が気に入っていたシャンツでの録音にこだわったのでしょうか。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
さっぱりとした表情はビルソンならではですが、音量を上げて聴くと、いつものビルソンとはちょっと違い、楽器の余韻を活かした透き通るような空気感とピリッとした緊張感に包まれています。響きに力があるシャンツの音色を活かして、力強いタッチで、フレーズごとにメリハリをつけて弾き進めていきます。録音は最新のものだけあって、自然で適度な残響がともなうもの。ビルソンの演奏はインマゼールのような色彩感やブラウティハムのようなしなやかなダイナミックさはなく、そのかわり誠実かつ骨格のしっかりした演奏。研究者でもある奏者として色づけを排した純粋な響きを求めているよう。少々音楽に固いところがありますが、それが良さでもあるでしょう。ハイドン晩年のソナタから禅の心境にも似た純粋な境地を感じさせます。一音一音のタッチが実にガッチリと決まります。
アダージョはゆったりした印象はなく、テンポはゆっくりなのに険しさを感じる音楽。前楽章同様、一音一音がクッキリ浮かび上がる鮮明なタッチで進みます。この曲のアダージョから情感を排して純粋な音楽のみが結晶となったような響き。ヨーロッパの伝統とは異なり、アメリカ出身のビルソンの中にある純粋な感性がベースにあるからでしょうか。純粋無垢な音楽。
フィナーレでも、間を活かしながらも強いタッチの鮮明な響きが繰り返しやってくるもの。シャンツのフォルテピアノのダイナミックレンジいっぱいに楽器を響かせ、強音の迫力で聴かせます。1曲目からハイドンのソナタの素晴しい迫力に圧倒されます。

演奏のスタンスは曲によって変わらず、一貫しているため、以後の曲は簡単に。

Hob.XVI:43 / Piano Sonata No.35 [A flat] (1770's)
続く曲はだいぶ作曲年代を遡った中期のもの。演奏によってはリズムの面白さ、軽妙洒脱さにスポットライトを当てる曲ですが、ビルソンはここでも、正攻法の演奏。確実なタッチで生真面目とも映る誠実さで弾き進めていきます。多少力は抜けているものの、教科書通り折り目正しい演奏。2楽章の途中で柔らかい音に響きを変化をさせる部分の美しさは楽器を知り尽くしたビルソンならでは。聴いているうちに、この淡々とした楽興は現代楽器と古楽器の違いはあるものの、オルベルツの演奏に近いように感じてきました。楽器が良く鳴って弾くのが気持ち良さそうな演奏。

Hob.XVI:39 / Piano Sonata No.52 [G] (1780)
前曲同様、小気味好い演奏も多い曲ですが、ビルソンは一貫してオーソドックスな攻め方。ハイドンのピアノソナタ全体を叙事詩を語るように演奏するような感じ。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きなXVI:20。この曲はじっくりとした入りから来ました。響きを美しく聴かせようというより、メロディーをとぼとぼ語っていくような弾きっぷり。時折テンポを落として音階を分解して鳴らすような場面があります。
キラ星のような美しさを誇るアンダンテは、ことさら曲の美しさに媚びることなく地味な展開。ただ、その地味さから音楽の美しさが立ちのぼるのがこの曲の素晴しいところ。

Hob.XVI:40 / Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
最後の曲は2楽章構成。アルバムの最後を飾る素朴さ。ビルソンは曲をどう料理するかということよりも、ハイドンの創作に対する謙虚な心情を吐露するように演奏することに集中しているよう。右手の音階がときおり鮮明に駆け上がりますが、全体ととしては落ち着いたもの。フィナーレもクッキリした表情が印象的でわかりやすい演奏。

このアルバム、評価が非常に難しいです。古楽器の研究者としてオーソドックスにフォルテピアノの演奏を仕上げてくるあたりは、かなりの腕前ですが、音楽自体が非常に謙虚で律儀なもの。ハイドンの音符をきっちり弾いていくことにかけて、そして楽器をきっちり鳴らしていく事にかけては素晴しい演奏ですが、どうしても音楽に固さを感じてしまうのがが正直な所。この5曲の演奏として皆さんに推すべき演奏は他にもいろいろありますが、ハイドンのソナタをいろいろ聴き込んできた人にはこのアルバムでのビルソンの筋の通った演奏の価値は伝わるのだと思います。私の評価はXVI:50が[+++++]、思い入れの強いXVI:20は[+++]、その他の曲は[++++]とします。

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【新着】リヒテルのピアノソナタライヴ集

せっかくのお休みですが、風邪をひいて喉がガラガラ。会社でも同じ風邪をひいている人が多かったのでうつってしまったよう。今日は出かけずに家でのんびり。

Richter4403.jpg
HMV ONLINEicon / TOWER RECORDS

スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)のソ連時代の録音を集めたCD9枚組。この中のCD1がハイドンのピアノソナタ集となっており、Hob.XVI:20、XVI:41、XVI:50、XVI:52の4曲が収められています。収録は何れもモスクワでのライヴであり、XVI:52が1949年の他は1960年代のもの。それぞれ日付が異なるため、曲のレビューと一緒に収録日は記載することとします。レーベルは露Venezia。

