ウラディミール・フェルツマンのソナタ集(ハイドン)

今日はピアノソナタ。最近手に入れたアルバムで、これが絶品の演奏。

VladimirFeltsman.jpg
TOWER RECORDS / amazon

ウラディミール・フェルツマン(Vladimir Feltsman)のピアノによるハイドンのピアノソナタ8曲(Hob.XVI:46、XVI:34、XVI:49、XVI:20、XVI:48、XVI:39、XVI:33、XVI:44)、12の変奏曲(Hob.XVII:3)の9曲を収めた2枚組のアルバム。収録は2012年3月31日、9月24日から26日にかけて、このアルバムのリリース元であるニンバスの本拠地である英ブリストル近郊のモンマス(Monmouth)にあるワイアストン・リーズ(Wyastone Leys)でのセッション録音。

ピアノのウラディミール・フェルツマンは初めて聴く人。いつものように調べてみると、1952年モスクワに生まれのピアニスト、指揮者。11歳でモスクワフィルとの共演でデビューするなど若くして頭角を現し、1969年からモスクワ州立チャイコフスキー音楽院でピアノを学び、その後モスクワ、レニングラード両音楽院で指揮を学びました。1971年にはパリで開催されたマルグリット・ロン国際ピアノコンクールで優勝し、以来世界の楽壇で活躍しています。どうやらバッハを得意としている人のようで、Apple Musicバッハのパルティータ集を聴きかじってみると、独特の朴訥さを感じさせるタッチが魅力で、どちらかというと東洋的というか、禅の境地のようなものを感じる演奏をする人との感触を得ました。ハイドンのソナタをさらりと弾きこなす手腕はこのバッハの演奏の境地との類似性を感じます。

今日は、CD1枚目の4曲を取り上げます。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
さりげないごく普通の入りという印象でしたが、すぐにほんのりと詩情が漂い始めます。特にスタッカート気味の部分に独特の風情が乗ります。緊張感を催す演奏ではなく、リラックスして淡々と弾き進めていく自然な流れとアクセントの対比の面白さが聴きどころと見ました。安定した技術に裏付けられたさりげない自然さ。指の回りもしなやかなわけではなく、響きの美しさの中にリズムもアゴーギクも適度に凸凹した印象を残しますが、それがこの演奏の面白さ。名のある陶工の茶碗に見られる焼きムラを景色として味わうのと似た感じ。これが実に心地よい。
この曲は初期の曲ながらアダージョの美しさが聴きどころの曲。リズムも自在に動かしながら弾き進めていくこの楽章は曲の美しさを際立たせる見事なタッチが印象的。まさに詩人の演奏というべき神業。豊かな表情が透徹した純粋さを表現する稀有な演奏。
フィナーレは文字通り軽妙洒脱なタッチの面白さで聴かせます。1曲めからいきなり素晴らしい演奏に圧倒されます。

Hob.XVI:34 Piano Sonata No.53 [e] (c.1782)
左手の力強いタッチとリズムの面白さで聴かせる曲ですが、それに限らずしなやかな流れとくっきりとした表情の美しさでまとめる見事な展開。流れ良く聴かせるのはこの人の天性の才能でしょう、はっきりとしたコントラストをつけながら、一貫して淀みなく曲を流していくところは見事。フレーズのつなぎもハッとさせるような閃きを聴かせます。
アダージョでは響きを研ぎ澄ますように形を整えるという感じの演奏ではないにもかかわらず、さらりとした演奏の中にディティールの様々な美しさを垣間見せ、ふと暖かな気配を感じさせたり、閃きを見せたりと聴くものを飽きさせません。
終楽章もリズムに変化を持たせながらさりげなくまとめます。最後に見得を切るのがこの人のスタイルなのでしょう、キリリと引き締めて終わります。

Hob.XVI:49 Piano Sonata No.59 [E flat] (1789/90)
晩年の有名なソナタ。ここにきて、かなり派手なアクセントをかまして表現力を駆使してきます。ハイドンの曲に仕込まれた機知を汲み取ってどうだと言わんばかりの外連味溢れる演奏。晩年のソナタだからこそ、こうしたウィットを込めたのだろうと言わんばかりの演奏にニンマリ。奏者の浮かび上がらせたハイドンの意図は私にはしっくりきました。このソナタから迫力や響きの美しさではなく、この外連味を汲み取るセンスは秀逸。全編に遊び心が満ち溢れます。
なぜか枯淡の境地を感じさせるアダージョ。ピアノという楽器の響きの美しさを感じさせながらも、叙情的にならずに淡々と曲を弾き進めていくことでかえって切ない感情を浮かび上がらせます。この曲の真髄に迫るさりげない解釈に凄みさえ感じるほど。
そしてフィナーレはタッチの硬軟の対比を随所に設けてテーマとなるメロディーに変化をつけて表現力を見せつけます。見事。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
好きな曲。1楽章は美しい2楽章の前座のようにこれまで聴く癖がありましたが、フェルツマンはこの楽章にも巧みに表情をつけることで、この楽章独自の面白さを印象付け、私の曲の印象も変わりつつあります。一般的な丁寧な演奏から生まれるまとまりの良い曲想から抱く印象とはちょっと違って、この曲の展開の面白さにいつもと違う方向からスポットライトが当たり、ハッとさせられました。
そして、お目当てのアンダンテ・コン・モートは期待以上に心に沁みる演奏でした。響きに固執することなく、小川の流れが岩に当たって所々急な流れになったり、穏やかになったりする自然の美しさをそのまま書き写したような曲の表情に気づかされます。緩急自在かつ響きの磨き度合いも自在に変化させるフェルツマンの軽妙なタッチ。絶美。
フィナーレはピアノの響きの面白さを適度な力感で楽しむがごとき演奏。力任せになることはなく、左手のアクセントを交えながら曲のメロディーと陰影の美しさを交錯させて流すように演奏。すっと力を抜く面白さまで加えて終えるあたり、流石のセンスです。

CD1枚目を聴いてウラディミール・フェルドマンの曲に対する読みの深さを思い知った感じ。表面的な響きの美しさというレベルを狙っているのではなく、曲ごとにハイドンが意図したであろうイメージを次々と汲み取って表情を作っていくことで、一見シンプルなハイドンのソナタの深さを見事に表現しきっています。このことが最もよくわかるのがXVI:49。このソナタに込められたアイデアをこれほどわかりやすく表現した演奏は他にありません。恐ろしいまでの表現力の持ち主ですが、それを穏やかにまとめるところが真の実力者と見ました。感服です。評価は4曲とも[+++++]といたします。必聴です。



