【新着】ポール・ルイスのピアノソナタ集(ハイドン)

なぜかピアノの新譜が続きます。

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ポール・ルイス(Paul Lewis)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:49、XVI:50、XVI:32、XVI:40)を収めたアルバム。収録は2017年4月15日、8月20日から22日にかけて、ベルリンのテルデクススタジオ(Teldex Studio Berlin)でのセッション録音。レーベルはharmonia mundi。

このアルバムはリリースされたばかりのものですが、先日当ブログのマルクス・ベッカーの記事を取り上げていただいたyoshimiさんのブログの記事のコメントでその存在を知り、注文を入れていたもの。

どうやら巷では話題のポール・ルイスですが、私は存在も含めて初めて聴く人です。調べてみるとこのアルバムがリリースされているharmonia mundiからベートーヴェンのピアノソナタ全集や、イルジー・ビエロフラーヴェクの振るBBC響とのピアノ協奏曲全集、マーク・パドモアとのシューベルトの主要歌曲、主要ピアノソナタ集などを次々とリリースしており、いずれもなかなかの評判ということで、harmonia mundiの看板ピアニストといったところ。ハイドンの未聴盤の発掘に極度に偏ってアルバムを収集している私だけが知らぬ存在だったというのがオチでしょう(笑)

いつものように略歴をさらっておきましょう。1972年英リバプール生まれで、マンチェスターのチェタム音楽学校、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校などで学び、その後はアルフレート・ブレンデルに師事。1994年にロンドン国際ピアノコンクールで2位に入賞したのを皮切りにその後多くのコンクールでの入賞を経て欧米のコンサートや音楽祭で活躍するようになります。2005年から2007年にかけて欧米のコンサートでベートーヴェンのピアノソナタ全曲を演奏するのと並行し、harmonia mundiに全ソナタを収録し、それぞれのアルバムがGrammophone誌のEditor's Choiceに選定された上、第4巻は同誌の最優秀器楽賞と2008年の年間ベストアルバムに選定されており、このことがポール・ルイスの名を世界に轟かせたのでしょう。以後の活躍、アルバムのリリースは先に触れたとおりです。

さてさて、なんとなくアルバムが届いてから記事にしようとしているうちに、yoshimiさんのブログで取り上げられました。レコード芸術の5月号にインタビューも掲載されており、その引用も含めてyoshimiさんのブログに詳しく触れられていますので、是非ご覧ください。

気ままな生活 ポール・ルイス ~ ハイドン/ピアノ・ソナタ集

私の方は、前記事で取り上げたトッド・クロウの演奏の余韻が残る中、曲ごとに演奏の特徴に触れておきましょう。

Hob.XVI:49 Piano Sonata No.59 [E flat] (1789/90)
非常に艶やかで磨かれたピアノの響きが心地よい録音ですが、低音はあえて抑え気味にして中高音域の美しさを強調しようとしている感じ。リアリティよりも雰囲気重視の録音。全ての音が艶やかに響くところはブレンデルに師事したというのが頷けるところ。トッド・クロウのしみじみと語るような語り口の上手さとは表現の角度が異なり、グイグイと弾き進めながらも多彩なタッチの変化で聴かせます。推進力があり、淀みなく音楽が流れていきます。1楽章はハイドンのソナタの喧騒感を上手く表現しています。
続くアダージョ・カンタービレは思ったほど沈まず、美しい音色でメロディーを包み込むような演奏となります。柔らかなさざなみに乗って装飾を凝らした主旋律がくっきりと浮かび上がります。
そして終楽章も楽章間の表現の差はあまり感じさせず、軽やかな躍動感を軸にさらりと弾き進めてまとめます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
演奏スタイルは前曲と同様、曲ごとの変化を感じさせることなく、センス良くまとめる力で演奏している感じ。この曲でも落ち着かないほどグイグイとひっぱていくのがポール・ルイス流なんでしょう。時折りふっと静けさを感じさせる他は一貫して攻め続けていく感じ。場面転換の瞬間瞬間のはっとさせるようなアイデアは流石なところ。アダージョは前曲よりもしっとり感が出てきて、要所でテンポも大きく動かすことで表現の幅が大きくなります。終楽章に入ると表現はさらに大胆なひらめきが散りばめられ、ポール・ルイスの面目躍如。最後の力の抜き方も見事です。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
この曲は師であるブレンデル盤が刷り込みです。ブレンデルの力感とコクが新鮮なセンスで刷新されたような演奏。全般にライトな印象はやはり録音の影響もありますが、この曲独特の重さを少し軽減して儚い華やかさを感じさせるのが流石なところ。この華やかさが続くメヌエットにも引き継がれ、得も言われぬような美しいメロディーが漂います。軽やかな中にトリオの険しさが顔を覗かせることで曲のメリハリがつきます。フィナーレは目の覚めるような鮮やかなタッチの右手とゴツゴツした左手の織りなす見事な調和で一気に聴かせます。

Hob.XVI:40 Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
最後にしっとりと落ち着いた語り口も聴かせようという意図での曲順でしょうか。どちらかというとセンスとタッチのキレ味で聴かせるルイスのハイドンですが、ここにきて静寂感と詩情が溢れる演奏でアルバムに深みが加わります。ルイスのしっとり感はそれでも軽やかさと華やかさを失わないのが流石。ブレンデルのような骨太な印象とは逆に良い意味で線の細いところがそう感じさせるのでしょう。
終楽章はやはりタッチの鮮やかさが聴かせどころ。あまりに鮮やかなタッチで若干技巧披露的な余韻がついちゃいました。

ポール・ルイスによるハイドンのソナタ集でしたが、ルイスの閃きに満ちた鮮やかなタッチが楽しめるいいアルバムでした。ジャケットを見るとピアノの横に自信ありげにすっくと立つポール・ルイスの姿が印象的ですが、よく見ると左側のピアノの黒にうっすらと数字の1が浮かび上がっています。レコード芸術誌のインタビューでも来年ハイドンのソナタ集の2枚目がリリースされると触れられていますが、これまでのルイスの録音歴を考えると全集化もあり得ると思います。数枚リリースするアルバムの1枚目にわざわざ1とは書かないのが普通ですよね。ということでこれからが楽しみな企画になりました。評価は全曲[+++++]とします。

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トッド・クロウのピアノソナタ集(ハイドン)

素晴らしいマイナー盤を発掘しました!

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トッド・クロウ(Todd Crow)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:50、XVI:29、XVI:38、XVI:20)、ピアノ三重奏曲Hob.XV:22のアダージョのピアノ編曲版の合わせて5曲を収めたCD。収録時期は記載されていませんが、解説などの内容から2002年頃の収録と思われ、ニューヨークのマンハッタンの約100キロ北にあるポキプシー(Poughkeepsie)にあるヴァッサー大学(Vasser College)のスキナー・ホール(Skinner Hall)でのセッション録音。レーベルは米MUSICIANS SHOWCASE RECORDINGS。

最近オークションで仕入れたアルバムですが、いつものようにちょっとジャケットに霊気を感じたアルバム(笑) うっすらと微笑むピアニストの姿にピピっと来た次第。なんとなくこの手のアルバムに名演奏が多いという経験則があり、意外に当たるんですね。

奏者のトッド・クロウはもちろん初めて聴く人。欧米では評価されている人のようで、ニューヨークタイムスは「英勇的で無限の才能、音色、スタミナを感じさせるピアニスト」、英タイムス紙は「背筋が凍るほど爽快」、ウォールストリートジャーナル紙は「驚くほどの制御能力と素晴らしい音楽の構築力」と各紙絶賛。1945年、カリフォルニアのサンタ・バーバラ生まれで、カリフォルニア大学、ジュリアード音楽院などで学び、十代から頭角を現し、以後ピアニストとして様々な音楽祭やオケなどとの共演を含めて活動するとともに、現在はこのアルバムの録音会場となったニューヨーク州のヴァッサー大学で教職についています。アルバムも多数リリースされていますが、ハイドンの録音はこのアルバムのみのようです。ただし、有名曲を集めただけという選曲ではなく、ハイドン通を唸らせる見事な選曲ゆえ、ハイドンについてはかなり研究していることを窺わせます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
自然な響きのホールでステージからちょっと離れた席で演奏を楽しむような録音。先に紹介した各紙の評価からは豪腕ピアニストのような印象もなくはないのですが、このハイドンは落ち着きながらも、音楽の起伏をしっかりと描く、まさにくっきりと構築感を感じさせる演奏。フレーズがイキイキと弾みながらも、程よくバランスを保ちながら淡々と音楽を進めてゆく名演奏。4月のHaydn Disc of the monthに取り上げたマクダーモットが研ぎ澄まされた美しさで聴かせたのに対し、クロウはそこにも頼らず力感の変化やフレーズのクッキリ感で聴かせる男らしい(笑)演奏。さらりと自然ながら雄弁な語り口は聴いているうちになるほどと唸らされます。アダージョに入るとさらに語り口は訥々と神妙になり、まさにハイドン自身が語りかけるように聴こえます。一音一音のタッチはデリケートさを極め、表面的な美しさとは真逆のじわりとくる音楽。そしてフィナーレも優しい風が吹き抜けるような入りからしっかりと展開させて見事な結びを描きます。雰囲気ではなく音楽の面白さで描き切る見事な演奏でした。