このアルバムは最近リリースされてHMV ONLINEから届いたもの。これまでHMV ONLINEは出荷が遅く、注文して在庫がそろっていても、2、3日してから出荷になるケースが多く、すぐにつくとは思っていませんでした。ところが数日前に注文を入れるとすぐに在庫がそろって、すぐに出荷となりました。ウェブサイトにも在庫ありのものも13時までの注文は当日出荷とうたいはじめてますので、出荷体制がだいぶ変わってきたのでしょうか。これまでもマルチバイにすると値段は安い事が多いので、HMV ONLINEを使うことが多かったですが、出荷体制はお世辞にも良いとは言えなかったので、これで少し皆さんにもすすめやすくなりましたでしょうか。

さて、リヒテルはハイドンを好んでいたようで、ライヴを中心にアルバムはかなりリリースされています。手元にもかなりの数のアルバムがありますが、記事として取りあげたのは調べてみると2回のみ。しかも最初の記事はアバムの紹介程度でしたので、ちゃんとリヒテルのアルバムをレビューしたのは1度きりとなります。

2010/11/23 : ハイドン–ピアノソナタ : リヒテルの1993年のソナタ録音
2010/02/23 : ハイドン–ピアノソナタ : リヒテルのソナタ録音

前にも書きましたが、リヒテルのハイドンは力感の表現が秀逸でかつ音楽が大きく、好きな演奏です。ただし、ライヴがかなり出ていて、何となく演奏同士、比較してみなくてはいけないとの先入観から、レビューに取りあげにくかったのかもしれません。

前記事を読み直してみると、リヒテルの略歴等にも触れておりません。自分の知識のためにちょっとさらっておきましょう。

スヴャトスラフ・リヒテルは1915年、現ウクライナのキエフの西100kmほどのところにあるジトームィルで生まれました。父はドイツ人ピアニスト。幼いころに黒海沿岸のオデッサに移住、父親はリヒテルに音楽を教えましたが、音楽家にしようとは思わなかったそうで、後にオデッサで処刑されてしまったとのこと。リヒテルは独学でピアノをはじめ、1931年に15歳でオデッサ歌劇場のコレペティートルに採用され、この時多くのオペラ曲の演奏を通じて腕を磨きました。1934年、19歳で小規模なリサイタルを開き、成功したとの事。1937年22歳でモスクワ音楽院に入学し、名教師ゲンリフ・ネイガウスに師事します。ネイガウスはリヒテルの他、エミール・ギレリス、アナトリー・ヴェデルニコフ、ラドゥ・ルプーらの師として知られ、スタニスラフ・ブーニンは彼の孫とのこと。ネイガウスはリヒテルに「何も教えることはなかった」と語り、リヒテルはネイガウスから多くの事を学んだと言っているとされ、これ以上の師弟関係はないような間柄だったと想像できます。その後ネイガウスの紹介でプロコフィエフと親交を持つようになり、1943年モスクワでプロコフィエフのピアノソナタ7番を初演しました。以後ソ連内で活発に演奏活動をするようになり、1945年には30歳で全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位を受賞しました。以後東欧で公演を行い、西側にもその評判が伝わるようになり、「幻のピアニスト」と呼ばれるようになりました。1958年ブルガリアのソフィアで行ったリサイタルでの「展覧会の絵」などによって全世界に知られるようになり、ヴァン・クライバーンが「生涯で聴いたなかで最もパワフルな演奏だった」と語ったことで評価が決定的となったとされます。1960年にようやく西側での演奏が許可され、以後は日本を含む世界各地に演奏旅行に出かけ、1997年8月にモスクワで82歳で亡くなったということです。