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:46 ピアノソナタXVI:34 ピアノソナタXVI:49 ピアノソナタXVI:20

ルービンシュタインのアンダンテと変奏曲(ハイドン)

今日は珍しいハイドンのアルバム。

Rubinstein.jpg
amazon

アルトゥール・ルービンシュタイン(Artur Rubinstein)のピアノで、モーツァルトのピアノ協奏曲20番、21番とハイドンのアンダンテと変奏曲(hob.XVII:6)の3曲を収めたアルバム。ハイドンの収録は1960年4月19日のセッション録音ですが収録場所はわかりません。モーツァルトの方は1961年3月から4月の録音で、アルフレッド・ウォーレンスタイン(Alfred Wallenstein)指揮のRCA VICTOR交響楽団。国内盤のRCA NEW BEST 100というシリーズ。

ルービンシュタインといえばショパンでしょう。ハイドンを弾くイメージは全くない人でしたが、先日たまたまこのアルバムを発見して入手。ディスクユニオンの店頭でモーツァルトのコーナーを見ていてたまたま見つけたもの。メインがモーツァルトのアルバムゆえ、ハイドン目当ての私にはなかなか見つけられずに今日まできたということです(笑)

ルービンシュタインといえば知らぬ人はいない巨匠ですが、ショパンはあまり得意でない私はあまりなじみもなく、記憶の限りでは手元にこれ以外のアルバムもありません。昔FM放送で流れていたショパンの演奏を聴いた覚えがあるくらいということで、ショパンを好む人から見ると未開人のような状況なんですね。

ルービンシュタインはショパンと同じポーランドに1887年に生まれた20世紀を代表するピアニスト。幼少期から神童として知られ、13歳でベルリン交響楽団と共演、戦前はヨーロッパで、戦後はアメリカで活躍し、1982年に亡くなりました。RCAレーベルに膨大な録音を残し、それをまとめた142枚のCDと2枚のDVDをまとめたArthur Rubinstein - The Complete Album Collectionというアルバムが以前発売されています。このような膨大な録音を残した中でもこの演奏がおそらくハイドンの唯一の録音ということで、巨匠ルービンシュタインはハイドンをどう料理したのかというのが私の興味の対象ですね。

まずはモーツァルトのコンチェルトですが、1961年の録音とは思えない鮮明な録音でオケも溌剌としてなかなかいい感じです。ルービンシュタインのピアノは独特な芳香を放ち、速めなテンポで流れるような演奏。フレーズ一つ一つのタッチの柔らかさが印象的な上、骨格がしっかりとして推進力もあり、彼の美学が隅々まで行き渡っていることがわかります。聴き進むうちににルービンシュタインの魔術にかかったようで夢見心地。20番の2楽章は至福の境地。この曲はハスキルやグルダ、ブレンデルなどが馴染みですが、ルービンシュタインのモーツァルトがここまで素晴らしいとは知りませんでした。21番の方も絶品の演奏で、2楽章のアンダンテは芳しい抑制の美学。オケも放送用のオケでしょうが聴く限り一流どころによるオケでしょう。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
肝心のハイドンですが、やはりピアノから立ちのぼる芳香はルービンシュタインならでは。遅めのテンポでしっとりとした入り。ゆったりとしたフレーズのタッチの柔らかさとそこからくっきりと際立つメロディーの艶やかさにいきなり惹きつけられます。右手と左手の対話のように表情にコントラストつけながら進むあたりはこれまで聴いたことのないもの。変奏を一つ一つ進めるごとに微妙にテンポと表情を変え、音楽に無限の深みをつけていきます。このメロディーにこれだけ多彩な表情をつけていく演奏はなかなかありません。聴けば聴くほど深い演奏。大きな起伏の波を超えて再び静けさに至るようなこの曲の魅力を、極めてニュアンス豊かにまとめる見事な手腕。恐れ入りました。

アルトゥール・ルービンシュタインの真価を、ショパンではなくハイドンで、昭和ではなく平成末期にようやく知った次第。このハイドンは見事の一言。特にこの変奏曲の表情をこれだけ豊かに表現するデリカシーはショパンの大家だからこそと想像しています。そして、メインのモーツァルトのコンチェルトも絶品。今更ながらすごい人だったんですね。このアルバムはRCAのベスト盤として流通していましたので聴いたことのある方も多いかもしれませんが、今は現役盤ではないようです。ただApple Musicには登録されていましたので、未聴の方はぜひ聴いてみてください。評価はもちろん[+++++]とします。



にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : アンダンテと変奏曲XVII:6

【新着】ポール・ルイスのピアノソナタ集(ハイドン)

なぜかピアノの新譜が続きます。

PaulLewis.jpg
TOWER RECORDS / amazon(mp3)/ HMV&BOOKS onlineicon

ポール・ルイス(Paul Lewis)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:49、XVI:50、XVI:32、XVI:40)を収めたアルバム。収録は2017年4月15日、8月20日から22日にかけて、ベルリンのテルデクススタジオ(Teldex Studio Berlin)でのセッション録音。レーベルはharmonia mundi。

このアルバムはリリースされたばかりのものですが、先日当ブログのマルクス・ベッカーの記事を取り上げていただいたyoshimiさんのブログの記事のコメントでその存在を知り、注文を入れていたもの。

どうやら巷では話題のポール・ルイスですが、私は存在も含めて初めて聴く人です。調べてみるとこのアルバムがリリースされているharmonia mundiからベートーヴェンのピアノソナタ全集や、イルジー・ビエロフラーヴェクの振るBBC響とのピアノ協奏曲全集、マーク・パドモアとのシューベルトの主要歌曲、主要ピアノソナタ集などを次々とリリースしており、いずれもなかなかの評判ということで、harmonia mundiの看板ピアニストといったところ。ハイドンの未聴盤の発掘に極度に偏ってアルバムを収集している私だけが知らぬ存在だったというのがオチでしょう(笑)