Hob.XVI:29 Piano Sonata No.44 [F] (1774)
リヒテルの演奏が刷り込みの曲ですが、力感のみならず、軽やかに弾む入りが秀逸。音楽が活きてます。ごく自然ながらくっきりと曲想の面白さを浮かび上がらせて活きます。この曲でも語り口の面白さに惹きつけられます。軽妙洒脱なだけでなく、しっかりとした構築感が背後にあることを感じさせ、テクニックではなく音楽性が聴かせどころ。この曲でもアダージョは音楽の大きさを見せつけ、詩的でかつ叙事的な音楽。ハイドンのアダージョがこれほどまでに雄弁な音楽だったとは。トッド・クロウ、只者ではありませんね。フィナーレはもう身を任せるだけ。楽器の存在が消え、自らの言葉で音楽を紡いでいくよう。心地よいどっぷりと音楽に浸ります。

Hob.XVI:38 Piano Sonata No.51 [E flat] (before 1780)
もはやトッド・クロウの演奏に身をさらすだけ。さらりと雄弁なのは変わらず、次々と演奏する曲の面白さを純粋に楽しむことができます。ハイドンの曲に仕込まれた構成の妙、機知、変化の面白さをこれほど見事に語る演奏はありません。この曲では短調から入って徐々に明るさが射してくるアダージョのニュアンスのなだらかな変化が聴きどころ。フィナーレも言うことなし。

Hob.XV:22 Piano Trio (Nr.36/op.71-2) [E flat] (before 1795)
ここにこの曲を持ってくるとは見事なセンス。まるで原曲がピアノのために書かれたような自然な美しさに満ちた演奏に驚きます。ここにきて純粋に美しい響きに特化した音楽で心が洗われるよう。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
最後にこの曲を持ってくるとは。一瞬にしてこの曲独特の雰囲気に包まれます。まさにハイドンの天才を物語る曲。もちろんクロウの絶妙な語り口によってこの曲の広がりというか空間に引きずり込まれる感じ。憂いに満ちた美しさと明確な構成はハイドンの創作期の最初の頂点であるシュトルム・ウント・ドラング期ならでは。そしてハイドンのソナタで最も美しい緩徐楽章であるアンダンテは、予想通り音色の美しさだけに媚びない、構成の美しさで聴かせる絶品の音楽。この曲だけても展開の起承転結が見事に決まっただけでなく、このアルバムの最後にふさわしい堂々たる表情でフィナーレを締めくくります。

何度も言いますが、トッド・クロウ、只者ではありません。ジャケットを見る限りただのおじさんですが、その紡ぎ出す音楽の豊かな表情は見事の一言。このハイドンのソナタ集を聴けばその手腕は一目瞭然。最初に紹介したニューヨークタイムズなどの評価に偽りはありません。もう少し名が売れていてもおかしくありませんが、音楽業界も演奏の内容のみならずスター性も重要な訳ですね。トッド・クロウの紡ぎ出す音楽は、ミケランジェリほど究極に研ぎ澄まされているわけではありませんし、エマールほどの前衛を感じさせるわけでもなく、グールドのように個性が突き抜けているわけでもありません。しかし、ハイドンのソナタをこれほど雄弁かつ自然に演奏できるのはクロウだけかもしれません。当ブログがクロウのハイドンの見事さを世に問いましょう。もちろん評価は全曲[+++++]とします。ピアノ好きな方、是非聴いてみてください。まだ手に入ると思います。

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井上直幸のピアノソナタXVI:50(ハイドン)

レア盤が手に入りました。

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井上直幸(Naoyuki Inoue)のピアノによるハイドンのピアノソナタ(Hob.XVI:50)と、ベートーヴェンのピアノソナタ32番の2曲を収めたLP。収録は1979年10月17日、荒川区民会館ホールでのセッション録音。レーベルはCBS SONY。

井上直幸さんがハイドンの曲を演奏したアルバムは何枚かリリースされており、これまでに2枚取り上げています。

2013/09/17 : ハイドン–声楽曲 : 中山節子/井上直幸の歌曲集(ハイドン)
2010/08/14 : ハイドン–ピアノソナタ : 豊穣、井上直幸のピアノソナタ(ハイドン)

ハイドンとともにモーツァルト、シューベルトのソナタなどを並べたアルバムに、奥さんだった中山節子さんのソプラノの伴奏にまわって英語によるカンツォネッタなどを収めたアルバム。なんとなく叙情的な雰囲気のある演奏が印象に残っています。

今日取り上げるアルバムは前2盤よりも録音が古い1979年の録音によるハイドンとベートーヴェンを並べた本格的なもの。針を落とすと、これまで聴いたアルバムとは異なり、曲に真正面からぶつかる緊張感あふれる正統派の演奏。録音も非常に鮮明で聴きごたえ十分ということで、記事に取り上げた次第。

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Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
国内盤ですが録音は絶品。LPのコンディションも良く、解像力の高い響きで眼前に粒立ちのいいピアノの音が自然に流れ、LPならではの力強い実体感もあり残響も適度で最新の録音と比較しても遜色ありません。特に静寂感が絶妙。
入りから高音の転がるような音階の美しさが印象的。早めのテンポで弾き進めていきますが、タッチはキレキレというのとは異なり、1音1音ごとに僅かなタッチの変化を散りばめながら、しなやかに流れ良くいい意味でちょっとしたゴツゴツ感のあるもの。これがハイドンのソナタの素朴さと実に合って得も言われぬいい感じがでています。
1楽章は適度に引き締まった演奏ながら、僅かな無骨感が井上さんらしい感じを残しましたが、続くアダージョはやはり独特の濃密な音楽が聴かれました。静寂の中にピアノが孤高に響き渡り、1音ごとに微妙なニュアンスを感じる独特の余韻。タッチは明確なのに余韻にうっすらと色が乗るよう。歩みを遅めてじっくりとメロディーを置いていきながら静寂と対話するよう。この孤高感は表現の方向は全く異なるものの、グールドを思わせる集中力。録音がいいのでピアノという楽器の音を存分に楽しめます。
さっと雰囲気を変えて終楽章に入ります。ほんのり適度な重さがこの人らしいですね。これよりタッチのキレた演奏は色々ありますが、妙に気になる残るくだけたタッチが印象的。短い楽章ではありますが、個性をしっかり残して終わります。

オークションで偶然見つけて手に入れたLPでしたが、素晴らしい録音によって井上直幸さんのハイドンの真骨頂が伝わる素晴らしい演奏が素晴らしい音で楽しめました。井上さんは2003年に亡くなっていますので、録音も市場に出回っているもの限りだと思いますので、ハイドンの録音も他にあるかどうかわかりませんが、演奏からはっきり伝わる個性を持った方ですので、他に録音があれば是非聴いてみたいですね。評価は[+++++]とします。

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ルドガー・レミーのブロードウッドピアノによるソナタ集(ハイドン)

今日はハイドンが活躍していた時代のピアノで演奏したピアノソナタを取り上げます。

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ルドガー・レミー(Ludger Rémy)のピアノによる、ハイドンの晩年のピアノソナタ3曲(Hob.XVI:52、XVI:51、XVI:50)を収めたアルバム。ピアノは1794年製のブロードウッドピアノ(John Broadwood 1794)。収録情報はPマークが1987年とだけ記載されています。レーベルはaudio max。

このアルバムに興味を持ったのは、もちろんブロードウッドピアノで弾かれているから。現代のピアノの透徹した響きの美しさもいいものですが、ハイドンが作曲していた頃、どのような響きをイメージして曲を書いたのかということにも興味は尽きません。こうした興味が本格的に生まれたのはクラヴィコードで弾かれたハイドンの素晴らしい演奏を聴いてからです。

2013/01/27 : ハイドン–ピアノソナタ : デレク・アドラムのクラヴィコードによるソナタ集

そのような興味が生まれると、色々と楽器に興味が湧いてくるわけで、その後楽器の変遷を見に、浜松の楽器博物館にも詣でております。

2015/09/15 : 旅行・温泉巡り : 【番外】浜松市楽器博物館詣で+うなぎ!