私はリヒテルのハイドンはいろいろ聴いてますが、ベートーヴェンや展覧会の絵などの演奏はちゃんと聴いていません。リヒテルのアルバムで最初に買ったのはバッハの平均率クラヴィーア曲集。淡々とかつ雄弁に語っていく音楽の大きさに打たれたアルバムでした。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1960年代、モスクワでのライヴとだけ記載されています。リヒテルの詩情溢れるピアノが少し遠めに定位し、会場ノイズがわりと大きめに入っています。最初に何かぶつかったような音がします。高域はちょっと混濁気味ですが、リヒテルのピアノの宝石のような輝きはしっかり伝わります。テンポのコントロールは大胆。曲が大きく転換するところで大きくテンポを落とします。ピアノの音は確かな骨格に裏付けられたカッチリとしたもの。ハイドンの名曲の光と陰を鮮明に描いていきます。テープの転写か、先の音がうっすら聴こえてきます。速いパッセージのキレの良さと、ダイナミックレンジは録音を超えて伝わってきます。時折みせる右手の強音はホールを突き抜けるような力強さ。この曲独特の物憂げな印象と冬の星空のような凛とした美しさを実に上手く表現。やはり抜群の力感がものを言います。
咳払いが終わらぬうちに美しいアンダンテ・コン・モートがはじまり、右手の輝きは最初から閃光を放ちまくってます。意外にさらさらとすすめていき、左手の伴奏も正確なリズムに支えられて、鋼のような強靭さ。メロディーの主張の仕方というか、立体感が尋常ではありません。大きく音楽をとらえて大波が押し寄せては消えていくように美しいメロディーが次々とやってきますが、リヒテル自身は非常に冷静に音楽を作っているよう。素晴しく峻厳な音楽。詩情がただよう演奏が多いのですが、全盛期のリヒテルにかかると、豪腕投手の内角高めの豪速球のような厳しいアプローチ。有無をも言わせぬ迫力。ピアノからオーラが出まくってます。
驚くのがフィナーレの力感。ハイドンの曲でここまでのピアニズムを感じるとは。ピアノが鳴りきっています。指の一本一本が鋼で出来ているような素晴しい力感。音の力でもテクニックでも並のピアニストは次元が違います。1曲目から驚きの演奏。全盛期のリヒテルのエネルギーがスピーカーを伝わって、風邪で弱り気味の脳髄直撃です。まさに縦横無尽にピアノを操ります。痺れました。会場からは驚き混じりの拍手が降り注ぎます。

Hob.XVI:41 / Piano Sonata No.55 [B] (c.1783)
つづいて1961年4月17日のモスクワライヴ。前曲の混濁感はなくなって、鮮明さが上がりますが、高域重視の録音。鮮明に咳払いが録られています。いきなり右手のキレの良さに打たれます。速めのテンポながらアクセントがキレまくって、鮮烈な印象。速いパッセージの指が回っているのはもちろん、要所のアクセントが決まりまくって、痛快なほど。ハイドンの原曲の面白さもありますが、アクロバティックにも感じるリヒテルの指さばきにただただ聴き惚れます。鍵盤の上で指が踊りまくっているよう。1楽章の終盤に至り、渾身の打撃でまたもピアノの轟音が響き渡ります。本気ですね。
つづくアレグロ・ディ・モルトも良くこれだけのエネルギーをハイドンの曲に込められるものと感心しきり。速めのテンポで弾き進めていきますが、途中耳をつんざくような強音を何回か聴かせて、この2楽章の小ソナタに込められた本当のエネルギーを知らしめます。最後の一音と同時に拍手が振り注ぎますが、なぜかフェードアウトではなく、さっとヴォリュームを絞る唐突な終わり方。演奏の素晴しさを損なうものではありません。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
晩年の名曲。1960年9月24日のモスクワでのライヴ。この演奏はおそらく同じ演奏が手元に別のアルバムであります。前曲と似た音響ですが、このアルバムでは一番聴きやすい音。リヒテルは相変わらず、細かい事は気にせず、速めのテンポでバリバリ弾き進めます。後年のリヒテルの演奏は力感と知と情のバランスが絶妙なんですが、この時期の演奏は抑えきれない表現欲からか、ハイドンのソナタに潜む力感の極北を示すようなアタックの連続。無限に動く指と、ピアノと言う楽器のもつダイナミックレンジを遥かに超える強音を交えながら、他のピアニストには絶対に真似の出来ない世界を築いていきます。この曲でもアクセントのキレは尋常なものではありませんが、それがくどくなく、ピアノ音楽の極限んを示すように聴こえるところがスゴいところ。
続くアダージョは、しっかりテンポを落として、磨き抜かれた美音が轟きます。くっきりとアクセントがついてメロディーは恐ろしいほどの立体感。録音は鮮明で、その鮮明さを物語るようなリアルな咳払いが録られています。リヒテルのピアノは神々しい光を帯びたようにこの素晴しい楽章のメロディーを奏でていきます。まさに奇跡の瞬間のような演奏。会場の聴衆は完全にリヒテルの演奏に呑まれています。
最後のアレグロ・モルトは、意外にテンポを揺らさず、噛み締めるように入りますが、途中から強音炸裂。速いばかりじゃないとでも言いたげに、じっくり演奏が進みます。ここでも拍手はさっと消えます。