いつものように略歴をさらっておきましょう。1972年英リバプール生まれで、マンチェスターのチェタム音楽学校、ロンドンのギルドホール音楽演劇学校などで学び、その後はアルフレート・ブレンデルに師事。1994年にロンドン国際ピアノコンクールで2位に入賞したのを皮切りにその後多くのコンクールでの入賞を経て欧米のコンサートや音楽祭で活躍するようになります。2005年から2007年にかけて欧米のコンサートでベートーヴェンのピアノソナタ全曲を演奏するのと並行し、harmonia mundiに全ソナタを収録し、それぞれのアルバムがGramphone誌のEditor's Choiceに選定された上、第4巻は同誌の最優秀器楽賞と2008年の年間ベストアルバムに選定されており、このことがポール・ルイスの名を世界に轟かせたのでしょう。以後の活躍、アルバムのリリースは先に触れたとおりです。

さてさて、なんとなくアルバムが届いてから記事にしようとしているうちに、yoshimiさんのブログで取り上げられました。レコード芸術の5月号にインタビューも掲載されており、その引用も含めてyoshimiさんのブログに詳しく触れられていますので、是非ご覧ください。

気ままな生活 ポール・ルイス ~ ハイドン/ピアノ・ソナタ集

私の方は、前記事で取り上げたトッド・クロウの演奏の余韻が残る中、曲ごとに演奏の特徴に触れておきましょう。

Hob.XVI:49 Piano Sonata No.59 [E flat] (1789/90)
非常に艶やかで磨かれたピアノの響きが心地よい録音ですが、低音はあえて抑え気味にして中高音域の美しさを強調しようとしている感じ。リアリティよりも雰囲気重視の録音。全ての音が艶やかに響くところはブレンデルに師事したというのが頷けるところ。トッド・クロウのしみじみと語るような語り口の上手さとは表現の角度が異なり、グイグイと弾き進めながらも多彩なタッチの変化で聴かせます。推進力があり、淀みなく音楽が流れていきます。1楽章はハイドンのソナタの喧騒感を上手く表現しています。
続くアダージョ・カンタービレは思ったほど沈まず、美しい音色でメロディーを包み込むような演奏となります。柔らかなさざなみに乗って装飾を凝らした主旋律がくっきりと浮かび上がります。
そして終楽章も楽章間の表現の差はあまり感じさせず、軽やかな躍動感を軸にさらりと弾き進めてまとめます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
演奏スタイルは前曲と同様、曲ごとの変化を感じさせることなく、センス良くまとめる力で演奏している感じ。この曲でも落ち着かないほどグイグイとひっぱていくのがポール・ルイス流なんでしょう。時折りふっと静けさを感じさせる他は一貫して攻め続けていく感じ。場面転換の瞬間瞬間のはっとさせるようなアイデアは流石なところ。アダージョは前曲よりもしっとり感が出てきて、要所でテンポも大きく動かすことで表現の幅が大きくなります。終楽章に入ると表現はさらに大胆なひらめきが散りばめられ、ポール・ルイスの面目躍如。最後の力の抜き方も見事です。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
この曲は師であるブレンデル盤が刷り込みです。ブレンデルの力感とコクが新鮮なセンスで刷新されたような演奏。全般にライトな印象はやはり録音の影響もありますが、この曲独特の重さを少し軽減して儚い華やかさを感じさせるのが流石なところ。この華やかさが続くメヌエットにも引き継がれ、得も言われぬような美しいメロディーが漂います。軽やかな中にトリオの険しさが顔を覗かせることで曲のメリハリがつきます。フィナーレは目の覚めるような鮮やかなタッチの右手とゴツゴツした左手の織りなす見事な調和で一気に聴かせます。

Hob.XVI:40 Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
最後にしっとりと落ち着いた語り口も聴かせようという意図での曲順でしょうか。どちらかというとセンスとタッチのキレ味で聴かせるルイスのハイドンですが、ここにきて静寂感と詩情が溢れる演奏でアルバムに深みが加わります。ルイスのしっとり感はそれでも軽やかさと華やかさを失わないのが流石。ブレンデルのような骨太な印象とは逆に良い意味で線の細いところがそう感じさせるのでしょう。
終楽章はやはりタッチの鮮やかさが聴かせどころ。あまりに鮮やかなタッチで若干技巧披露的な余韻がついちゃいました。

ポール・ルイスによるハイドンのソナタ集でしたが、ルイスの閃きに満ちた鮮やかなタッチが楽しめるいいアルバムでした。ジャケットを見るとピアノの横に自信ありげにすっくと立つポール・ルイスの姿が印象的ですが、よく見ると左側のピアノの黒にうっすらと数字の1が浮かび上がっています。レコード芸術誌のインタビューでも来年ハイドンのソナタ集の2枚目がリリースされると触れられていますが、これまでのルイスの録音歴を考えると全集化もあり得ると思います。数枚リリースするアルバムの1枚目にわざわざ1とは書かないのが普通ですよね。ということでこれからが楽しみな企画になりました。評価は全曲[+++++]とします。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:49 ピアノソナタXVI:50 ピアノソナタXVI:32 ピアノソナタXVI:40

トッド・クロウのピアノソナタ集(ハイドン)

素晴らしいマイナー盤を発掘しました!

ToddCrow.jpg
TOWER RECORDS / amazon(mp3) / HMV&BOOKS onlineicon

トッド・クロウ(Todd Crow)のピアノによるハイドンのピアノソナタ4曲(Hob.XVI:50、XVI:29、XVI:38、XVI:20)、ピアノ三重奏曲Hob.XV:22のアダージョのピアノ編曲版の合わせて5曲を収めたCD。収録時期は記載されていませんが、解説などの内容から2002年頃の収録と思われ、ニューヨークのマンハッタンの約100キロ北にあるポキプシー(Poughkeepsie)にあるヴァッサー大学(Vasser College)のスキナー・ホール(Skinner Hall)でのセッション録音。レーベルは米MUSICIANS SHOWCASE RECORDINGS。

最近オークションで仕入れたアルバムですが、いつものようにちょっとジャケットに霊気を感じたアルバム(笑) うっすらと微笑むピアニストの姿にピピっと来た次第。なんとなくこの手のアルバムに名演奏が多いという経験則があり、意外に当たるんですね。

奏者のトッド・クロウはもちろん初めて聴く人。欧米では評価されている人のようで、ニューヨークタイムスは「英勇的で無限の才能、音色、スタミナを感じさせるピアニスト」、英タイムス紙は「背筋が凍るほど爽快」、ウォールストリートジャーナル紙は「驚くほどの制御能力と素晴らしい音楽の構築力」と各紙絶賛。1945年、カリフォルニアのサンタ・バーバラ生まれで、カリフォルニア大学、ジュリアード音楽院などで学び、十代から頭角を現し、以後ピアニストとして様々な音楽祭やオケなどとの共演を含めて活動するとともに、現在はこのアルバムの録音会場となったニューヨーク州のヴァッサー大学で教職についています。アルバムも多数リリースされていますが、ハイドンの録音はこのアルバムのみのようです。ただし、有名曲を集めただけという選曲ではなく、ハイドン通を唸らせる見事な選曲ゆえ、ハイドンについてはかなり研究していることを窺わせます。

