ニコラス・クレーマー/BBCフィルの哲学者、ラメンタチオーネなど(ハイドン)

ニコラス・クレーマー(Nicholas Kraemer)指揮のBBCフィルハーモニック(BBC Philharmonic)の演奏で、ハイドンの交響曲22番「哲学者」、26番「ラメンタチオーネ」、67番、80番の4曲を収めたCD。収録は哲学者が2008年6月26日、ラメンタチオーネが2009年1月28日、残り2曲が2007年6月21日、マンチェスターの新放送室第7スタジオでのライヴ。2009年のBBC music誌(Vol.17 No.11)の付録CD。
BBC music誌の付録はこれまでにもホグウッドの未発表録音だった交響曲76番、77番や、ジャナンドレア・ノセダの太鼓連打など、珍しい録音を何枚か手に入れています。今日取り上げるアルバムも含めてこれらは全て中古での入手。このアルバムもディスクユニオンで入手しました。
ニコラス・クレーマーはあまり知らない人と思いきや、以前に一度演奏を取り上げていました。
2010/10/09 : ハイドン–声楽曲 : アンドレアス・シュペリングのカンタータ集
上の記事のアンドレアス・シュペリングの祝祭カンタータ集の最後に収められた交響曲12番がクレーマーの指揮でした。シュペリングの繰り出す華やかな響きに対して、ゆったり慈しみ深い演奏が印象に残っています。
Wikipediaなどによるとニコラス・クレーマーは1945年スコットランドのエジンバラ生まれの指揮者、ハープシコード奏者。最初はハープシコード奏者として主にオーケストラのコンティニュオを担当していましたが、徐々に指揮する機会に恵まれ、1970年代にはイギリス室内管などの弾き振りなどで活躍、レパートリーもバロックから現代音楽まで拡大しました。その後1986年から92年までアイルランド室内管弦楽団、1985年から93年までロンドン・バッハ管弦楽団の音楽監督を務め、現在はマンチェスター・カメラータとシカゴのミュージック・オブ・ザ・バロックの首席客演指揮者、スイスのヴィンタートゥール・ムジークコレギウム管弦楽団の永世客演指揮者となっています。ライナーノーツによると、このアルバムのオケであるBBCフィルハーモニックとは日常的に仕事をしているそうです。
このアルバムに収められた4曲の交響曲ですが、これがまた癒しに満ちた素晴らしい演奏でした。
Hob.I:22 Symphony No.22 "Philosopher" 「哲学者」 [E flat] (1764)
冒頭からゆったりとしたオーケストラの美しい響きに癒されます。規則的なテンポに乗って各楽器が独特のシンプルなメロディーを受け継いでいきますが、録音は非常に良く、オケのそれぞれの楽器が溶け合って極上のとろけるような響き。弦楽器のビロードのような柔らかさ、木管楽器の自然な表情、そしてホルンの膨らみある柔らかさと言うことなし。BBCフィル素晴らしいですね。いきなりこの曲の真髄を突く演奏に惹きつけられます。
つづくプレストは穏やかながら躍動感満点。オーソドックスな演奏なんですが、このしなやかに躍動するリズムと、実に丁寧に繰り出される旋律の美しいこと。メロディーよりも支える内声部のハーモニーの美しさを意識したのか、若干弱めのメロディーがいいセンス。
メヌエットも穏やかながら実にキレのいい表現。奏者が完全にクレーマーのリズムに乗って素晴らしい一体感。ただ演奏するだけでハイドンの名旋律の美しさにとろけます。そしてフィナーレも期待どおり。ホルンがここぞとばかりにキリリとエッジを効かせてアクセントを加えます。素晴らしい疾走感。オケの響きは相変わらず極上。速いパッセージも落ち着きはらってさらりとこなす余裕があります。これは素晴らしい名演奏。名演の多いこの曲のベストとしても良いでしょう。放送用の録音ということでしょうか、最後に拍手が入ります。