このアルバムの演奏に使われているのは1794年製のブロードウッドピアノですが、浜松市楽器博物館の所蔵楽器をウェブサイトで調べてみると、なんと7台ものブロードウッドのピアノがヒットします。いずれも1800年以降のものですが、資料番号K-0041、K-0022あたりの楽器がこの演奏に使われたものに近いのではないかと想像しております。

浜松市楽器博物館:所蔵資料データベース:検索=Broadwood

一応ブロードウッドピアノの歴史をWikipediaなどから紐解いておきましょう。
1732年にスコットランドに生まれたジョン・ブロードウッドが1952年にロンドンに移り、チェンバロ製作者のバーカット・シュディの元で働き始めたのが興り。シュディの娘と結婚し1773年にシュディが亡くなりピアノの制作を始め、1780年にはオリジナルなピアノを完成。1795年には息子もピアノ制作に加わりブロードウッド&サンとなります。ブロードウッドピアノの特徴は、それまで手や膝で操作していたペダルを脚で操作する方式を導入するなどの革新をもたらしているとのこと。ブロードウッド社のウェブサイトに掲載されている歴史を辿ると1774年にウィーンのハイドンにハープシコードを届けているという記載が見られるのに加え、1791年の最初のロンドン旅行の際にブロードウッドの楽器を使用しているとのことで、ハイドンとも浅からぬ関係があったようです。

このフォルテピアノから現代のピアノへの進化の途上にあるブロードウッドピアノによって、ハイドンの晩年のソナタがどう響くのか興味津々ですね。

奏者のルドガー・レミーは調べてみると手元の以前レビューしたアルバムでフォルテピアノを弾いていました。

2014/06/27 : ハイドン–声楽曲 : 【新着】ドロテー・ミールズの歌曲集

ルドガー・レミーは1949年、ドイツのオランダ国境に近いカルカー(Kalkar)生まれの鍵盤楽器奏者、指揮者、音楽学者。フライブルク、パリなどで学び、メインは17世紀から18世紀のドイツ音楽の研究などドイツでの教職のようです。

Hob.XVI:52 Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
ブロードウッドピアノはフォルテピアノよりも音に力強さと厚みがあり、冒頭の力強いタッチから始まる曲の迫力が十分伝わります。ルドガー・レミーは楽器が良く鳴る勘所を踏まえて、楽器のキャパシティいっぱいのダイナミックレンジを使って鮮烈な響きを引き出してきます。フォルテピアノによる雅な響きとは力感が異なり、ピアノに近いダイナミクスで音色はフォルテピアノに近いと言ったらいいでしょうか。手元にある浜松楽器博物館の制作で小倉貴久子さんの弾く1802年製のブロードウッドピアノ(コレクションシリーズ38)と音色は近いんですが、浜松の楽器の方が調律が気持ちよく決まっていて、響きに濁りがありません。逆にルドガー・レミーの演奏の方が力強さを感じますので一長一短というところでしょうか。ピアノに負けないダイナミクスを感じさせます。まさにハイドンがこの曲に込めたダイナミクスはこのブロードウッドピアノがあってのことかもしれません。ピアノの演奏に耳は慣れていますが、この演奏を聴いてフォルテピアノの世界から扉が一つ開いたところを想像します。1楽章のダイナミクスがまさにその象徴のように思えてきました。
続くアダージョも所々に力強いタッチとその余韻を楽しむような曲想であり、進化途上のブロードウッドピアノの響きがそのタッチの魅力をかえって浮かび上がらせるよう。耳をすますとこの先進化を遂げていくピアノの音色に近い響きも聴き取れ、なかなか想像力に訴える演奏。響の濁りも含めてなんだかとても聴き心地がよくなってきました。ルドガー・ラミーは訥々と語りかけるように弾き進め、ブロードウッドピアノならではの響きの余韻も十分に取り入れたダイナミックかつ詩的なニュアンスも踏まえた演奏で応えます。音色になれると演奏の深みがわかってきます。
3楽章に入ると鮮やかなタッチと絶妙な間のコントラストを効かせながらハイドンの素晴らしい音階の交錯による音楽が冴えてきます。澄みきりすぎた現代のピアノからは失われてしまったデリケートな響きのニュアンスもあるのだと知ります。

Hob.XVI:51 Piano Sonata No.61 [D] (probably 1794)
今度は落ち着き払った入り。噛みしめるようにしっとりとブロードウッドピアノをしっとりと鳴らしながらハイドンの素朴な音楽を奏でていきます。フレーズごと微妙に明るさと翳りが変化する様子を巧みに表現していき、ピアノでは表現できない音色の多彩さがあることに気づきます。やはりフォルテピアノよりもわずかにダイナミクスの表現に秀でていることの大きさが効いています。抑えた部分では音色の美しさ、強音では弱音との音色の変化の大きさがピアノ以上にダイナミクスを感じさせます。穏やかな1楽章に対して、少しタッチを強める2楽章への変化も実に面白く聴こえます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
そして冒頭のXVI:52とともにハイドンのソナタの頂点をなすこの曲では、さらにタッチの強弱の絶妙な力加減がブロードウッドピアノをとうして生む音色の変化の面白さに耳を奪われます。ルドガー・レミーのタッチも精緻を極め、ブロードウッドピアノという楽器を知り尽くした人だけが、楽器の響きを活かし尽くすように操る妙技。音楽に創意がみなぎり、タッチは自在の極致へ至ります。久々に脳内にアドレナリンが溢れてきます。完全にルドガー・レミーの音楽に圧倒されます。1楽章のタッチとリズムの変化、2楽章の抑制された美しさ、3楽章の軽妙さと、どれをとっても現代ピアノでの表現の幅を上回る豊穣な音楽が湧き出てきます。これは見事。絶品です。

ルドガー・レミーがハイドン存命時の楽器であるブロードウッドピアノで弾いた最後の3つのソナタ。この演奏を聴いて、新たな時代の楽器の潜在力がハイドンのこの3つのソナタの作曲に際して大きな影響があったというふうに思えるような素晴らしい演奏でした。特に最後のXVI:50は絶品。現代ピアノに比べればダイナミクスでも音色の統一感でもまだまだ進化途上のものですが、逆にハイドンのこのこれらのソナタには、タッチの強さによる音色の変化や、響きの美しさが際立つ面白さがあることがわかります。これは是非皆さんに聴いていただきたいアルバムですね。評価はもちろん全曲[+++++]とします。

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ツィモン・バルトのピアノソナタ集(ハイドン)

ピアノのアルバムが続きます。今日はハイドンの演奏としては変り種。

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ツィモン・バルト(Tzimon Barto)のピアノによる、ハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:1、XVI:23、XVI:27、XVI:50)を収めたアルバム。収録は2008年1月、フィンランドのヘルシンキの少し北の街、ヤルヴェンパー(Järvenpää)のヤルヴェンパーホールでのセッション録音。レーベルはフィンランドのONDINE。

これは最近手に入れたものですが、CDプレイヤーにかけるとすぐに異常に気づきました。異常といってもトラブルではなく異常な表現意欲。ハイドンのソナタの演奏は結局は素直に演奏する方が楽しめるものが多く、妙に力が入ると空回りしてしまい、奏者の音楽性を丸裸にしてしまう怖さがあります。この演奏は力の抜き方で勝負してくる珍しいタイプ。その力の抜き方と間の緊張感のようなものに語らせようという演奏です。

奏者のツィモン・バルトはもちろんはじめて聴く人。いつものように調べてみると経歴というかプロフィールも変わった人でした。1963年、アメリカのフロリダ州ユースティス(Eustis)生まれと私と同世代。ピアニストであるばかりか、作家でもあり、しかもボディービルダーでもあるとのこと。ジュリアード音楽院で学び、1989年にはウィーンのムジークフェラインでエッシェンバッハの指揮で演奏、翌1990年にはカラヤンの招きでザルツブルク音楽祭に出演するなど、ピアニストとしては素晴らしい経歴の持ち主。検索するとアルバムもかなりの数がリリースされていますので、世界的に活躍している人のようですね。ちょっとボディービルダーという経歴が気になってGoogleで画像検索してみると、若い頃の太もものように鍛え上げられた腕をがっしり組んで微笑む写真が何枚か出てきました。クラシックの演奏者でボディービルをやっているという超個性派。しかも冒頭で触れたように力任せの演奏とは真逆の演奏をするということで、記事にしようと思った次第。

このアルバムのリリースは2009年のハイドン没後200年に当てたものでしょうが、タイトルは”Unexpected Encounters”、「予期せぬ出会い」とあり、バルトにとってハイドンのアニヴァーサリーに出会った宝物のようなものという意味でしょうか。ハイドンのオペラに「突然の出会い」"L'incontio improvviso"というのがありますが、それとかけたものとも思えなくはありませんね。