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
自然な響きのホールでステージからちょっと離れた席で演奏を楽しむような録音。先に紹介した各紙の評価からは豪腕ピアニストのような印象もなくはないのですが、このハイドンは落ち着きながらも、音楽の起伏をしっかりと描く、まさにくっきりと構築感を感じさせる演奏。フレーズがイキイキと弾みながらも、程よくバランスを保ちながら淡々と音楽を進めてゆく名演奏。4月のHaydn Disc of the monthに取り上げたマクダーモットが研ぎ澄まされた美しさで聴かせたのに対し、クロウはそこにも頼らず力感の変化やフレーズのクッキリ感で聴かせる男らしい(笑)演奏。さらりと自然ながら雄弁な語り口は聴いているうちになるほどと唸らされます。アダージョに入るとさらに語り口は訥々と神妙になり、まさにハイドン自身が語りかけるように聴こえます。一音一音のタッチはデリケートさを極め、表面的な美しさとは真逆のじわりとくる音楽。そしてフィナーレも優しい風が吹き抜けるような入りからしっかりと展開させて見事な結びを描きます。雰囲気ではなく音楽の面白さで描き切る見事な演奏でした。

Hob.XVI:29 Piano Sonata No.44 [F] (1774)
リヒテルの演奏が刷り込みの曲ですが、力感のみならず、軽やかに弾む入りが秀逸。音楽が活きてます。ごく自然ながらくっきりと曲想の面白さを浮かび上がらせて活きます。この曲でも語り口の面白さに惹きつけられます。軽妙洒脱なだけでなく、しっかりとした構築感が背後にあることを感じさせ、テクニックではなく音楽性が聴かせどころ。この曲でもアダージョは音楽の大きさを見せつけ、詩的でかつ叙事的な音楽。ハイドンのアダージョがこれほどまでに雄弁な音楽だったとは。トッド・クロウ、只者ではありませんね。フィナーレはもう身を任せるだけ。楽器の存在が消え、自らの言葉で音楽を紡いでいくよう。心地よいどっぷりと音楽に浸ります。

Hob.XVI:38 Piano Sonata No.51 [E flat] (before 1780)
もはやトッド・クロウの演奏に身をさらすだけ。さらりと雄弁なのは変わらず、次々と演奏する曲の面白さを純粋に楽しむことができます。ハイドンの曲に仕込まれた構成の妙、機知、変化の面白さをこれほど見事に語る演奏はありません。この曲では短調から入って徐々に明るさが射してくるアダージョのニュアンスのなだらかな変化が聴きどころ。フィナーレも言うことなし。

Hob.XV:22 Piano Trio (Nr.36/op.71-2) [E flat] (before 1795)
ここにこの曲を持ってくるとは見事なセンス。まるで原曲がピアノのために書かれたような自然な美しさに満ちた演奏に驚きます。ここにきて純粋に美しい響きに特化した音楽で心が洗われるよう。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
最後にこの曲を持ってくるとは。一瞬にしてこの曲独特の雰囲気に包まれます。まさにハイドンの天才を物語る曲。もちろんクロウの絶妙な語り口によってこの曲の広がりというか空間に引きずり込まれる感じ。憂いに満ちた美しさと明確な構成はハイドンの創作期の最初の頂点であるシュトルム・ウント・ドラング期ならでは。そしてハイドンのソナタで最も美しい緩徐楽章であるアンダンテは、予想通り音色の美しさだけに媚びない、構成の美しさで聴かせる絶品の音楽。この曲だけても展開の起承転結が見事に決まっただけでなく、このアルバムの最後にふさわしい堂々たる表情でフィナーレを締めくくります。

何度も言いますが、トッド・クロウ、只者ではありません。ジャケットを見る限りただのおじさんですが、その紡ぎ出す音楽の豊かな表情は見事の一言。このハイドンのソナタ集を聴けばその手腕は一目瞭然。最初に紹介したニューヨークタイムズなどの評価に偽りはありません。もう少し名が売れていてもおかしくありませんが、音楽業界も演奏の内容のみならずスター性も重要な訳ですね。トッド・クロウの紡ぎ出す音楽は、ミケランジェリほど究極に研ぎ澄まされているわけではありませんし、エマールほどの前衛を感じさせるわけでもなく、グールドのように個性が突き抜けているわけでもありません。しかし、ハイドンのソナタをこれほど雄弁かつ自然に演奏できるのはクロウだけかもしれません。当ブログがクロウのハイドンの見事さを世に問いましょう。もちろん評価は全曲[+++++]とします。ピアノ好きな方、是非聴いてみてください。まだ手に入ると思います。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:50 ピアノソナタXVI:29 ピアノソナタXVI:38 ピアノソナタXVI:20 ピアノ三重奏曲

【新着】アン=マリー・マクダーモットのピアノソナタ集第2巻(ハイドン)

最近リリースされたCD。

AMMcDermott2.jpg
amazon

アン=マリー・マクダーモット(Anne-Marie McDermott)のピアノによるハイドンのピアノソナタ集の第2巻。収録曲はHob.XVI:48、XVI:39、XVI:46、XVI:37の4曲。収録は2017年4月17日から18日にかけて、デンマークのオーデンセ(Odense)のカール・ニールセンコンサートホール(Carl Neelsen Musikhuset)でのセッション録音。レーベルは米BRIDGE。

ちょっとエリザベス・テイラーを思わせる美貌のピアニスト、アン=マリー・マクダーモット。2014年にハイドンのソナタと協奏曲を収録した2枚組のアルバムがリリースされていましたが、緩徐楽章の美しい音楽が魅力的な一方、速いテンポの楽章にちょっとそそくさとした印象があって記事に取り上げるほどのインパクトはありませんでした。今回Vol.2がリリースされ、ちょっと聴いてみると、なかなか深い演奏ではありませんか。ということで記事に取り上げることにした次第。