Hob.XVI:52 / Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
最後の曲。1949年5月30日、モスクワ音楽院グランド・ホールでのライヴ。この曲のみモノラルです。先の3曲から10年以上前の録音。迫力も自在さも一段下がりますが、右手のクリアなタッチがリヒテルらしさを感じさせます。なぜか録音はモノラルながらかなり良く、鮮明さはこのアルバム一番。モノラルなので空間を感じさせませんが、オンマイクでかなり鮮明にピアノの美音を録っています。所々ミスタッチがありますが、グールドの愛用したチッカリングピアノのような独特の高音の響きがあり、なかなか良い音色。スケール、特に音楽のつくりの大きさは後年のものに譲りますが、タッチのキレは流石リヒテル、指の回転は素晴しいものがあります。
つづくアダージョも前3曲と比べるとオーソドックスな演奏ですが、鮮明なピアノのタッチのキレでグイグイ聴かせていき、この楽章特有の孤高の表情を描いていきます。
フィナーレに入ると、指の回転を上回る超絶テンポ設定にリヒテル自身も絡まり気味ですが、そんなことは気にせず、グイグイいきます。ここまでくるとリヒテルの演奏スタイル耳のほうが合ってきて、完全にリヒテル術中にはまったよう。ブレンデルらが聴かせる研ぎすまされた世界とは全く異なる鋼のようなハイドンでした。

このアルバムで聴かれる特に1960年代のリヒテルのハイドンは一般的なハイドンの演奏とは全く異なり、かなり速めのテンポでハイドンのソナタに潜む力感を鋼のようなタッチで演奏したもの。ハイドンのピアノソナタの定番としてお薦めするにはちょっと無理がありますが、ハイドンのソナタの極北を示す演奏として、そしてリヒテルの全盛期の記録としては貴重な記録であることは間違いありません。リヒテルの全盛期の演奏は、決して誰にも真似の出来ない強靭なタッチ、狂気のような強音、何も躊躇することのない直裁なアプローチが鮮明に印象に残りました。評価は60年代の演奏はやはり[+++++]をつけない訳に参りません。最後のXVI:52は[++++]とします。

リヒテルの後年の演奏はこれに比べるとだいぶ穏やかになり、それでも力感と大きな音楽が宿る素晴しい演奏であり、一般的にはそちらをお薦めすべきでしょう。

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ブラッドフォード・トレーシーのフォルテピアノソナタ集

まだLPが続きます。

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ブラッドフォード・トレーシー(Bradford Tracey)のフォルテピアノの演奏によるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:6、XVI:12、XVI:28、XVI:50)と、アンダンテと変奏曲(XVII:6)の5曲を収めたアルバム。収録は1981年、ドイツの南西端にあるバート・クロイツィンゲン(Bad Krozingen)城でのセッション録音。レーベルはFSM toccataというところ。ドイツ語の解説が先に書かれているのでドイツのレーベルでしょう。

今日はなんと、出勤時に駅まで急ぎ足で歩いていて、交差点の信号の変わりばなに足を踏み出したところ、右足のふくらはぎからピシッという音がして激痛が走りました。肉離れです。昨年も一度やったところ。しばらくじっとしていましたが、満員電車での通勤は無理とあきらめ、3倍くらいの時間をかけてびっこをひきながら家にもどり、会社に休みの連絡を入れました。朝一番で近所の整形外科に行き、前回のときと同様、念のためレントゲンを撮って骨には異常がないことを確かめ、「肉離れですね」と整形外科医にとっては日常的な軽めの扱い(笑)
シップを貼って、包帯で圧迫。そして消炎鎮痛剤が処方されました。前回は勤務先そばの整形外科でしたので、今回と違う先生。前回は包帯はなしでしたが、すこし圧迫した方が良いそう。ということで今日は自宅で静かに、音楽を聴いて療養していた次第です。

最近集中してLPを聴いていますが、DL-103の図太い音色から、SHURE V15typeVのモニター調の精緻な音色が恋しくなり、カートリッジをV15typeVに変えて、久々にアームをいろいろ調整しました。LPはカートリッジを変えることで音質がかなり変わりますので、それも楽しみの一つです。

SHUREに変えたので、古楽器などが良かろうと取り出したのが今日のアルバム。

奏者のブラッドフォード・トレーシーは1951年、カナダ東端のノヴァ・スコシア生まれのピアニスト、フォルテピアノ奏者。ノヴァ・スコシアといえば、以前取りあげたゲオルク・ティントナーが晩年落ち着いたところですね。当初からフォルテピアノなどの古楽器を学び、ハンス=マルチン・リンデらとスコラ・カントルム・バジリエンスとして演奏活動をしていました。また古楽器の収集家としても知られた人とのことです。1979年からはベルリン芸術アカデミーの教職につきました。1987年に36歳で亡くなっています。

このアルバム、LPの実体感溢れる音響によってフォルテピアノの鮮明な響きが味わえるなかなかいいアルバム。しかも全5曲それぞれ異なる楽器で弾かれているのも楽器収集家でもあった奏者のこだわりでしょう。今はほとんど知る人のいない、ブラッドフォード・トレーシーの名演奏と楽器の音色の違いを楽しみながら、肉離れを癒したいと思います。