Hob.XVI:1 Piano Sonata No.10 [C] (c.1750-1755)
普通になめらかなタッチのピアノの演奏と思って聴き始めますが、だんだんタッチがキレてきて、何やらただならぬ雰囲気を感じ始めます。しかもキレているのは弱音部。1楽章はまだその片鱗を感じさせただけで下が、2楽章に入ると、音量を一段と落として、ピアノのダイナミックレンジとしては普通のピアニスト抑える音量よりはるかに小さな音量に驚きます。そして何より実に濃密な音楽が流れます。鍵盤を触るか触らないかくらいの微妙なタッチを織り交ぜながらの演奏。ハイドンの曲に込められたメロディーの全く異なる美しさを引き出します。とぼとぼと歩みながら奏でる超デリケートな音楽。そして3楽章のメヌエットは、ほんの少し音量を上げただけで、視界の霧が晴れたようなクリアさが聞き取れます。スローテンポとゆったりと歩き回るような展開は変わらず、非常に濃密な時間が流れます。まるで人生を回想しているような枯れ具合。ハイドンの初期のソナタからこのような音楽が浮き彫りになるとは。

Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
1曲目の静寂の余韻から立ち上がる立体的な響き。特段強いタッチではないのに超立体的に聴こえるのが不思議なところ。音楽とはそれまでの演奏の余韻の中に流れるものであり、対比によって様々なニュアンスが乗るものだと改めて痛感した次第。相変わらずタッチのキレは最高。若い時のグールドの狂気のような切れ味とは少々異なり、実に丁寧にリズムで遊びながらも純音楽的なピュアさを狙ったような方向。この純度の高いスリリングさは見事です。高音のメロディーはくっきりと浮かびあがり、タッチを千変万化させてハイドンの楽譜に込められた隠れたニュアンスを次々と掘り起こして行きます。演奏時間はこの曲の1楽章では最長の8分25秒。
続くアダージョでは前曲ほど音量を落とすことなく、しっとりとした雰囲気を作りながらもメロディーをクッキリと浮かび上がらせます。この曲の素朴ながらもキラメキに満ちた音楽がしみじみと紡がれていきます。そしてフィナーレでも7分の力でクッキリとリズムとメロディーを刻んで終了。見事です。

Hob.XVI:27 Piano Sonata No.42 [G] (1776 or before)
相変わらずリズムのキレとタッチの巧みな変化の面白さに集中しますが、バルトの音楽に十分慣れてきたので、この曲くらいになると、安心して聴けるようになります。粒立ちの良い1楽章に、音量を落としてしっとりと沈みながらもクッキリとした2楽章、そして再びクリアなフィナーレという曲の展開を相変わらず鮮やかなタッチでまとめてきます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
最後に晩年の大曲を持ってきました。予想通り力むことなく、これまでの曲と同様、タッチのキレで聴かせようとするのは同じですが、超スタッカート気味にタッチの冴えを強調して軽やかに入ります。この曲に潜むリズムの面白さにピンスポットを当てた感じ。右手のクリアな旋律に比べて、左手は強打することなく、リズムのキレに集中しています。一音一音の粒たちがこれ以上ないほどに鮮明に響き、和音の魅力は旋律とアクセントの魅力で聴かせきってしまいます。徐々に左手に力が漲り、特徴的なリズムを刻み出すとようやく普通の演奏に近い曲のニュアンスが浮かび上がります。またしても所有盤リスト中最長の演奏時間。
この曲のアダージョではこれまでの演奏にはない即興的なタッチが紛れ込んで晩年のソナタの自在な境地をバルトなりに表しているよう。最後は静寂の中に消え入るように終わります。
そしてフィナーレでは音符を分解するようにタッチは明晰さを極め、ホールに響くピアノの余韻を楽しむような演奏。最後の曲は迫力不足に聴こえるのではとの危惧がありましたが、杞憂に終わりました。最後まで鍛え上げられた肉体を感じさせる。素晴らしいタッチの魅力で聴かせきってしまいました。

ツィモン・バルトによるハイドンのソナタ集ですが、普通の演奏とは一味もふた味も違う演奏でした。はじめに書いたように、ハイドンのソナタの演奏としては変り種と言っていい演奏ですが、不思議に違和感はなく、ハイドンのソナタの曲の面白さがきっちり浮かび上がるなかなかの演奏です。ファーストチョイスにはなりませんが、ピアノソナタを色々聴いている人にとってはこれは非常に面白いアルバムだと思います。私は気に入りましたので、[+++++]を進呈することといたします。

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エリザベス・スペイサー/ジョン・バトリックの歌曲集(ハイドン)

今月は週末しか記事が書けてなくてスミマセン。今日は久々の歌曲のアルバム。

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エリザベス・スペイサー(Elizabeth Speiser)のソプラノ、ジョン・バトリック(John Buttrick)のピアノによるハイドンの英語によるカンツォネッタ4曲、ピアノソナタ(Hob.XVI:50) 、ナクソスのアリアンナ、アンダンテと変奏曲(Hob.XVII:6)を収めたアルバム。収録は1987年とだけ記載されています。レーベルはスイスのJecklin disco。

このアルバム、少し前にディスクユニオンで仕入れたのですが、歌曲の未入手盤を売り場で見かけるのは珍しいこと。いつものように所有盤リストを見ててダブり買いではないことのみ確認して、にんまりするのを抑え気味でレジに向かいゲット。未入手盤を手にいれるのは心躍ることなんですね。

歌手のエリザベス・スペイサーは1940年スイスのチューリッヒ生まれのソプラノ。スイスのウィンタートゥル、チューリッヒ、ウィーンなどで学び、当初はコンサートや歌曲のソロ歌手として国際的に活躍しはじめました。レパートリーは現代音楽にも広がりましたがオペラはごく一部をのぞき出演していないとのことですが、記録に残っているのは魔笛のパミーナなどわずか。他にはヘルムート・リリングとバッハの録音が何枚かあるようです。ハイドンについてはテレジアミサのソプラノを歌ったアルバムが1枚あるのみ。要はあまり知られていない人と言う感じです。

ピアノの伴奏を務めるジョン・バトリックもあまり知られていない人ですね。アメリカ生まれのようですが、腕から肩にかけての病気で一度は演奏者の道を諦めたものの、ピラティス、漢方などにより復帰し、今日取り上げるアルバムのリリース元であるJecklinより12枚のアルバムをリリースするに至っているとのこと。

ということで、このアルバム、知る人ぞ知るというか、知らない人はまったく知らない奏者による歌曲集ということになります。もちろんレビューに取り上げたのは演奏が素晴らしいからに他なりません。

Hob.XXVIa:32 6 Original Canzonettas 2 No.2 "The Wanderer" 「さすらい人」 [g] (1795)
しっとりとしたピアノの伴奏。伴奏者になりきった自己主張を抑えた穏やかなピアノの佇まい。録音のバランスはもう少し歌手に焦点をあててもよさそうですが、ピアノがぐっと前に来て、歌手はピアノの横というより後ろにいるようなバランス。ピアノから香り立つ穏やかな詩情がなんとも言えず素晴らしいです。ソプラノのエリザベス・スペイサーはよく通る声で、派手さはありませんが歌い回しは自然で、伸びやかな中音の響きが特徴。声量はピアノに負けていますが、声の余韻のデリケートなコントロールが秀逸で、聴き応え十分。この陰りのある曲の陰影を実に深々と感じさせます。アルバムの冒頭に置かれたのがわかります。

Hob.XXVIa:34 6 Original Canzonettas 2 No.4 "She never told her love" 「彼女は決して愛を語らなかった」 [A sharp] (1795)
この曲でもピアノが実に詩情豊かに伴奏を奏で、歌が入る前に雰囲気を整えます。ジョン・バトリック、素晴らしい腕前です。豊かなピアノの表情だからこそ、繊細なスペイサーの声の表情が引き立つというもの。全般に静寂のなかでの歌唱を意識させる透明感があります。

Hob.XXVIa:41 "The Spirit's Song" 「精霊の歌」 [f] (c.1795)
カンツォネッタ集の中では情感の濃い曲ばかりを集めているのがわかります。穏やかな表情ながら、集中力あふれる展開。前半の暗いメロディーからすっと明るさが射すところでの変化。暖かい光が射したときのじわりとくる深い感動。この曲の勘所を知っての選曲でしょうが、実に見事な歌にしびれます。