アン=マリー・マクダーモットはアメリカのピアニスト。風貌から想像するにアンジェラ・ヒューイットと同世代の方と見受けました。略歴などを見ても年齢や師事した人などの記載はなく、数多くのコンクールで優勝してコンサートピアニストとして長年活動している方ということです。調べてみると日本の浜松で1991年に開催された浜松国際ピアノコンクールで2位と日本人作品最優秀演奏賞を受賞していますね。アルバムはBRIDGEレーベルからショパン、モーツァルト、プロコフィエフなどのアルバムがリリースされていますが、中でもハイドンの2枚目のアルバムをリリースしてくるということは、ハイドンにひとかたならぬ情熱を傾けているということでしょう。ライナーノーツにはこのところの欧米や中国でのリサイタルでオールハイドンプログラムを演奏しているとも記載されています。彼女もハイドンの純粋無垢な美しさにとらわれたのでしょう。

Hob.XVI:48 Piano Sonata No.58 [C] (1787/9)
ピアノはヤマハCFX。最近ではジャン=エフラム・バヴゼがヤマハを使ってソナタ全集の録音に挑んでいますね。硬く澄んだ中音域がヤマハらしい音色。ゆったりとしたテンポでまるで山水画のように侘び寂びを感じさせるような入り。前作から明らかに演奏スタイルが進化しているように聴こえます。静寂の中に音を置いてく様子が枯山水の玉石のなかに点在する岩のよう。一音一音の余韻にうっすらと乗る淡い色彩の絶妙な変化を楽しむような趣。1曲目から素晴らしい緊張感に包まれます。
続くプレストは前作とは異なり、さらりと流すような余裕があり、しかも音符のグラデーションの綾を描くような統一感があります。軽妙洒脱なハイドンのウィットと純音楽的なキラメキが高度に融合した素晴らしい演奏。タッチも鮮やか。

Hob.XVI:39 Piano Sonata No.52 [G] (1780)
続いて軽いタッチのソナタ。キレ良く楽しげなタッチでハイドンの宝石箱のようなメロディーをなぞっていきます。実に楽しそうに演奏しているのが伝わります。そして微妙に陰る部分の陰影のデリケートなコントロールはハイドンのソナタを演奏し続けているからこそ表現できるポイントでしょう。変奏が重なって音楽がどんどん展開していく面白さを、フレーズごとに表情を微妙に変えることで表現していきます。そして最初のメロディーに帰ってきたときに広がる安堵感。ソナタの面白さを存分に味わえます。
続くアダージョはもとより深い情感の表現に長けたマクダーモット得意の楽章。いきなり峻厳な輝きに満ちた美しさに包まれます。純粋無垢な美しさとはこのような演奏のことでしょう。深い呼吸としなやかなタッチから生まれる絶美の瞬間。特に高音の磨き抜かれた響きの透明感と弱音のコントロールが見事。マクダーモットの演奏でこの楽章の素晴らしさを再認識した次第。
フィナーレもいい意味で力の抜けたいい演奏。複雑な音階をさらりと弾き進めていきますが、大きな音楽の流れをしっかりとつかんで進めているのでせいた感じは皆無。音楽の軽さとタッチの適度な重さが絶妙。

Hob.XVI:46 Piano Sonata No.31 [A flat] (1767/70)
初期のソナタの中では有名なもの。フレッシュな響きを意識しているのかこのソナタでも軽やかさは変わらず。メロディーラインをくっきりと浮かび上がらせながらもかなり短く切られた伴奏音が軽やかさを印象づけます。メロディーラインの響きの美しさ、表情の豊かさと一貫した伴奏の描き分けの見事さに唸ります。おそらくこれまでのコンサートでも繰り返し演奏したことでこの境地に到達したのでしょう、初期とはいえこの音楽の深みは見事という他ありません。
楽しみにしていた美しい曲想のアダージョ。空間の透明度が極限まで上がったような研ぎ澄まされた音楽に引き込まれます。響きの純度もこれ以上ないほどで、特に高音のメロディーは宝石のごとく輝き、詩情が滲み出してきます。ハイドンの美しいアダージョに浸る至福のひととき。冬の高原で満点の星を眺めるがごとき趣。セッション録音にも関わらず、今そこでピアノを弾いているような極上のコンサートを独り占めしている心境になります。絶品。
フィナーレは再び軽やかさを取り戻しコミカルでウィットに富んだ音楽をさらりと流します。この流し方が粋なんですね。軽く表情をつけながらもサラリ感に満ちた音楽で最後をまとめます。

Hob.XVI:37 Piano Sonata No.50 [D] (c.1780)
最後は中期の曲。鮮やかなタッチの魅力を最後に聴かせようということでしょう。速いパッセージにもくっきりとメリハリをつけながら決して足早に聴こえることないよう注意深く演奏されてています。この曲は1楽章の軽やかな展開から、2楽章でグッと沈み込む対比が聴かせどころですが、1楽章の鮮やかさが、次の展開の対比を想起させるハイドン一流の仕掛けがあります。
その仕掛けを見事に表現。2楽章のラルゴの冒頭は沈み込むのではなく壮麗な伽藍を思わせる見事な入りで度肝を抜きます。私の想像を見事に超えてきました。まさにマクダーモット入魂の演奏。ハーモニーに魂が宿ります。
そしてそよ風のような自然なフィナーレの入り。楽章間の変化の面白さを見事に活かした演奏は流石にハイドンを弾きこんできただけのことはあります。最後は媚びることなくさらりと軽やかに終えるところも見事。いやいや素晴らしい演奏でした。

マクダーモットの最初のハイドンの録音(下に参考アルバムとして掲載)から大きく進化した2枚目のアルバムは多くのコンサートでオールハイドンプログラムを演奏し続けてきたマクダーモットの面目躍如。最近聴いたハイドンのソナタ集では出色の出来です。高音の輝きはまるでグルダを思わせ、全体の見通しよく、ハイドンならではの機知やユーモアを織り交ぜながらも研ぎ澄まされたアーティスティックさでまとめられた素晴らしい演奏でした。このアルバムのジャケット写真をよく見ると、マクダーモットがピアノに向かいハイドンと心の対話をしながら演奏しているように見えてなりません。このソナタ集、必聴です。評価は全曲[+++++]とします。

(参考アルバム)
AMMcDermott1.jpg
TOWER RECORDS / amazon

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:48 ピアノソナタXVI:39 ピアノソナタXVI:46 ピアノソナタXVI:37

井上直幸のピアノソナタXVI:50(ハイドン)