Hob.I:26 Symphony No.26 "Lamentatione" 「ラメンタチオーネ」 [d] (before 1770)
哲学者以上に好きな曲。仄暗い始まりはシュトルム・ウント・ドラング期のハイドン特有の気配を感じさせます。この曲はピノックのキビキビとした演奏や、ニコラス・ウォードの名演が印象に残っていますが、同じスコットランドのウォードの演奏と似たオーソドックスなスタイルながら、ニュアンスの豊かさと響きの美しさはウォードを凌ぐ超名演。この曲でも美しい響きとメロディーのしなやかな展開、さっと気配を変える機転とクレーマーの繰り出す音楽にノックアウト。これは素晴らしい。オケも素晴らしい安定感。ライヴのノイズも皆無なのにライヴらしい躍動感に溢れています。
聴きどころの2楽章は予想より少し速めのテンポでサラリと入ります。聴き進むうちにじわりとこの曲の美しさに呑まれていきます。1楽章の豊かな響きをサラリと流すような清涼感が心地よいですね。
フィナーレも素晴らしい充実度。微妙にテンポを動かして豊かな音楽に。いやいや参りました。
Hob.I:67 Symphony No.67 [F] (before 1779)
録音が少しクリア度を増した感じ。冒頭から素晴らしい迫力と躍動感に圧倒されます。オーソドックスな演奏なんですが、正攻法での充実した演奏に圧倒されます。時代は古楽器やノンヴィブラート流行りですが、こうした演奏を聴くと、小手先ではなく曲をしっかりふまえた演奏の素晴らしさこそが重要だと改めて思い知らされます。よく聴くと弱音部をしっかりと音量を落として、しっかりと彫りの深さを表現していることや、畳み掛けるような迫力と力を抜く部分の表現のコントラストを巧みにつけるなど、やることはしっかりやっています。
弱音器付きの弦の生み出すメロディーのユニークさが聴きどころの2楽章のアダージョ。うねる大波のような起伏と、木管の美しい響きを象徴的に配して、静けさのなかにアクセントを鏤める見事なコントロール。終盤のピチカートは聴こえる限界まで音量を落とす機転を利かせます。
堂々としたメヌエットにヴァイオリンのリリカルな演奏が印象的な中間部とこれも見事。大胆なコントラストをつけているのに落ち着ききった演奏。そしてフィナーレは素晴らしい覇気のオケの響きを楽しめます。前2曲よりも時代が下ったことでオーケストレイションも充実していることを踏まえての表現でしょう。この曲ではコントラストの鮮明さが印象的でした。この曲も見事。
Hob.I:80 Symphony No.80 [d] (before 1784)
最後の曲。さらに時代が下り、オケも迫力十分。クレーマーの丁寧なコントロールは変わらず、オケのとろけるような響きの良さと安定度も変わらず。この曲のみ低音弦の音量が他曲より抑えている感じ。
アダージョのしっとりと落ち着きながらのゆるやかに盛り上がる曲想の表現、メヌエッットの自然さを保ちながらのキビキビとしたリズムのキレ、フィナーレの掛け声の応報のようなコミカルな展開の汲み取り方など非常に鋭敏なセンスで演奏をまとめます。もちろんこちらも見事。
BBC music誌の付録としてリリースされたアルバムですが、これが類稀なる名演奏でした。指揮のニコラス・クレーマー、特に日本ではほとんど知られていないと思いますが、以前取り上げた交響曲12番とこのアルバムを聴くと、そのオーケストラコントロール力はかなりのもの。特にハイドンの交響曲のツボを押さえていますね。この優しい、しなやかな演奏を好む人は多いと思います。ニコラス・ウォードのハイドンを超える素晴らしい演奏です。ということで4曲とも評価は[+++++]とします。中古で見かけたら即ゲットをお勧めします。


アントニオ・デ・アルメイダ/ハイドン協会管による交響曲集(ハイドン)