Hob.XXVIa:42 "O tuneful Voice" 「おお美しい声よ」 [E flat] (c.1795)
なんという澄んだ響き。序奏でのハイドンのひらめきだけでノックアウト。カンツォネッタ集から最後の曲にこの曲を選んでくるとは。伴奏の劇的な展開と、それに乗ってしっとりと響きを重ねるスペイサーのソプラノ。歌曲の素晴しさに満ち溢れた演奏。最後にゆったりと終わるあたりのセンスも見事。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
ジョン・バトリックによるソナタの演奏が挟まります。これも見事。腕の病気で演奏を断念していたことが信じられません。ハイドンのソナタのツボであるリズムをしっかり刻みますが、珍しく高音のアクセントで印象づけてきます。歌曲の伴奏同様、力むようなところはなく、力の抜けた演奏。適度なしなやかさを保ちながら初見で楽しんで弾いているような自在さを感じさせる不思議な演奏。ソナタに正対するのではなく、友人の書いた曲を楽しんで弾いているような印象。この晩年の見事なソナタから、実に楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
続くアダージョでは、しなやかさはそのままに美しいメロディーを実に美しいピアノの響きで飾ります。これまで聴いた磨かれたタッチによる緩徐楽章の美しさとは少し異なり、透徹したというよりざっくりとしたタッチで一音一音が磨かれているという感じ。また、老成したという感じでもなく、適度に凸凹したところが持ち味。それでいてこの楽章の美しさを表現しきっている感もある実に不思議な演奏。
フィナーレの入りのリズミカルな表現の素晴らしいこと。間の取り方ひとつで、ハイドンの書いたメロディーがまるで生き物のように弾みます。余裕綽々の演奏からハイドンのソナタの真髄がじわりと伝わります。これは見事な演奏。

Hob.XXVIb:2 Cantata "Arianna a Naxos" 「ナクソスのアリアンナ」 [E flat] (c.1789)
名曲「ナクソスのアリアンナ」。ジョン・バトリックはことさら劇的になるのを避け、さらりと流すような入り。スペイサーの入るところでさっと間を取り、最初の一声が入るところは鳥肌が立つような絶妙さ。これほど見事な歌の入りかたは聴いたことがありません。歌が入るとピアノは実に巧みにフレーズを組み立て、オケには真似のできないような変化に富んだサポート。スペイサーの透明感溢れる真剣な歌唱を十分に活かすようよく考えられた伴奏。スペイサーはカンツォネッタ同様、響きの余韻のコントロールが素晴らしく、この劇的な曲の美しさを緻密に表現しています。三部構成で19分と長い曲がバトリックの見事な伴奏で緊張感が緩むことなく劇的に展開します。各部の描き分けも見事。コレペティートル的なざっくりとした良さを持ったピアノですね。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
ナクソスのアリアンナの最後の響きの余韻が残っているところでさっと始まりますが、この入りがまた絶妙。最初から完全にバトリックのピアノに引き込まれます。前曲のざっくりとした印象は影を潜め、今度は透徹した響きの美しさが印象的。特に高音のアクセントが冴えて、曲をきりりと引き締めています。変奏が進むたびに、ハイドンのアイデアに呼応してバトリックのピアノも敏感に反応します。ハイドンのアイデアを次々にバトリックの表現でこなしていく見事な展開。変奏曲とはかく弾くべしとでもいいたそうですね。聴く方は耳と脳が冴えわたってピキピキ。高音の速いパッセージの滑らかなタッチは快感すら感じさせます。曲が進むにつれてバトリックの孤高の表現の冴えはとどまるところを知らず、どんどん高みに昇っていきます。一度ピアノが弾けなくなった経験があるからこそ、一音一音の意味をかみしめながら弾いているのでしょうか。これほどまでに透明な情感の高まるピアノは聴いたことがありません。奏者の魂が音になっているような珠玉の演奏。これほどの演奏をする人がマイナーな存在であること自体が驚きです。この曲には名演が数多くありますが、最近聴いた中ではベストの演奏と言っていいでしょう。見事。

このアルバム、エリザベス・スペイサーの歌も素晴らしかったですが、それよりさらに素晴らしいのが伴奏のジョン・バトリック。音符を音にするというのではなく、音符に潜む魂を音にしていくような素晴らしい演奏。歌手と伴奏の息もピタリとあって歌曲は絶品。そして2曲収められたピアノ独奏の曲も歌曲以上の素晴らしさ。これほど見事な演奏が埋もれているとは人類の損失に他なりません。もちろん全曲[+++++]とします。歌曲が好きな方はもちろん、ピアノソナタの好きな方、このアルバムを見逃してはなりません。いつもながらですが手にはいるうちにどうぞ。

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ギャリック・オールソンのピアノソナタ集(ハイドン)

今日も湖国JHさんから送り込まれた刺客。恐ろしいキレ者でした。

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ギャリック・オールソン(Garrick Ohlsson)のピアノによるハイドンのピアノソナタ集。Hob.XVI:50、XVI:51、XVI:52、アンダンテと変奏曲XVII:6、アダージョXVII:9の5曲を収めたアルバム。収録はPマークが1992年、ニューヨークのコンコルディア・カレッジでのセッション録音。レーベルは米ARABESQUE RECORDINGS。

ギャリック・オールソンは私ははじめて聴く人。ネットをみてみると、ショパン、ベートーヴェンなどのアルバムがかなりリリースされていますので、知っている人も多いでしょう。

1948年、アメリカ、ニューヨーク州のマンハッタンの30kmほど北方にあるホワイト・プレインズ生まれのピアニスト。1966年にブゾーニコンクール、1968年にモントリオール・ピアノコンクールに優勝、1970年にはワルシャワで行われたショパンコンクールで金賞を受賞し国際的に有名になりました。ショパンのピアノ曲をすべてレコーディングしている他、レパートリーは広大で、80曲もの協奏曲を弾くことができるとのことです。

オールラウンダーたるオールソンのハイドン、これが素晴しかった。このアルバム以外にハイドンの録音はなさそうですが、選曲はハイドン山脈の頂上をいきなり目指す意欲的なもの。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
広いホールの残響をたっぷりと含んだピアノの響き。冒頭から尋常ならざるキレ。オールソン、テクニシャンらしくクッキリとハイドンの最晩年のソナタを軽々と演奏していきますが、テクニックの誇示のような印象はなく、ハイドンのソナタと戯れているよう。ハイドンに対する畏敬のようなもの感じられる真摯な姿勢も感じます。このキレは素晴しいですね。ところどころで大きくメリハリつけるので、曲の構造がクッキリと浮かび上がり、キリリと構成感を表現。迫力も十分。冒頭から圧倒的な演奏にのけぞります。
素晴しかったのがこのアダージョ。ハイドンの美しい煌めくようなメロディーが次々と奏でられ、まるで満天の夜空をながめるよう。テンポをしっかり落とし、ゆったりと濃密な音楽が流れます。溢れんばかりの香しい詩情にうっとり。
フィナーレではやはり、自在に加減速をコントロールしながら、抜群のキレ味のタッチ。この人、只者ではありませんんね。最後はふっと力を抜いた見事な終わり方。1曲目からノックアウトです。

Hob.XVI:51 / Piano Sonata No.61 [D] (probably 1794)
2楽章構成の曲。実に伸びやかな入り。キレよくしなやかなタッチは変わらず、クッキリとしたメリハリもあり、ピアノが鳴りきっています。このXVI:51は今ひとつ落ち着かない演奏も多いのですが、曲の聴かせどころをしっかり把握して見事な演奏。ベートーヴェンの曲のようなダイナミックさではあるのですが、不思議と違和感はなく、ピアノによるハイドンのソナタの理想的な響きと言っていいでしょう。

Hob.XVI:52 / Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
これまでの演奏とかわらず、素晴しい集中力。この曲に求められるダイナミックさと軽やかさ、しなやかさ、古典的な規律、そしてハイドンらしい微笑ましさまで、すべてが高次にまとめられた演奏と言っていいでしょう。聴いていてエクスタシーを感じるほどのキレ味。ひとつひとつのフレーズを完璧に描き分ける驚愕のコントロール。ビアノの分厚い響きの最後の余韻までコントロールされているような、完璧な制御。これだけの表情が自然にまとまっているあたり、恐ろしく鋭敏な感覚の持ち主なのでしょう。
このアダージョでは確信犯的に変化を抑え、孤高の境地に達するよう意図しているよう。ピアノによるこの演奏でこれ以上の高みはあるのでしょうか。ゆったりと演奏をすすめるうちに、高みは成層圏の濃紺の空のよう。
フィナーレの入りのフレーズにほっと一息つきますが、この曲のこれからの展開をオールソンのカミソリのようなキレ味で演奏されることを想像すると穏やかではありません。すぐにキレが炸裂。広いホールに広がるピアノ響きにただただ打たれます。