レア盤が手に入りました。

NaoyukiInoue50.jpg

井上直幸(Naoyuki Inoue)のピアノによるハイドンのピアノソナタ(Hob.XVI:50)と、ベートーヴェンのピアノソナタ32番の2曲を収めたLP。収録は1979年10月17日、荒川区民会館ホールでのセッション録音。レーベルはCBS SONY。

井上直幸さんがハイドンの曲を演奏したアルバムは何枚かリリースされており、これまでに2枚取り上げています。

2013/09/17 : ハイドン–声楽曲 : 中山節子/井上直幸の歌曲集(ハイドン)
2010/08/14 : ハイドン–ピアノソナタ : 豊穣、井上直幸のピアノソナタ(ハイドン)

ハイドンとともにモーツァルト、シューベルトのソナタなどを並べたアルバムに、奥さんだった中山節子さんのソプラノの伴奏にまわって英語によるカンツォネッタなどを収めたアルバム。なんとなく叙情的な雰囲気のある演奏が印象に残っています。

今日取り上げるアルバムは前2盤よりも録音が古い1979年の録音によるハイドンとベートーヴェンを並べた本格的なもの。針を落とすと、これまで聴いたアルバムとは異なり、曲に真正面からぶつかる緊張感あふれる正統派の演奏。録音も非常に鮮明で聴きごたえ十分ということで、記事に取り上げた次第。

IMG_1169.jpg

Hob.XVI:50 Piano Sonata No.60 [C] (probably 1794)
国内盤ですが録音は絶品。LPのコンディションも良く、解像力の高い響きで眼前に粒立ちのいいピアノの音が自然に流れ、LPならではの力強い実体感もあり残響も適度で最新の録音と比較しても遜色ありません。特に静寂感が絶妙。
入りから高音の転がるような音階の美しさが印象的。早めのテンポで弾き進めていきますが、タッチはキレキレというのとは異なり、1音1音ごとに僅かなタッチの変化を散りばめながら、しなやかに流れ良くいい意味でちょっとしたゴツゴツ感のあるもの。これがハイドンのソナタの素朴さと実に合って得も言われぬいい感じがでています。
1楽章は適度に引き締まった演奏ながら、僅かな無骨感が井上さんらしい感じを残しましたが、続くアダージョはやはり独特の濃密な音楽が聴かれました。静寂の中にピアノが孤高に響き渡り、1音ごとに微妙なニュアンスを感じる独特の余韻。タッチは明確なのに余韻にうっすらと色が乗るよう。歩みを遅めてじっくりとメロディーを置いていきながら静寂と対話するよう。この孤高感は表現の方向は全く異なるものの、グールドを思わせる集中力。録音がいいのでピアノという楽器の音を存分に楽しめます。
さっと雰囲気を変えて終楽章に入ります。ほんのり適度な重さがこの人らしいですね。これよりタッチのキレた演奏は色々ありますが、妙に気になる残るくだけたタッチが印象的。短い楽章ではありますが、個性をしっかり残して終わります。

オークションで偶然見つけて手に入れたLPでしたが、素晴らしい録音によって井上直幸さんのハイドンの真骨頂が伝わる素晴らしい演奏が素晴らしい音で楽しめました。井上さんは2003年に亡くなっていますので、録音も市場に出回っているもの限りだと思いますので、ハイドンの録音も他にあるかどうかわかりませんが、演奏からはっきり伝わる個性を持った方ですので、他に録音があれば是非聴いてみたいですね。評価は[+++++]とします。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:50

【新着】オリヴィエ・カヴェーのソナタ集第2弾(ハイドン)

久々の新着アルバム。CDです!

Cave32_48.jpg
TOWER RECORDS / amazon / HMV&BOOKS onlineicon

オリヴィエ・カヴェー(Olivier Cavé)のピアノによるハイドンとベートーヴェンのピアノソナタ集。ハイドンのソナタはHob.XVI:32とXVI:48の2曲で、ベートーヴェンの3曲のソナタ(Op.2-1、Op.2-2、Op.10-2)に挟まれた曲順。収録は2017年9月にベルリンのテルデクススタジオでのセッション録音。レーベルはα。

オリヴィエ・カヴェーのソナタ集の第1弾は以前に取り上げており、しかもその演奏は素晴らしいものでした。

2015/07/05 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】オリヴィエ・カヴェーによるピアノソナタ集(ハイドン)

演奏以上に意欲的だったのが、ハイドンとスカルラッティを交互に並べ、「明と暗」とタイトルをつけたアルバムの企画。このあたりのことは前記事をご参照ください。そして今日取り上げるアルバムはレーベルは異なるものの同じouthereグループのレーベルで、今度はハイドンの中期以降のソナタとベートーヴェンの初期のソナタを交互に配置したもの。この2枚のアルバムで、ハイドンのソナタを音楽史というより音楽の成り立ちの変遷のパースペクティヴの中で位置付けようと意図しているのでしょう。しかも前アルバムは暗闇の中にすっと浮かぶカヴェーの姿を写したジャケットだったのに対し、今度は目も眩むような明るさの中に浮かぶカヴェーの姿を基調としたもの。なかなかコンセプチュアルな企画に、聴く前から興味津々です。

1曲目はベートーヴェンのソナタOp.2-1ですが、作曲年は1796年とハイドンの存命中。いかにもハイドン的なリズムの面白さと、シンプルながらほのぼのとしたアダージョが印象的な曲。カヴェーの演奏は透明感に溢れたもので、タッチも極めてデリケート。特にアダージョの鏡面に映る星空の澄んだ空気感のようなものが素晴らしい演奏。実に柔らかなタッチから生まれる極上のピアノの響きを堪能できます。メヌエットから終楽章にかけてはハイドンには聴かれなかったエネルギーが漲りベートーヴェンらしさを感じさせます。

Hob.XVI:32 Piano Sonata No.47 [b] (1776 or before)
ベートーヴェンよりも少し硬めの音でくっきりとメロディーを浮かび上がらせます。基本的に速めのテンポで爽快に進めますが、1音1音のタッチの揺るぎない感じと、巧みな音量変化のキレの良さで聴かせる演奏。それぞれの音の打鍵から余韻が消えるまでが克明に聴こえることでハイドンの書いたリズムとハーモニーの巧みな融合が実に興味深く感じられます。指先の隅々まで神経が行き届いていて、さらりと弾いていながら実に深い音楽が流れます。特に高音のメロディーラインがきっちり浮かび上がるので、曲の見通しが素晴らしくよく感じられます。
続くメヌエットでは、先ほどベートーヴェンのアダージョで聴かせたしなやかなタッチが復活。メロディーラインでも弱音を非常に効果的に用いてハッとするようなアイデアでフレーズをまとめて行くあたり、タッチの多様さは驚くほど。語りかけるようなピアニッシモから楔のようなアクセントまで表現力は多彩。
そしてフィナーレでは高まる気のようなものを伴って、速いパッセージをグイグイ引き進めていきます。鮮やかなタッチのキレ、透明感、展開の対比などハイドンのソナタに必要な表現について手抜かりなく繰り出してきます。最後はカッチリと締めて終わります。