アントニオ・デ・アルメイダ(Antonio de Almeida)指揮のハイドン協会管弦楽団(The Haydn Foundation Orchestra)の演奏で、ハイドンの交響曲67番、69番「ラウドン将軍」の2曲を収めたLP。収録は解説によると1969年。レーベルは日本ビクター。
このアルバム、ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、この他に3枚、合わせて4枚のシリーズ物。いずれもアルメイダ指揮のハイドン協会オーケストラによるもので、シリーズは下記の通り。
第1集 交響曲62番、66番
第2集 交響曲67番、69番「ラウドン将軍」(本盤)
第3集 交響曲70番、71番
第4集 交響曲74番、79番
今回、この4枚とも入手できたので、色々聴き比べてこのアルバムをレビューに選んだ次第。国内盤ゆえ日本語の解説が付いているのですが、ハイドンの著作で有名な大宮真琴さんによるもので、ロビンス・ランドンがハイドン協会などで主導した、1960年代から70年代当時のハイドンの交響曲の録音の経緯がよくわかります。まずは、1960年からマックス・ゴバーマンとウィーン国立歌劇場管弦楽団による全集が企画された件はゴバーマンのレビューで触れた通りですが、1962年のゴバーマンの急死で中断。続いて1967年から1968年にかけて、デニス・ヴォーンとナポリ管弦楽団によるパリセットなど82番から92番と協奏交響曲など12曲を録音。そしてロビンス・ランドンが1968年に完成したランドン版の交響曲全集をもとに、このアントニオ・デ・アルメイダとハイドン協会管弦楽団によって60番代から81番の17曲と93番から98番までの6曲が録音されたそう。国内盤でリリースされているのが上記の8曲のみということで、60番代から81番までにあと9曲の録音がある模様ですが、ネットを検索してもそれらしきアルバムは見当たりません。まあ、気長に探してみることにします。
指揮者のアントニオ・デ・アルメイダは1928年パリ近郊のヌイイ=シュル=セーヌ (Neuilly-sur-Seine)生まれの指揮者。父はポルトガル人、母はアメリカ人。10代でアルゼンチンに渡り、ヒナステラに音楽理論を学び、その後ボストンのMITで核化学を専攻するという変わった経歴の持ち主。ただし音楽への興味は尽きず学生オーケストラを組織し、ヒンデミット、クーセヴィツキー、セルなどの薫陶を受け、指揮活動を本格化。1949年にリスボンでポルトガル国立放送交響楽団を指揮してデビュー。同年からポルトガル北部のポルトのポルト交響楽団の首席指揮者に就任。1962年から1964年までシュトゥットガルト・フィルの首席指揮者、1965年から1966年までパリ・オペラ座の指揮者、1969年から1971年までヒューストン交響楽団の首席客演指揮者、1971年から1978年までニース・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、1993年から1997年に亡くなるまで、モスクワ交響楽団の音楽監督を務めるなど各地のオケの首席指揮者を歴任しました。オッフェンバックの研究で知られる他、1968年からロビンス・ランドンと共にハイドン協会の音楽監督を務めたとのこと。
ということで、現在ではハイドンの交響曲といえばドラティ以後の録音が知られる存在ですが、マックス・ゴバーマン、デニス・ヴォーン、そしてこのアントニオ・デ・アルメイダがドラティ以前にロビンス・ランドンと共に果たした役割は非常に大きかったに違いありませんね。
このアルバム、針を下ろしてみると、なんとも素晴らしい響きが流れ出します。国内盤なので音質はさして期待していませんでしたが、部屋中に優美な響きが轟く素晴らしい録音です。
Hob.I:67 Symphony No.67 [F] (before 1779)