Hob.XVII:6 / Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
これまでのオールソンの圧倒的な演奏から、この曲を聴く前から殺気を感じるほど。いったいどこまで澄みきった演奏を聴かせるのでしょうか。丁寧に丁寧に変奏を磨き込んでいくような演奏。ピアノ響きは磨き抜かれたキラ星のごとき美しさ。この長い変奏を完全に掌握して、演奏はオールソン流に完璧に仕上げてきます。隙もゆるみも一切なく、揺るぎない自信に溢れた演奏。変奏一つ一つの描き分けは見事と言う他ありません。ハイドンがたどり着いた、ベートーヴェンへとつながる音楽の歴史の一つの頂点を聴くような感慨を覚えるほどの説得力。この雄弁さ、余人の演奏とは一段レベルが違う感じです。この長い変奏を実にうまくまとめて、クライマックスを築いた後、最後は響きの純度が限りなく透明に近くなってすっと終わります。ピアノの美しい響きの余韻が耳にこだまします。

Hob.XVII:9 / Adagio [F] (before 1792)
何と純粋な響き。今までブレンデル盤を愛聴してきましたが、ブレンデルよりもオールソンのほうが深いですね。シンプルな音楽の中に祈りにも似た無垢なものがあります。心が洗われるような演奏です。

ギャリック・オールソン、はじめて聴く人でしたが、衝撃を受けたというのが正直なところでしょう。これほどのハイドンに今まで触れてこなかったとは。まだまだ研鑽がたりませんね。このアルバムは現在、中古以外では流通していないようですが、ハイドンのピアノソナタが好きな方は必聴のアルバムです。ピアノによるハイドンのソナタの正統的な演奏の一つの理想のような演奏です。評価は言うまでもなく全曲[+++++]です。

湖国JHさん、参りました。

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【新着】ルドルフ・ゼルキン最晩年のピアノソナタXVI:50(ハイドン)

なんと、はじめて手に入れる、ルドルフ・ゼルキンのハイドンの録音。

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ルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin)のピアノによるブラームス、マックス・レーガー、ハイドンの作品を収めたアルバム。ハイドンはピアノソナタ(Hob.XVI:50)。ハイドンの収録は1985年5月15日、10月4日、アメリカ、ヴァーモント州、ギルフォード(Guilford)にあるルドルフ・ゼルキンの自邸のスタジオでの録音。レーベルは日本のSony Music Japan。

ルドルフ・ゼルキンといえば、ベートーヴェンなんでしょうが、個人的になじみなのはアバドと組んだモーツァルトのピアノ協奏曲。アバドといえばグルダと組んだモーツァルトが神格化されていたので、ゼルキンとの演奏は頑固オヤジのピアノにアバドが寄り添った演奏との印象でした。今までハイドンの録音があるとは知らずに来ましたが、HMV ONLINEの検索に引っかかって見つけたもの。

ルドルフ・ゼルキンは1903年、ボエミア、現在のチェコのヘプ(Chep)生まれのピアニスト。両親はロシア系のユダヤ人で、小さい頃ウィーンに移りピアノと作曲を学びました。1915年にウィーン交響楽団とメンデルスゾーンのピアノ協奏曲を弾いてデビュー、1920年にはアドルフ・ブッシュとデュオを組んでヨーロッパ各地で演奏活動を行うようになり、アドルフ・ブッシュの娘と後に結婚することになります。1936年にはトスカニーニ指揮のニューヨークフィルとの共演でアメリカデビュー、1939年にはナチスから逃れるためアメリカに移住して、カーチス音楽院で教職につきます。その後の活躍は録音を通しても知られているかと思いますが、録音には慎重であり、得意としていたベートーヴェンについてもソナタ全曲の録音は残していないそうです。亡くなったのは1991年であり、今日取り上げる演奏は82歳と最晩年の録音。ゼルキンの自宅での録音というのも興味を引くところ。

もちろんハイドンが入っているCD2から聴き始めますが、1曲目に入っているマックス・レーガーの「バッハの主題による変奏曲とフーガ」が素晴しい集中力の演奏で思わず引きづり込まれます。ハイドンを聴く前からゼルキンの骨のある音楽にやられてます。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
レーガーは広いホールでの録音のようでしたが、ハイドンはまさに自宅で弾いているようなリアルな録音。グールドとまでは行かないものの、硬質なスタッカートが印象的な入り。とても82歳のピアニストの演奏とは思えない緻密なコントロール。一音一音の粒立ちが鮮やかで、ハイドンの機知を楽しむようにゼルキンが絶妙のタッチで演奏を進めます。大きな流れを表現したレーガーでの演奏とは異なり、本当にタッチのひとつひとつを楽しむような演奏。指一本一本が独立して一音一音を巧みにコントロールしているよう。ちょっと他の人には真似の出来ないような独特のハイドンですが、音楽に淀みはなく、絶妙のコントロールに酔いしれます。練習曲でも素晴しい音楽になるのだと諭されているよう。まさに自在な境地。終盤のオルゴールのように響く所も、繊細なタッチでデリカシー十分。あっぱれ。
1楽章のあまりにも素晴しい流れから予想はしていましたが、アダージョは絶品。これほどまでに磨き抜かれたピアノの響きを聴けるとは。フレーズのひとつひとつを慈しむように音楽にしていき、しっかりと音楽の骨格も感じさせるあたり、並のピアニストではありません。この期に及んでこれほど純粋な音楽を奏でられるとは驚きです。最後は本当に消え入るような響き。
フィナーレは予想通り、軽く流すような演奏。指は十分動いて、速いパッセージも軽々と音楽を楽しむ余裕のある演奏。メリハリは適度で、これまでの音楽の情感をさらりと洗い流すようなさっぱりとした演奏。必要な部分で音楽をすべて表現しきったからでしょうか、悟りにも聴こえる音楽でした。

大御所、ルドルフ・ゼルキンの晩年の演奏ということで、もうすこし大仰な音楽だと想像していましたが、さにあらず。自宅での録音と言う事が影響しているのか、悟りきったような心境から迸り出る燻し銀の音楽。この人のベートーヴェンはすごいだろうと想像できるような、ちょっと骨っぽさを感じる一方、自己表現のような欲は皆無で、この人の特徴である、骨格のしっかりした確かなタッチで音楽を刻んでいく演奏でした。リヒテルのようにハイドンを得意としていたとは聞いていませんが、ハイドンの演奏としても流石といえるものでしょう。なんとゼルキンのCBSへの最後の録音がこのハイドンということで、少々感慨深くもあります。これは[+++++]をつけざるを得ませんね。

評価の高い、クーベリックとのベートーヴェンのピアノ協奏曲全集、発注です!

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マルコム・ビルソンのクラヴィーアソナタ集(ハイドン)

最近手に入れたアルバムから。

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マルコム・ビルソン(Malcolm Bilson)のフォルテピアノによるハイドンのクラヴィーアソナタ5曲(Hob.XVI:50、XVI:43、XVI:3、XVI:20、XVI:40)を収めたアルバム。収録は2003年8月13日,14日、カナダ、トロントのカナダ放送グレン・グールド・スタジオでのセッション録音。レーベルはスイスのclaves records。

マルコム・ビルソンといえば、ガーディナーとイングリッシュ・バロック・ソロイスツとのモーツァルトのピアノ協奏曲全集でしょう。リリースされる度に一枚一枚手に入れて聴いたのが懐かしいですね。ブレンデル/マリナー盤が刷り込みでしたので、特に20番より前の協奏曲の鮮やかな色彩感は、ビルソン盤でその魅力を知ったものです。調べてみるとガーディナーとのモーツァルトの全集は1983年から88年にかけての録音ということで、古楽器によるモーツァルトのピアノ協奏曲録音の走りだったことがわかります。

マルコム・ビルソンのハイドンのソナタの録音は、手元にELECTRA NONSUCHによる1982年にXVI:49、XVI:52を収めたアルバムがあるのですが、ビルソン独特の媚びないというか、素っ気ない演奏と、普段は超絶Hi-Fi録音で知られるNONSUCHのリアルすぎる録音によって、どうにも音楽に入り込めない演奏という印象でした。

このアルバム、店頭で見かけた時に、NONSUCH盤の延長かと思いきや、レーベルも異なり、録音年代がぐっと新しいものだとわかり、迷わず購入しました。

マルコム・ビルソンは1935年、アメリカ、ロスンゼルス出身の鍵盤楽器奏者。弾くばかりではなく研究者でもあるそうです。ニューヨーク州のバード大学を卒業後、ベルリンの音楽舞台芸術アカデミー、パリのエコール・ノルマル音楽院で音楽を学び、イリノイ大学で博士号を得ました。1976年からはコーネル大学で教えています。ガーディナーとのピアノ協奏曲全集の他、フォルテピアノによるモーツァルトとシューベルトのピアノソナタ全集をHUNGAROTONに録音するなど、古楽器演奏の一翼を担いました。