続いてベートーヴェンのOp.2-2。曲の構えはさらに大きくなり、リズムもハイドンと比べるとぐっと複雑に。ただし音楽の流れの良さはハイドンのシンプルな楽想に分があるように感じるのは私だけでしょうか。ユニークな2楽章、これまでの中ではハイドンっぽいスケルツォ、そして終楽章のロンドンは展開が進むにつれて徐々に音楽のスケールが大きく育っていきます。

Hob.XVI:48 Piano Sonata No.58 [C] (1787/9)
ベートーヴェンの後に聴くと、ハイドンのメロディーラインの明快さと潔さが一層引き立ちます。この曲でもタッチのキレの良さと、余韻の美しさは絶品。よく聴くとかなりの音量差を伴ってくっきりとメロディーを描いています。この緩急自在のタッチこそカヴェーの本領でしょう。そして音階の美しさも同様。しんしんと降る雪に音が吸い取られ、静寂の中にピアノの音が響くような峻厳な美しさ。これぞカヴェー。2楽章のロンドはタッチの冴えも極まってリズムはキレキレ、鍵盤に重さを感じないほどにリズムがいきいきとする見事な演奏。まるで練習で弾いているがごとき遊興の極み。いやいや参りました。

最後のベートーヴェンのソナタはOp.10-2。入りから鍵盤を目一杯使って、ハイドンの作品とは展開のアイデアも規模も違う感じ。私はハイドンをベートーヴェンと対比させて聴いていますが、聴きかたを変えればベートーヴェンをハイドンと対比させて聴くことになり、そういった耳で聴くとこの展開のボキャブラリーとエネルギーに耳が行くわけですね。ハイドンを演奏するのに必要なテクニックと同様のテクニックながら、より表現力を要し、しかもその表現が映える曲の構造であるということが、直接対比させることで見えてくるわけです。これは、このアルバムを通しで聴いていただくことで初めて感じられる感覚かもしれません。

オリヴィエ・カヴェーによるハイドンのソナタの第2弾は、ハイドンに続くベートーヴェンとの繋がりを浮かび上がらせるという企画意図がピタリと決まったアルバムでした。ハイドンだけ聴いたとしても、冴え渡るタッチの素晴らしさを感じられる一級の演奏に違いありませんが、ベートーヴェンと並べることによって、音楽の発展や時代の流れを感じられるのに加えて、ハイドンにはベートーヴェンにない簡潔な美学があることも気づかされます。そしてこの構成で最も際立ったのがカヴェーの表現力でしょう。スカルラッティの見事な演奏とハイドンを組み合わせた時と同様、ベートーヴェンと並べて両者に共通する感覚を意識させながら弾き分ける手腕の凄みを印象付けました。企画意図、演奏共に素晴らしいアルバムです。ハイドンの2曲の評価は[+++++]とします。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:32 ピアノソナタXVI:48 ベートーヴェン

ヴァルター・オルベルツのピアノソナタ旧録音(ハイドン)

ようやくレビューに戻ります。2018年最初のアルバムはこちら。

OlbertzLP.jpg

ヴァルター・オルベルツ(Walter Olbertz)のピアノによるハイドンのピアノソナタ2曲(Hob.XVI:23、XVI:40)、モーツァルトピアノソナタ(KV332)、アダージョ(KV540)の4曲を収めたLP。収録年の表記はありませんが、ネットを調べたところ1964年のリリースのようです。レーベルは旧東独ETERNA。

このアルバムは最近オークションで入手したもの。見かけたときはちょっと過呼吸になりました(笑) 当ブログの読者の皆さまならご存知のとおり、オルベルツといえば、ハイドンのピアノソナタ全集を録音し、しかもその全集は現在でもそのファーストチョイスとして揺るぎない価値を持つもの。そのオルベルツの全集をお持ちの方も多いと思いますが、このアルバムはその全集の前に録音されたもの。全集の方が1967年から76年の録音で、こちらはリリースは1964年との情報がありますが、収録はモノラルのため、それより前の可能性もあります。

全集からXVI:20を取り上げて記事を書いてありますので、オルベルツの略歴や全集についてなどはこちらをご覧ください。

2013/01/30 : ハイドン–ピアノソナタ : ワルター・オルベルツのピアノソナタXVI:20

ちなみに、これまでワルター・オルベルツと表記してきましたが、ドイツ語読みだとヴァルターの方が近いのでしょうから、今後はヴァルターとします。

オルベルツは1931年生まれですので、このアルバムが1964年録音だとすると33歳くらい。ジャケットに写る姿はそれよりだいぶ若そうな気がしますね。オルベルツの揺るぎない演奏の原点を探れるという意味もあり、貴重なものと言えるでしょう。いつも通りVPIのクリーナーと必殺超音波美顔ブラシで丁寧にクリーニングして、年末の大掃除でモノラル専用のプレーヤー環境をセッティングしたのでそちらの方に盤を置き、針を落とします。

Hob.XVI:23 Piano Sonata No.38 [F] (1773)
全く気負いのない滑らかな入り。後年の達観したかのような冷静さよりは、流麗なタッチの魅力を表現しようとする意欲を感じます。ただし、音楽の骨格の確かさは後年の演奏と同様、表現にブレはなく、やはり揺るぎないと言わざるを得ません。若いぶんテンポは速めでタッチのキレも鮮やかですが何か一貫した安定感があるのは流石。LPのコンディションはわずかにノイズを伴いますが、音の実在感は流石のもの。1楽章のアレグロ・モデラートは爽やかながら落ち着いた心情を感じさせます。
その余韻をさらに深めるように始まる続く2楽章のアダージョは針音混じりながら静寂感を感じさせる素晴らしいもの。あらためて全集のCDと比べても録音の鮮度は全集に分がありますが、雰囲気と音楽の深さはこちらでしょう。ピアノの美音に包まれる幸福感を味わえます。
続くフィナーレではオルベルツらしい、落ち着き払った透徹したピアノの音色が聞かれます。メロディーラインをくっきりと浮かび上がらせながらも全体のバランスを乱さない流石のコントロール。凛々しさを感じさせながらもこのソナタの表現を極めようという意図が感じられ、それが演奏の抜群の安定感に繋がっています。