いきなり彫りの深い、LPならではの彫刻的なオケの響きに引き込まれます。この時期のハイドンの曲はメロディーの適度に晴朗な面白さと巧みな構成がバランスよくまとまったもの。それをわかりやすく表現するようにテンポはややゆっくり目ながら、テーマを適度な推進力で牽引していきます。オケも弦楽器を中心に潤いのある音色がピシッと揃ってなかなかのもの。特に弦楽器の深い響き、木管楽器の軽やかな響きはかなりのレベルです。
続くアダージョは弱音器付きのヴァイオリンによる甘美なメロディーが印象的な曲。曲が滔々と流れゆく感じがよく表現されていて、非常に自然な佇まい。時間がゆったりと流れていく感じが心地よい音楽。最後にコル・レーニョ奏法でコミカルな余韻を残します。
メヌエットは壮大な構えの音楽。非常に雄大な響きを聴かせたかと思うと、中間部のトリオは、ヴァイオリン2本のみの繊細な響きではっとさせられます。
そしてフィナーレは、予想とは異なるかなり遅めのテンポ。まさに壮大さが滲み出てくるよう。これぞオーソドックスなスタイルと言わんばかりの確信犯的アプローチでしょう。ちょっと歴史を感じてしまいますね。フィナーレにもゆったりとした中間部が挟まれ、今度は2本のヴァイオリンとチェロによる三重奏。これがしんみりと聴かせる聴かせる。一貫してゆったりとしたテンポなので徐々に音楽がとろけるように聞こえてきます。途中慟哭のような強奏が挟まり、まるでロマン派の音楽のような展開を経て、冒頭のメロディーを再現します。いつもながら、尽きないハイドンのアイデアに驚くばかり。なかなか壮大な名演です。
Hob.I:69 Symphony No.69 "Laudon" 「ラウドン将軍」 [C] (before 1779)
こちらもゆったりとしたテンポでの入りですが、オケには最初から力が漲り、一筆一筆しっかりとした筆致で筆を進めていきます。一音一音にエネルギーが満ちて、しかも確信に満ちた説得力というかオーラを感じる演奏。現代ではこのようなスタイルの演奏はもう聴かれてなくなってしまったのかもと、余計なことを考えてしまいます。若干古さを感じさせながらも、圧倒的な存在感が印象的な演奏です。
続く2楽章は、前曲同様、弱音器付きのヴァイオリンなどによるハイドンらしい音楽が展開します。仄暗い感じがよく出ていて、メロディーがその印象にからまり合いながらも、こちらの期待を上回る展開力を見せ、追いかけて聞くだけでも刺激的。
メヌエットの威風堂々とした様子も前曲同様。日頃メヌエットの演奏には厳しいのですが、このアントニオ・デ・アルメイダ盤の演奏はそうした聴き方を跳ね返すだけの伝統というか一貫して堅固なものがあるような気がします。
そして壮麗なフィナーレへ突入。遅めなテンポ設定なのも変わらず、適度にしなやかに流れながらも筋骨隆々とした力感にあふれた演奏は痛快そのもの。大宮真琴さんの曲目解説によれば、ランドンはハイドンのこのフィナーレを「想像力が貧困で霊感に欠如している」と評していますが、オーソドックスながら起伏に富んだアルメイダの棒によって均整のとれたハイドンらしい古典的な見事なフォルムに仕上がっています。これはこれで一本筋の通った演奏に違いありません。
アントニオ・デ・アルメイダがハイドン協会管を振って、当時ランドン版の楽譜が出版されたばかりのハイドンの60番から70番台の珍しかった曲を演奏した一連のアルバムの中の1枚。改めて所有盤リストをしげしげと眺めてみると、この60番台から70番台の曲は、ほとんどが1969年以降の録音であり、このアルメイダ盤が中でも一番古い録音であることが珍しくありません。こうした歴史の流れの中でこのアルバムを捉えると、演奏史的な視点での価値もあることがわかります。この直後に録音されたドラティの素晴らしい偉業もあり、アルメイダの演奏はドラティ以前の演奏スタイルを知るための貴重なものでしょう。私はこのおおらかながら険しさも感じさせるアルメイダのハイドンは気に入りました。ということで両曲とも[+++++]とします。