Hob.XVI:6 / Piano Sonata No.13 [G] (before 1760)
楽器:Cembalo nach Blanchet, Paris um 1730 von William Dowd
ハープシコードのキレのいい音色で奏でられる初期のソナタ。非常に鮮度の高い響き。トレーシーの演奏は粒立ちのよいハープシコード独特のきらびやかな音色を生かして、キビキビとしたテンポの良い演奏。フレーズの単位ごとに少し間をとりながら進めることで、構成感もあります。2楽章はメヌエットで、かわらぬキビキビ感を保ちます。休符を長くとることで、曲が引き締まります。左手で奏でるリズムに変化があり単調な感じは一切しません。3楽章がアダージョ。さっぱりとしながらも少し練りが入り、詩的な印象も加わります。このアダージョの素朴な展開の美しさは見事。曲想と楽器がぴったりマッチしてえも言われぬ感興。フィナーレも無理せず、ありのままの音楽ですが、楽器をキャパ一杯まで鳴らし最後のクライマックスにもっていきます。

Hob.XVI:12 / Piano Sonata No.12 [A] (before 1765)
楽器:Tavelklavier, unsigniert, Schweiz um 1770
音色がずっとピアノに近くなります。特に中高音の響きに余裕が感じられます。この曲も初期の曲ですが、前曲と聴かせどころが全く異なり、練習曲のような音階の繰り返しと規則的な一貫したテンポ。ここでも曲想と楽器の音色が見事に一致。楽器の音色に関して相当鋭敏な神経の持ち主と見ました。演奏は古典派らしく、踏み外したところのないバランス感覚溢れたもので、音色に多くを語らせようと言う事でしょうか。

Hob.XVI:28 / Piano Sonata No.43 [E flat] (1776 or before)
楽器:Fortepiano von Johann André Stein, Augsburg um 1780
今度は良く乾燥が進んだ乾いた音色の胴鳴りの美しさをともなったフォルテピアノの響き。強弱のレンジも広がり、曲の構造が一層浮かび上がってきます。中音域の粒立ちの良さと高音域のすこしオフ気味な柔らかい音色がメロディーラインの印象を華やかにします。トレーシーの演奏は慎み深く、楽器本来の響きを鳴らす事に集中しているようです。特に面白いのがフィナーレ。主題が次々と変化し印象を変えていくのでしたが、重なり合うようにフレーズが有機的に変化していき、次々と楽器の音色も変化して、千変万化する音楽の豊かさが印象的。

Hob.XVII:6 / Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
楽器:Fortepiano von Johann Gottliev Fichtl
LPを裏返して晩年の名曲になります。前曲の楽器より若干、木部の乾燥が進んでいないような印象のしっとりとした音を奏でるフォルテピアノ。ちょっと箱鳴りっぽい余韻がつきまといます。この曲の影のある表情を強調しようという意図でしょうか。前曲で使った伸びのいい爽快感のある楽器での演奏の方がしっくりくるのではないかという見方もあるでしょう。トレーシーの演奏は一貫して抑制がききつつも表情は豊かで、いい意味で淡々としたところもあり、ハイドンのピアノソナタを知り尽くした人にしかできないきっちりしたもの。この曲の激しさは影を潜め、柔らかいフォルテピアノの音色による回想シーンのような雰囲気のある音楽。途中の抑えた音色の部分の深い表現もあり、この曲の幽玄とした印象がにじみ出る名演奏です。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
楽器:Fortepiano von John Broadwood & Son, London 1798
最後の曲。高域の響きのいい楽器。粒立ちがいいというのではなく、アタックよりも胴鳴りの豊かさを感じる響き。ハイドンのソナタの頂点に位置する曲ですが、意外にここに来てテンポの変化をかなりつけた演奏です。微妙にテンポを上げたり落としたりして、フレーズごとに自在な表情付け。音色の方は一貫して響きのいいもの。この曲ごとのスタンスの違いも面白いですね。途中ペダルを効果的に使って、あえて楽器全体が響くような特殊な響きを置いたりして、聴き手の予測を超える変化を見せる器の大きさ。楽器の響きをすべて知り尽くした人だけが出来る演出でしょう。2楽章のアダージョに至ってトレーシーの自在なタッチはさらにくだけて、自在さの限りを尽くすよう。初期のソナタのかちっと引き締まった演奏とは別人のような閃き。曲の本質を見抜く類いまれなセンスの持ち主だったのでしょう。フィナーレは逆に秩序がもどり、アルバム最後のトラックを穏やかな表情でまとめます。

いやいやこのアルバムは素晴らしい。ハイドンのソナタ集に違いはないのですが、奏者の志しの高さがにじみ出てくるような素晴らしい演奏。ハイドンの初期から晩年のソナタを並べ、その各曲に最適な楽器で、そのソナタはこう弾くべきと言う明確なメッセージを感じる演奏です。特に各曲の曲想をに合わせて演奏スタンスをはっきり変えてくるところも素晴らしい機転です。評価は全曲[+++++]とします。