このアルバム、ジャケットには気になるフレーズがあります。

”Five Keyboard Sonatas on a Schanz Fortepiano”

そう、ハイドン自身が「シャンツこそ最も優れたフォルテピアノ工房である」と言っている楽器です。シャンツのフォルテピアノを弾いたソナタは、これまで2つレビューで取りあげています。詳しくはパウル・バドゥラ=スコダの記事をご参照ください。

2013/03/02 : ハイドン–ピアノソナタ : キャロル・セラシのフォルテピアノ/クラヴィコードによるソナタ集
2013/01/13 : ハイドン–ピアノソナタ : ハイドンの時代の響き パウル・バドゥラ=スコダのフォルテピアノ作品集

古楽器に詳しいビルソンだけに、ハイドン自身が気に入っていたシャンツでの録音にこだわったのでしょうか。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
さっぱりとした表情はビルソンならではですが、音量を上げて聴くと、いつものビルソンとはちょっと違い、楽器の余韻を活かした透き通るような空気感とピリッとした緊張感に包まれています。響きに力があるシャンツの音色を活かして、力強いタッチで、フレーズごとにメリハリをつけて弾き進めていきます。録音は最新のものだけあって、自然で適度な残響がともなうもの。ビルソンの演奏はインマゼールのような色彩感やブラウティハムのようなしなやかなダイナミックさはなく、そのかわり誠実かつ骨格のしっかりした演奏。研究者でもある奏者として色づけを排した純粋な響きを求めているよう。少々音楽に固いところがありますが、それが良さでもあるでしょう。ハイドン晩年のソナタから禅の心境にも似た純粋な境地を感じさせます。一音一音のタッチが実にガッチリと決まります。
アダージョはゆったりした印象はなく、テンポはゆっくりなのに険しさを感じる音楽。前楽章同様、一音一音がクッキリ浮かび上がる鮮明なタッチで進みます。この曲のアダージョから情感を排して純粋な音楽のみが結晶となったような響き。ヨーロッパの伝統とは異なり、アメリカ出身のビルソンの中にある純粋な感性がベースにあるからでしょうか。純粋無垢な音楽。
フィナーレでも、間を活かしながらも強いタッチの鮮明な響きが繰り返しやってくるもの。シャンツのフォルテピアノのダイナミックレンジいっぱいに楽器を響かせ、強音の迫力で聴かせます。1曲目からハイドンのソナタの素晴しい迫力に圧倒されます。

演奏のスタンスは曲によって変わらず、一貫しているため、以後の曲は簡単に。

Hob.XVI:43 / Piano Sonata No.35 [A flat] (1770's)
続く曲はだいぶ作曲年代を遡った中期のもの。演奏によってはリズムの面白さ、軽妙洒脱さにスポットライトを当てる曲ですが、ビルソンはここでも、正攻法の演奏。確実なタッチで生真面目とも映る誠実さで弾き進めていきます。多少力は抜けているものの、教科書通り折り目正しい演奏。2楽章の途中で柔らかい音に響きを変化をさせる部分の美しさは楽器を知り尽くしたビルソンならでは。聴いているうちに、この淡々とした楽興は現代楽器と古楽器の違いはあるものの、オルベルツの演奏に近いように感じてきました。楽器が良く鳴って弾くのが気持ち良さそうな演奏。

Hob.XVI:39 / Piano Sonata No.52 [G] (1780)
前曲同様、小気味好い演奏も多い曲ですが、ビルソンは一貫してオーソドックスな攻め方。ハイドンのピアノソナタ全体を叙事詩を語るように演奏するような感じ。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きなXVI:20。この曲はじっくりとした入りから来ました。響きを美しく聴かせようというより、メロディーをとぼとぼ語っていくような弾きっぷり。時折テンポを落として音階を分解して鳴らすような場面があります。
キラ星のような美しさを誇るアンダンテは、ことさら曲の美しさに媚びることなく地味な展開。ただ、その地味さから音楽の美しさが立ちのぼるのがこの曲の素晴しいところ。

Hob.XVI:40 / Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
最後の曲は2楽章構成。アルバムの最後を飾る素朴さ。ビルソンは曲をどう料理するかということよりも、ハイドンの創作に対する謙虚な心情を吐露するように演奏することに集中しているよう。右手の音階がときおり鮮明に駆け上がりますが、全体ととしては落ち着いたもの。フィナーレもクッキリした表情が印象的でわかりやすい演奏。

このアルバム、評価が非常に難しいです。古楽器の研究者としてオーソドックスにフォルテピアノの演奏を仕上げてくるあたりは、かなりの腕前ですが、音楽自体が非常に謙虚で律儀なもの。ハイドンの音符をきっちり弾いていくことにかけて、そして楽器をきっちり鳴らしていく事にかけては素晴しい演奏ですが、どうしても音楽に固さを感じてしまうのがが正直な所。この5曲の演奏として皆さんに推すべき演奏は他にもいろいろありますが、ハイドンのソナタをいろいろ聴き込んできた人にはこのアルバムでのビルソンの筋の通った演奏の価値は伝わるのだと思います。私の評価はXVI:50が[+++++]、思い入れの強いXVI:20は[+++]、その他の曲は[++++]とします。

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【新着】リヒテルのピアノソナタライヴ集

せっかくのお休みですが、風邪をひいて喉がガラガラ。会社でも同じ風邪をひいている人が多かったのでうつってしまったよう。今日は出かけずに家でのんびり。

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HMV ONLINEicon / TOWER RECORDS

スヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Richter)のソ連時代の録音を集めたCD9枚組。この中のCD1がハイドンのピアノソナタ集となっており、Hob.XVI:20、XVI:41、XVI:50、XVI:52の4曲が収められています。収録は何れもモスクワでのライヴであり、XVI:52が1949年の他は1960年代のもの。それぞれ日付が異なるため、曲のレビューと一緒に収録日は記載することとします。レーベルは露Venezia。

このアルバムは最近リリースされてHMV ONLINEから届いたもの。これまでHMV ONLINEは出荷が遅く、注文して在庫がそろっていても、2、3日してから出荷になるケースが多く、すぐにつくとは思っていませんでした。ところが数日前に注文を入れるとすぐに在庫がそろって、すぐに出荷となりました。ウェブサイトにも在庫ありのものも13時までの注文は当日出荷とうたいはじめてますので、出荷体制がだいぶ変わってきたのでしょうか。これまでもマルチバイにすると値段は安い事が多いので、HMV ONLINEを使うことが多かったですが、出荷体制はお世辞にも良いとは言えなかったので、これで少し皆さんにもすすめやすくなりましたでしょうか。

さて、リヒテルはハイドンを好んでいたようで、ライヴを中心にアルバムはかなりリリースされています。手元にもかなりの数のアルバムがありますが、記事として取りあげたのは調べてみると2回のみ。しかも最初の記事はアバムの紹介程度でしたので、ちゃんとリヒテルのアルバムをレビューしたのは1度きりとなります。

2010/11/23 : ハイドン–ピアノソナタ : リヒテルの1993年のソナタ録音
2010/02/23 : ハイドン–ピアノソナタ : リヒテルのソナタ録音

前にも書きましたが、リヒテルのハイドンは力感の表現が秀逸でかつ音楽が大きく、好きな演奏です。ただし、ライヴがかなり出ていて、何となく演奏同士、比較してみなくてはいけないとの先入観から、レビューに取りあげにくかったのかもしれません。

前記事を読み直してみると、リヒテルの略歴等にも触れておりません。自分の知識のためにちょっとさらっておきましょう。

スヴャトスラフ・リヒテルは1915年、現ウクライナのキエフの西100kmほどのところにあるジトームィルで生まれました。父はドイツ人ピアニスト。幼いころに黒海沿岸のオデッサに移住、父親はリヒテルに音楽を教えましたが、音楽家にしようとは思わなかったそうで、後にオデッサで処刑されてしまったとのこと。リヒテルは独学でピアノをはじめ、1931年に15歳でオデッサ歌劇場のコレペティートルに採用され、この時多くのオペラ曲の演奏を通じて腕を磨きました。1934年、19歳で小規模なリサイタルを開き、成功したとの事。1937年22歳でモスクワ音楽院に入学し、名教師ゲンリフ・ネイガウスに師事します。ネイガウスはリヒテルの他、エミール・ギレリス、アナトリー・ヴェデルニコフ、ラドゥ・ルプーらの師として知られ、スタニスラフ・ブーニンは彼の孫とのこと。ネイガウスはリヒテルに「何も教えることはなかった」と語り、リヒテルはネイガウスから多くの事を学んだと言っているとされ、これ以上の師弟関係はないような間柄だったと想像できます。その後ネイガウスの紹介でプロコフィエフと親交を持つようになり、1943年モスクワでプロコフィエフのピアノソナタ7番を初演しました。以後ソ連内で活発に演奏活動をするようになり、1945年には30歳で全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位を受賞しました。以後東欧で公演を行い、西側にもその評判が伝わるようになり、「幻のピアニスト」と呼ばれるようになりました。1958年ブルガリアのソフィアで行ったリサイタルでの「展覧会の絵」などによって全世界に知られるようになり、ヴァン・クライバーンが「生涯で聴いたなかで最もパワフルな演奏だった」と語ったことで評価が決定的となったとされます。1960年にようやく西側での演奏が許可され、以後は日本を含む世界各地に演奏旅行に出かけ、1997年8月にモスクワで82歳で亡くなったということです。