絶品、ニコラス・マギーガンの交響曲集第2弾(ハイドン)

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ニコラス・マギーガン(Nicholas McGegan)指揮のフィルハーモニア・バロック管弦楽団(Philharmonia Baroque Orchestra)の演奏によるハイドンの交響曲57番、67番、68番の3曲を収めたアルバム。収録は68番が2014年2月8日から9日、他2曲が2014年10月11日から12日にかけて、何れもサンフランシスコの対岸、バークレーにある第一組合教会(First Congregational Church)でのライヴ。レーベルはフィルハーモニア・バロック・プロダクションというオケの自主制作レーベル。
このアルバム、気にはなっていたものの注文せずにいたもの。ニコラス・マギーガンのハイドンの交響曲の第2弾なんですが、第1弾としてリリースされたアルバムが今ひとつピンとこなかったからに他なりません。
2011/09/03 : ハイドン–交響曲 : 【新着】ニコラス・マギーガンのロンドン、88番、時計
連休中にamazonを物色していてこのアルバムをよく見てみると、曲目が57番、67番、68番とよほどのハイドンマニアしか手を出さないマイナー曲ばかり。最初のアルバムが有名曲ばかりだったのとは打って変わってこの選曲でアルバムを作ったのが気になって、注文に至った次第。将棋のさし手で言えば、1手目は定石どおり、そして2手目に意外な手を打ってきたという感じでしょうか。
マギーガンやオケについては前記事をご参照ください。
さて、このアルバム、早速CDプレイヤーにかけてみると、前作とは異次元の緊張感。いやいやこれはなかなかの演奏ではありませんか。
Hob.I:57 Symphony No.57 [D] (1774)
地味ながらハイドンの交響曲の面白味が詰まった名曲。気配を探るような序奏から躍動感あふれる主題に入るあたりの演出は実に見事。古楽器ながら非常にプレーンなコントロールがマギーガンの特徴ですが、前作のロンドンではちょっと踏み込み不足な印象を残してしました。この曲ではそのプレーンさが逆に功を奏して、曲の面白さがくっきりと浮かび上がり、わくわくするような躍動感に至ります。ハイドンの交響曲が好きな人の心に刺さる晴朗さ。音符から音楽が踊りだしてくるよう。たまりません! マギーガンの誠実なコントロールでハイドンの音楽に生気を与えます。そして繰り返される転調の妙、オケの奏者全員が一体になって音楽を作り、素晴らしい推進力を生み出しています。1楽章から絶品です。
続くアダージョはゆったりと間を生かした演奏。静けさに安らぎが宿るような癒しに満ちた表情が素晴らしいですね。ライブながら会場ノイズは皆無で、教会での録音らしく深い響きが心地よい録音。シュトルム・ウント・ドラング期の作品を思い出させるようなハイドン独特の仄暗い雰囲気がたまりません。小手先ではなく音楽の芯をとらえた解釈なのでしょう、じわりと心にしみる音楽。
メヌエットも力まず、ゆったりとした拍子の変化、オケの響きの余韻を楽しむような演奏。時折鋭い音色を織り交ぜてアクセントをつけます。よく聴くと弦楽器の音色がよく揃って、厚みもあり、弦楽セクションの優秀さがうかがわれます。
フィナーレは蚊が飛ぶような音色のヴァイオリンから入るユニークなもの。これまで同様余裕のある演奏で強奏でも力むことがなく、鮮やかなオケの吹き上がりを楽しむことができます。軽やかにコミカルな表情をまとめる見事な手腕。1曲目からノックアウトです。
Hob.I:67 Symphony No.67 [F] (before 1779)