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エフゲニー・スドビンのピアノソナタ集

これも最近入手したアルバム。BISからリリースされたピアノソナタ集。ピアニストは未知の人ながら、良いプロダクションの多いBISレーベルの魅力に惹かれて手に入れたもの。

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HMV ONLINEicon / amazon / TOWER RECORDS

エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin)のピアノによるハイドンのピアノソナタ集。ピアノソナタ3曲(Hob.XVI:32、XVI:50、XVI:34)とファンタジア(Hob.XVII:4)、アンダンテと変奏曲(Hob.XVII:6)そして弦楽四重奏曲Op.64のNo.5「ひばり」のフィナーレの6曲。収録はHob.XVI:32とXVI:50が2009年2月、XVI:34とファンタジア、ひばりのフィナーレが2009年6月、アンダンテと変奏曲が2010年1月、イギリス西部のブリストルにある聖ジョージ教会でのセッション録音。レーベルはスェーデンのBIS。

最近のtwitterによると「ハイドンが上手なピアニストはスカルラッティも良い」との法則があり、演奏の頻度から言うと、おそらく「スカルラッティが上手なピアニストはハイドンも良い」との逆法則も成り立つとの盲目的邪推も成り立ちます。このスドビンはスカルラッティを弾いたデビューアルバムが絶賛されたとのふれこみだったのでHMV ONLINEに注文していたもの。元の法則は以前取りあげたチェスのサイトを運営するpascal_apiさんのつぶやきですが、いいところをついていると思います。

エフゲニー・スドビンは1980年サンクトペテルブルク(私の世代にはレニングラードの方がなじみます)生まれのピアニスト。幼い頃から音楽的才能を知られ、1987年にサンクトペテルブルク音楽院、1990年にベルリン、1997年よりロンドン王立音楽院でピアノを学びました。マレイ・ペライヤやレオン・フライシャーに師事し、その後ヨーロッパ、アメリカ、カナダツアーで名を知られるように。2005年にスカルラッティのソナタ集のデビュー盤が好評を博し、その後ラフマニノフ、チャイコフスキーとメトネル、スクリャービンなどのアルバムのリリース。このハイドンのソナタ集はそれに続くもの。2011年1月には初来日しているのでコンサートを聴かれた方もいるのではないでしょうか。

このアルバムのジャケットには若々しい奏者がカジュアルな服装で写っており、もしかしたらアイドル系との憶測もありますが、とりあえずスカルラッティがいいと聞けば、当ブログで取りあげない訳にはいかないと思った次第。

Hob.XVI:32 / Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
ちょっと几帳面な感じはするものの、ピアノを上手く響かせてハイドンの曲の良さを上手い具合に表現する人との第一印象。速い音のつながりのコロコロころがるような心地よさと、左手の迫力ある低音のコントラストがなかなか。一貫して推進力にあふれた進行。ハイドンの前進する力感をうまく表現しています。
2楽章は素晴らしいきらめき感。ちょっと手作り感のあるものですが、それが実にいい味わいを醸し出しています。1楽章とは異なり、つぶやくようなゆったりとしたテンポ。この楽章の音楽性は本物ですね。音を聞かせようという意図ではなく音楽を聴かせようとする姿勢を感じる演奏。実に深い呼吸。なかなか大物ですね。
フィナーレも一音一音が立っているような粒立ちのよさと推進力が素晴らしい演奏。速いパッセージのキレは抜群。この若さでこのハイドンの表現の深さは見事。勢いの良さを最後まで保つかと思いきや、最後の音は思い切り力を抜いたもの。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
名曲XVI:50。やはり素晴らしい力感から入りました。この大作ソナタを軽々と、しかも抜群の粒立ちで弾きこなしていきます。低音部が重要なソナタですが、左手の表情はかなり豊かでキレのいい低音を重ねていきます。録音はSACDの最新のものだけあって十分。BIS独特の北欧の空気のような澄んだ音響が心地よいです。スドビンはハイドンの楽譜を楽しみながら弾き進めていくような余裕があり、装飾音を加えたり、リズムを変化させたり、構えたところはなく自在な演奏。
この曲もアダージョの音楽性はピカイチ。夕暮れに星が瞬き始めるようなかすかなきらめきをが絶妙。抑えながらも表現は濃い瞬間。オーロラの揺らめきのようにうっすらと表情を変えていく、まさに推移の芸術。
3楽章は2楽章の静かな感動から覚醒するように鮮烈なリズムを刻みます。キレのいいタッチと自在なリズムを重ねてあっという間に曲を結びます。