私はリヒテルのハイドンはいろいろ聴いてますが、ベートーヴェンや展覧会の絵などの演奏はちゃんと聴いていません。リヒテルのアルバムで最初に買ったのはバッハの平均率クラヴィーア曲集。淡々とかつ雄弁に語っていく音楽の大きさに打たれたアルバムでした。

Hob.XVI:20 / Piano Sonata No.33 [c] (1771)
1960年代、モスクワでのライヴとだけ記載されています。リヒテルの詩情溢れるピアノが少し遠めに定位し、会場ノイズがわりと大きめに入っています。最初に何かぶつかったような音がします。高域はちょっと混濁気味ですが、リヒテルのピアノの宝石のような輝きはしっかり伝わります。テンポのコントロールは大胆。曲が大きく転換するところで大きくテンポを落とします。ピアノの音は確かな骨格に裏付けられたカッチリとしたもの。ハイドンの名曲の光と陰を鮮明に描いていきます。テープの転写か、先の音がうっすら聴こえてきます。速いパッセージのキレの良さと、ダイナミックレンジは録音を超えて伝わってきます。時折みせる右手の強音はホールを突き抜けるような力強さ。この曲独特の物憂げな印象と冬の星空のような凛とした美しさを実に上手く表現。やはり抜群の力感がものを言います。
咳払いが終わらぬうちに美しいアンダンテ・コン・モートがはじまり、右手の輝きは最初から閃光を放ちまくってます。意外にさらさらとすすめていき、左手の伴奏も正確なリズムに支えられて、鋼のような強靭さ。メロディーの主張の仕方というか、立体感が尋常ではありません。大きく音楽をとらえて大波が押し寄せては消えていくように美しいメロディーが次々とやってきますが、リヒテル自身は非常に冷静に音楽を作っているよう。素晴しく峻厳な音楽。詩情がただよう演奏が多いのですが、全盛期のリヒテルにかかると、豪腕投手の内角高めの豪速球のような厳しいアプローチ。有無をも言わせぬ迫力。ピアノからオーラが出まくってます。
驚くのがフィナーレの力感。ハイドンの曲でここまでのピアニズムを感じるとは。ピアノが鳴りきっています。指の一本一本が鋼で出来ているような素晴しい力感。音の力でもテクニックでも並のピアニストは次元が違います。1曲目から驚きの演奏。全盛期のリヒテルのエネルギーがスピーカーを伝わって、風邪で弱り気味の脳髄直撃です。まさに縦横無尽にピアノを操ります。痺れました。会場からは驚き混じりの拍手が降り注ぎます。

Hob.XVI:41 / Piano Sonata No.55 [B] (c.1783)
つづいて1961年4月17日のモスクワライヴ。前曲の混濁感はなくなって、鮮明さが上がりますが、高域重視の録音。鮮明に咳払いが録られています。いきなり右手のキレの良さに打たれます。速めのテンポながらアクセントがキレまくって、鮮烈な印象。速いパッセージの指が回っているのはもちろん、要所のアクセントが決まりまくって、痛快なほど。ハイドンの原曲の面白さもありますが、アクロバティックにも感じるリヒテルの指さばきにただただ聴き惚れます。鍵盤の上で指が踊りまくっているよう。1楽章の終盤に至り、渾身の打撃でまたもピアノの轟音が響き渡ります。本気ですね。
つづくアレグロ・ディ・モルトも良くこれだけのエネルギーをハイドンの曲に込められるものと感心しきり。速めのテンポで弾き進めていきますが、途中耳をつんざくような強音を何回か聴かせて、この2楽章の小ソナタに込められた本当のエネルギーを知らしめます。最後の一音と同時に拍手が振り注ぎますが、なぜかフェードアウトではなく、さっとヴォリュームを絞る唐突な終わり方。演奏の素晴しさを損なうものではありません。

Hob.XVI:50 / Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
晩年の名曲。1960年9月24日のモスクワでのライヴ。この演奏はおそらく同じ演奏が手元に別のアルバムであります。前曲と似た音響ですが、このアルバムでは一番聴きやすい音。リヒテルは相変わらず、細かい事は気にせず、速めのテンポでバリバリ弾き進めます。後年のリヒテルの演奏は力感と知と情のバランスが絶妙なんですが、この時期の演奏は抑えきれない表現欲からか、ハイドンのソナタに潜む力感の極北を示すようなアタックの連続。無限に動く指と、ピアノと言う楽器のもつダイナミックレンジを遥かに超える強音を交えながら、他のピアニストには絶対に真似の出来ない世界を築いていきます。この曲でもアクセントのキレは尋常なものではありませんが、それがくどくなく、ピアノ音楽の極限んを示すように聴こえるところがスゴいところ。
続くアダージョは、しっかりテンポを落として、磨き抜かれた美音が轟きます。くっきりとアクセントがついてメロディーは恐ろしいほどの立体感。録音は鮮明で、その鮮明さを物語るようなリアルな咳払いが録られています。リヒテルのピアノは神々しい光を帯びたようにこの素晴しい楽章のメロディーを奏でていきます。まさに奇跡の瞬間のような演奏。会場の聴衆は完全にリヒテルの演奏に呑まれています。
最後のアレグロ・モルトは、意外にテンポを揺らさず、噛み締めるように入りますが、途中から強音炸裂。速いばかりじゃないとでも言いたげに、じっくり演奏が進みます。ここでも拍手はさっと消えます。

Hob.XVI:52 / Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
最後の曲。1949年5月30日、モスクワ音楽院グランド・ホールでのライヴ。この曲のみモノラルです。先の3曲から10年以上前の録音。迫力も自在さも一段下がりますが、右手のクリアなタッチがリヒテルらしさを感じさせます。なぜか録音はモノラルながらかなり良く、鮮明さはこのアルバム一番。モノラルなので空間を感じさせませんが、オンマイクでかなり鮮明にピアノの美音を録っています。所々ミスタッチがありますが、グールドの愛用したチッカリングピアノのような独特の高音の響きがあり、なかなか良い音色。スケール、特に音楽のつくりの大きさは後年のものに譲りますが、タッチのキレは流石リヒテル、指の回転は素晴しいものがあります。
つづくアダージョも前3曲と比べるとオーソドックスな演奏ですが、鮮明なピアノのタッチのキレでグイグイ聴かせていき、この楽章特有の孤高の表情を描いていきます。
フィナーレに入ると、指の回転を上回る超絶テンポ設定にリヒテル自身も絡まり気味ですが、そんなことは気にせず、グイグイいきます。ここまでくるとリヒテルの演奏スタイル耳のほうが合ってきて、完全にリヒテル術中にはまったよう。ブレンデルらが聴かせる研ぎすまされた世界とは全く異なる鋼のようなハイドンでした。

このアルバムで聴かれる特に1960年代のリヒテルのハイドンは一般的なハイドンの演奏とは全く異なり、かなり速めのテンポでハイドンのソナタに潜む力感を鋼のようなタッチで演奏したもの。ハイドンのピアノソナタの定番としてお薦めするにはちょっと無理がありますが、ハイドンのソナタの極北を示す演奏として、そしてリヒテルの全盛期の記録としては貴重な記録であることは間違いありません。リヒテルの全盛期の演奏は、決して誰にも真似の出来ない強靭なタッチ、狂気のような強音、何も躊躇することのない直裁なアプローチが鮮明に印象に残りました。評価は60年代の演奏はやはり[+++++]をつけない訳に参りません。最後のXVI:52は[++++]とします。

リヒテルの後年の演奏はこれに比べるとだいぶ穏やかになり、それでも力感と大きな音楽が宿る素晴しい演奏であり、一般的にはそちらをお薦めすべきでしょう。

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ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:20 ピアノソナタXVI:41 ピアノソナタXVI:50 ピアノソナタXVI:52 ヒストリカル ライヴ録音

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なぜかハイドン(Franz Joseph Haydn)が特に気に入り膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。東京在住のごく普通のサラリーマンです。

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