1曲目同様、余裕たっぷりに曲想をじっくりトレースする入り。この時期の成熟したハイドンの筆致の素晴らしさを確信的に描いていきます。力みは全くなくオケが軽々と自然に響き、古楽器によるピュアな響きと相俟って素晴らしい感興をつくります。ときおりホルンがキリッとした音色でアクセントを加えます。
素晴らしいのが2楽章のアダージョ。とぼとぼとした素朴な音楽からにじみ出るえも言われぬ実に豊かな音楽。この朴訥さをマギーガンが実に穏やかにまとめていきます。これ以上の自然な表現はできないほど。必要十分な抑揚が音楽をいかに豊かにすることか。沁みます。
そして力の抜けたメヌエット。フィナーレもよく力が抜けて美しい響きを堪能できます。木管陣の音色の美しさが華を添えます。中間部でさらに脱力。ライヴでこれだけ落ち着いた演奏とは驚きます。悟りを開いたがごとき達観でしょう。まるで102番のアダージョのように癒しが溢れる音楽。この曲の終楽章がこれほど素晴らしいとは今まで気づいていませんでした。最後は躍動感を取り戻して終了。いやいや見事。
Hob.I:68 Symphony No.68 [B flat] (before 1779)
収録日は異なりますが、演奏、録音の質は変わらず素晴らしさを保っています。この時期のハイドンの曲の素朴な良さを力を抜いて表現しているところは変わらず、オペラの間奏曲のような不思議な曲想をうまくまとめています。リズムと調が次々と変化していく場面の描写はまさにオペラを見ているよう。いつもながらハイドンの巧みな描写能力に唸るばかりです。
この曲では2楽章がメヌエット。変わったメロディーが印象的なメヌエットですが、そのメロディーがさらに変化して奇異な印象すら与える独特の曲想。その表情を淡々と澄み切った音色で描いていくことで音楽の面白さが引き立ちます。
そしてさらに独特な3楽章のアダージョ・カンタービレ。繰り返されるリズムに乗ってユニークなメロディーが繰り替えし変化しながら行き来する、誰にも想像しようがないほどのユニークなもの。哲学者を思い起こさせます。ハイドンの機知の面目躍如。マギーガンは13分近い長大な楽章を実に丁寧に描き、やはり音楽がにじみ出てハイドンの創意に直に触れるような体験を与えてくれます。
フィナーレに至ってハイドンの総意が爆発。何でしょう、このシンプルなのに深い音楽は。何者にも縛られず自らの創意のままのメロディーを音符に落としたのでしょうが、メロディー自体の変化に加え、楽器間の受け渡しや、変奏の面白さまで、隅から隅までユニーク。その面白さの真髄を味あわせてくれる見事な演奏でした。この面白さ、聴いていただかなくてはわかりませんね。この曲、名曲です。
ニコラス・マギーガン指揮するサンフランシスコの古楽器オケ、フィルハーモニア・バロック管弦楽団によるハイドンの交響曲集第2弾。ハイドンの面白さの最もコアなところを知っているのでしょう、実に地味な選曲ながら、このアルバムにはハイドンの交響曲の魅力がすべて詰まっているような見事な仕上がりです。ライヴ収録とのことですが、セッション録音と言われてもわからぬほどの仕上がりで、その上音楽はライヴのようにイキイキと弾みます。ライヴらしい盛り上がりではなく、実に冷静な指揮によって心にぐっと響くような魅力に溢れています。第1弾が今ひとつだったのにたいし、このアルバムは絶品。ハイドンの交響曲の最上の魅力を知りたい人、必聴です! もちろん評価は全曲[+++++]とします。


起死回生! ラトル/ベルリンフィルのライヴCD-R

DiscLosure Classicsというアメリカのレーベル。2003年9月26日のベルリンフィルのコンサートのライヴ収録。収録曲目は収録順(おそらく演奏順)にハイドンの交響曲67番、チェチーリア・バルトリ(メゾソプラノ)のソロによるハイドンの歌曲「ベレニーチェよ、何をしているのだ」、同じくバルトリのソロによるグルックのアリア、最後はハイドンの交響曲90番、例の終わりそうで終わらないパフォーマンス付きの演奏です。