Hob.XVI:34 / Piano Sonata No.53 [e] (c.1782)
この曲も名曲。かなりスタッカート気味にはじまります。ブレンデルの演奏では低音から沸き上がる音階の面白さに焦点があたっていたものを、スドビンは音符配置の面白さを強調しているよう。高音の音階はまるで編み機から繰り出されるように滑らかなもので、左手の音階と、右手の音階の表情が全く異なる魅力を放つテクニカルな表現。またしても右手から繰り出される転がるような音階は痛快そのもの。途中、おそらくわざとでしょうが、たどたどしさを感じさせる部分もあって、なかなか興味深い演奏。
この曲もアダージョの表現は秀逸。高音のきらめきの美しさはスドビンの持ち味ですね。この曲でもめくるめく美しさが素晴らしいものです。
ハイドンのソナタのフィナーレの中でも非常に覚えやすいメロディーのこの曲。聴き慣れたメロディーラインを自在に変化をつけて、生まれたてのメロディーのように刻んでいきます。

Hob.XVII:4 / Fantasia (Capriccio) op.58 [C] (1789)
弾き散らかすがごとき切れ味で入るファンタジア。音符を完全に自身のものとして自在に弾き進めます。速い音階の切れ味、リズムの切れ味、表現の切れ味の三拍子そろった演奏。途中非常に長い休符をとって表現力を見せつけます。この曲は素晴らしいテクニックと自在な音楽性を嫌というほど見せつけるような素晴らしい演奏です。

Hob.XVII:6 / Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
古くから名演奏の多いこの曲ですが、スドビンは冒頭から詩情あふれるきらめきで圧倒。やはり只者ではありませんね。最初は軽い響きから入りますが、音楽の濃さは別格。伝統の重さを知っているからか、この曲では表現はオーソドックスな範囲にとどめているよう。指のキレは相変わらす素晴らしいものがあり、曲自体を最高の演奏で楽しむような極上のひと時。この曲がこれほど高音のメロディーが美しい曲だったと再認識させられるような素晴らしい演奏。最後の渾身の響きも鋼のような見事なものでした。

Hob.III:63 / String Quartet Op.64 No.5 "Lerchenquartetett" 「ひばり」 [D] (1790)
最後は弦楽四重奏曲のフィナーレをピアノに編曲したもの。3分少々の曲ですが、この腕にしてこの曲を選んだと唸らされるもの。原曲ももちろんいいんですが、このピアノ版も、この演奏でしか聴く事のできない驚きに満ちています。このアルバムのアンコールピースのようなアクロバティックな要素も持つ演奏。


最近聴いた若手のハイドンのピアノソナタの中ではピカイチの出来。エフゲニー・スドビンの演奏によるハイドンのピアノソナタ集はハイドンのソナタの真髄をえぐる素晴らしい演奏でした。スカルラッティを弾いたデビューアルバムが評判となった人だけあって、ハイドンのソナタも自然かつアーティスティックな魅力をもつ素晴らしい演奏でした。これは将来が楽しみな人。若手でこれだけ表情豊かなハイドンを弾くとは驚きにに近い印象です。評価はもちろん[+++++]とします。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:32 ピアノソナタXVI:50 ピアノソナタXVI:34 ファンタジアXVII:4 アンダンテと変奏曲XVII:6 弦楽四重奏曲Op.64 ひばり スカルラッティ SACD

シュテファン・ヴラダーのピアノソナタ集

今日は久しぶりの現代ピアノによるハイドンのピアノソナタ集。

Vladar.jpg
HMV ONLINEicon / amazon / TOWER RECORDS

シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar)の弾くハイドンのピアノソナタ集。Hob.XVI:23、XVI:50、XVI:52とアンダンテと変奏曲(XVII:6)の4曲を収めたアルバム。レーベルはオーストリアの古参PREISER RECORDS。収録は2009年3月、PREISER RECORDSのもつウィーンのスタジオ・カジノ・バウムガルテン。

シュテファン・ヴラダーははじめて聴く人。ハイドンの地元PREISER RECORDSがピアノソナタを録音するということで、ちょっと気になるアルバムでした。手に入れたのは最近のことですが、しばらく未聴盤ボックスで過ごしていたものをピックアップ。

ヴラダーは1965年ウィーンに生まれたピアニスト、指揮者。ウィーン音楽アカデミーで音楽を学び、ウィーンの国際ベートーヴェンコンクールで最年少で優勝した人。その後はソリストとして世界の有名指揮者、有名オケとの共演歴があり、ライナーノーツへの記載の中にはN響の名前もありますので、日本にも来た事があるのでしょうか。HMV ONLINEには25アイテムほどのアルバムが登録されており、PREISER RECORDS、NAXOS、Harmonia Mundiなどからアルバムがリリースされていますが、ハイドンはこの1枚のみ。