ラトルは2002年からベルリンフィルの芸術監督の地位についていますので、このコンサートは2年目のシーズンの開始間もなくの演奏。ベルリンフィルのウェブサイトにプログラムが残っています。
ベルリンフィル:2003年9月26日のコンサートプログラム(英文)
まずは、交響曲67番。一聴してわかるEMI盤とは異なる実体感のある音響。1楽章冒頭から生気が漲っています。ベルリンフィルのハイドンといえば、こうこなくては。1楽章のささやくような序奏から主題の強奏による展開までの畳み掛けるような迫力と、中期の交響曲特有のシンプルな構成の面白さの高次元のバランス。ベルリンフィルの弦楽セクション特有の力感漲るフレージングが生きていますね。フレージングのキレだけで1楽章を堪能できます。
2楽章のアダージョは絶品。弱音器つきの弦の静かなメロディと木管のコントラストが素晴らしい。ラトルの特徴がフルに発揮された至福の9分間。このアダージョのためにこのアルバムを買う価値有りです。アダージョのあまりの素晴らしさに厳しいフィルハーモニーのお客さんも思わず拍手。
3楽章のメヌエットはヴァイオリンのソロが活躍する構成。楽章間のコントラストも見事。冒頭の一音から覇気が漲ります。
フィナーレは、ハイドンの天才を証明するような素晴らしいキレ。コントラスト、展開、力感、そして弦楽器のソロでのクァルテットのような中間部、すべてが完璧な演奏。67番がこれほど素晴らしい曲だったとは。この夜の演奏を生で体験したお客さんの興奮はいかばかりだったでしょうか。
1曲目から素晴らしい演奏。これぞベルリンフィル、これぞラトルというべき演奏ですね。
2曲目は現代最高のメゾ、バルトリの登場。ナクソスのアリアンナではなく、「ベレニーチェよ、何をしているのだ」。バルトリのこの曲はアーノンクールとのDVDでも観ることが出来ます。DVDの演奏に比べ伴奏の力強さと伴奏のメリハリは遥かにこの演奏のほうが優れており、バルトリの声の張りも段違い。ここでもベルリンフィルの弦楽セクションの炸裂ですね。拍手喝采とブラヴォーが出来を象徴。
そして最後はEMI盤にも後年の録音が収録されていた交響曲90番。前回取り上げた演奏と異次元の集中力。何気ないフレーズもギリシャ彫刻のような立体感に溢れるフレージングでこれまた生気が漲りまくり。同じ指揮者とは思えない充実ぶり。オーボエの旋律に施された修飾音のキレもよく、オケが絶好調なようすが手に取るようにわかる演奏。
2楽章はリラックスした展開ながら所々低音弦の楔がよく効いて立体感抜群。後半のチェロのソロも堂々とした佇まい。3楽章のメヌエットもこれまでと同様、大迫力。途中のオーボエのメロディがとろけそうな美演。
そしてフィナーレはキレまり。キレてるだけに例の演出も見事に2度も効いて、場内の盛り上がりも最高潮となり、ベルリンフィルも底力を発揮してフィニッシュ。素晴らしいハイドンですね。
評価はもちろん全曲[+++++]。このアルバムを聴かずにラトルのハイドンを語るなかれ、ですね。
この演奏でようやくラトルとベルリンフィルの実力が明らかになった気がします。考えさせられるのはアルバムをプロデュースする視点。表面的に整った演奏をアルバムにまとめても、演奏がキレてなければ魅力はありません。今回取り上げたアルバムはいわゆる海賊版。取り上げるのに道義的に問題があるのかもしれませんが、演奏の素晴らしさに変わりはありません。このアルバムをリリースしたのは酔眼と言えるでしょう。著作権上の問題はあるのかもしれませんが、ラトルの真価を伝えるという意味では、正規盤以上に存在価値があるものと思います。
どこかで見つけられた方、手に入れるべき必聴盤です。