Hob.XVI:23 / Piano Sonata No.38 [F] (1773)
入りの曲は右手の音階のきらめきを巧く表現したテンポ感のいいもの。速めのテンポに乗って、クッキリと旋律を描いていきます。確かなテクニックを身につけているのでしょう。速めのテンポにも関わらずフレーズごとにきっちりメリハリをつけて、また、音量の変化もかなりあり、まずは挨拶代わりということでしょうか。録音は眼前のかなり近くにピアノが定位し、響きの透明感もあるなかなかいいもの。ただ、高音の特定の音域に若干の混濁感というか、ピアノのちょっと気になる響きの濁りがあり、それが鮮明に録られています。気にならない人には問題ないでしょう。
2楽章のアダージョは優しく鍵盤をなでるような演奏。転調する部分に十分な間をとって響きの変化を強調。大きな流れの間に取られた間と、その後の響きの鮮烈さが表現のポイントになってます。また表現の変化は右手のメロディーラインに大きく依存しています。この楽章の音楽の濃さは、もう少し年齢を重ねる事で、深みが出てくるでしょう。十分磨き込まれたいい演奏ですが、すこし若さも垣間見えるもの。
速い楽章のピアニズムは快感そのもの。このあたりはテクニシャンの面目躍如ですね。さっと吹き抜けるように終わる短い曲。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
弾む音階から入ります。冒頭からフルスロットル。ピアノの音が美しさを保てる寸前まで鍵盤を強打するような力感溢れる入り。リヒテルが聴かせる大山脈のような揺るぎない音塊の迫力ではなく、一音一音、というか各指が鋼のようなタッチ。かなりピアノを鳴らして音楽を構築。ハイドンの最盛期のピアノソナタのもつ力強さに焦点を合わせた演奏。間は短めでちょっと急いた感じすらさせるようなフレーズの重なり。ここでもやはり表現は右手優先。筆の勢いが強くはみ出してしまった絵のような荒々しい迫力も感じさせる演奏。ライヴでは効果的な演奏だと思います。後半に音量を極端に抑えてピアノからオルゴールのような音を出すフレーズの演出は見事。1楽章はピアノを鳴らしきる快感を味わう楽章。といってもハイドンなので大人しい方でしょうが。
私の好きなXVI:50のアダージョ。このアダージョはいいです。前楽章の興奮とは打って変わって、程よい静寂感と余裕のある自在さが相俟って、そしてヴラダーの右手のきらめき感あるフレージングの長所が生きています。ハイドンにはこの余裕と言うか、抑制が必要なのでしょう。訥々と弾き進めるメロディーライン。一音一音を置いていくようになります。非常に美しいメロディーを味わえるひと時。
フィナーレは輝きと勢いが戻り、デリケートなタッチと激しい和音が聴き所。最後は落ち着いた和音で。

Hob.XVII:6 / Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
落ち着いた入り。右手の輝きは健在。落ち着きはしているもののダイナミックさが印象的。高音域のキレの良い音階とタッチが痛快ではありますが、曲自体の進行は少し溜めを伴っています。徐々にエネルギーが満ちてきて起伏も大きくなってきます。高音のトレモロがが穏やかではなく緊張感をもって響きます。徐々に間が少なくなり、畳み掛ける雰囲気が強くなり、高音の輝かしい音色が支配する高原のような趣になります。長い間ののち、再び変奏がリセットされ、落ち着いた流れに戻りますが、程なくクライマックスに。クリアな音響と強烈な右手のアタックの波が引き、落ち着いた流れに戻ります。

Hob.XVI:52 / Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
絢爛豪華な入り。鮮烈なピアノの重厚な響きが部屋中に響き渡ります。強烈な加速と鋼のような響きによる素晴らしい迫力。右手の速いパッセージのキレは素晴らしいものがあります。繰り返し響く大音響がハイドンの時代にどう響いたのかはわかりませんが、この演奏では渾身の力でピアノが鳴り響くところが聴き所になっています。
アダージョも力感が支配。訥々と進むメロディーの節々にピアノを鳴らしきる強音がちりばめられ、その響きが心に刺さります。気づくとそれは左手のアタック。この曲に至り、左手の表現が聴こえてきました。最後は力が抜けて魂のみが残ったような音。
フィナーレは弾き方によっては構築感を強調したようになりますが、この演奏では、右手のキレと各音の迫力が聴き所。ブレンデル盤では響きの重なりの妙が聴かれましたが、ここでもヴラダーは鮮烈はアタックを曲の基点にすえています。

久々に聴く現代ピアノでのハイドンのピアノソナタ。オーストリアの俊英の弾くソナタという事でかなり構えて聴きましたが、ピアノソナタの力感を非常にうまく表現した演奏。特に右手のクリアな旋律が印象的。きっとライヴでは素晴らしい演奏を聴かせてくれるものと思います。表現を尽くした感は感じるものの、左手の表現力が上がると、大きなうねりのようなもの加わり、より円熟を聴かせてくれるでしょう。このアルバムの4曲は全曲[++++]としました。

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ジャンル : 音楽

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プロフィール

Daisy


Author:Daisy

なぜかハイドン(Franz Joseph Haydn)が特に気に入り膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。東京在住のごく普通のサラリーマンです。

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