IMG_0891 (1)

Hob.XVI:40 Piano Sonata No.54 [G] (c.1783)
続くソナタは2楽章制。不思議に静寂感を感じさせる落ち着いた入り。後年の演奏よりもよほど達観しているとさえ感じさせる、冴えた落ち着き。全指に全神経が張り巡らせて冷静にコントロールしている感じながらさらりとした流れの良さを保った演奏。実に自然なタッチですが、これが常人には非常に難しいのでしょう。すでにハイドンの音楽と一体化するオルベルツの恐ろしいまでの制御能力を感じさせます。力の抜け方はちょっと特別なものを感じます。
2楽章のプレストはその力の抜けた優雅な雰囲気のまま実に軽々としたタッチでさらりとやっつけます。これがまた常人離れしたもの。短い曲なのであっという間に終わってしまいますが、泡沫の夢のような淡い音楽に酔いしれます。古い録音ながら、古い録音だからこそ味わえる素晴らしい音楽を楽しめる素晴らしい演奏でした。

LPの裏面はモーツァルト。ギーゼキングを思わせるこちらも揺るぎない安定感を感じさせる演奏。私はギーゼキングよりもオルベルツの軽やかさ保った演奏をとります。こちらも絶妙なる音楽を味わえる名演奏と言っていいでしょう。

ヴァルター・オルベルツの金字塔たるハイドンのピアノソナタ全集のオリジンを聴くようなこのLPでしたが、期待に違わず素晴らしい演奏が音溝に刻まれていました。なんでしょうこの豊かな音楽は。時代の空気まで刻まれたような素晴らしい録音に酔いしれました。ハイドンもモーツァルトも絶美の演奏。アナログもデジタルもステレオもモノラルも関係なく、この素晴らしいピアノの音に包まれる幸せを感じる演奏です。LPの再生環境のある人は是非手に入れてこの幸福感を味わってほしいものです。もちろん評価は[+++++]とします。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:23 ピアノソナタXVI:40

【新着】小笠原智子のソナタ集(ハイドン)

またまた新譜が続きます。

TomokoOgasawara.jpg
TOWER RECORDS / amazon

小笠原智子(Tomoko Ogasawara)のピアノによる、ハイドンのアンダンテと変奏曲(Hob.XVII:6)、ピアノソナタ(XVI:52)、モーツァルトの幻想曲(KV.475)、ピアノソナタ14番(KV.457)の4曲を収めたCD。収録は2017年1月2日から5日にかけてフライブルクのSWRスタジオでのセッション録音。レーベルは独Coviello CLASSICS。

こちらも最近手に入れたアルバム。奏者の小笠原智子さんははじめて聴く人。藝大卒業後渡独し、ベルリン芸術大学も卒業。活動はドイツやヨーロッパ中心のようで、ヨーロッパ各地でコンサートを開催しているほか、現在はフライブルク音楽大学ピアノ専攻科で教えているそうです。

なんとなく日本人の弾くハイドンは聴いておかなくてはということで入手したアルバム。しかも選曲はハイドンの名曲2曲にモーツァルトも名曲を揃えて意欲的な組み合わせ。虚心坦懐に聴きましたが、これがなかなか良かった。

Hob.XVII:6 Andante con Variazioni op.83 [f] (1793)
非常にリラックスした入り。もちろんそういう曲なんですが、鏡のように澄み切った心境を表すように冴え冴えとしたピアノの音が広がります。ピアノの高音域がくっきりと広がり、ピアノ響きの美しさだけでなく、そこでまさに弾いているような実体感もあるるなかなかいい録音。奏者の気負いのなさが音楽から伝わります。グールドではありませんが、かすかに歌うような音が録られているのが面白いところ。一音一音の響きは日本らしい端正なところもあり、輝きのある音色と相俟って凛とした空気を感じさせます。肉食系のヨーロッパの伝統の延長とは違う響き。その端正さがこの曲の孤高な感じとうまくマッチしています。音楽の重心は完全に高音寄りでキラメキ感のある演奏。後半の変奏に入って徐々に力感が増してくるあたりになると、ちょっと線の細さが気になりますが、それも前半から一貫したスタイルということでしょう。特段モードチェンジすることなく淡々とこなしていきます。終盤の込み入った部分ではちょっと音階の鮮やかさが陰るようなところもありますが、不思議と曲想には一貫性があり、凛とした雰囲気を保って終わります。

Hob.XVI:52 Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
先のアンダンテと変奏曲では高音寄りの音作りでしたが、ソナタの方はそれより意識してか低音を響かせてきました。この曲はやはりピアノの重厚な響きが魅力の一つですから、曲に合わせた音作りということでしょう。聴き進むうちに誰かの弾き方に似ていると思い始めましたが、マリア・ジョアン・ピリスでした。前曲よりも流れの良さと迫力を感じる演奏で、次々と展開するハイドンの音楽に合わせて変幻自在に表情を作っていくところなどかなりの表現力と唸ります。それでいて持ち前の端正な響きの美しさを持った音色で統一され、1楽章はなかなかの迫力で締めます。
続くアンダンテは小笠原さんのタッチの特徴がよく出た楽章。キラメクような高音と直裁なタッチによるハーモニーの重なりの端正な美しさで聴かせる楽章。力みなく冷静に一貫した音楽を紡ぎ出す落ち着いた演奏。音楽はフレーズごとに様々な表情を見せますが、奏者のしなやかで落ち着いた心情が一本筋を通しているのか、実に落ち着いた音楽が響きます。
フィナーレはこのアルバムの白眉。リズムのキレよく響きもよく通って複雑に絡み合うこの曲のメロディーを見事にコントロール。特に左手のリズムのキレの良さが曲に活気を与えて、最後までクリアな響きを維持しています。終盤踏み込んだ表現をいくつか聴かせて終わります。

この後のモーツァルトの幻想曲はじっくりと腰を落ち着けて安定感のある演奏。そしてソナタは感情の起伏にさらに踏み込んでモーツァルトのデモーニッシュな翳りと転がるような音階の美しさを織り交ぜながら見事に描いた演奏。アダージョの美しさは見事なもの。

まったく未知の小笠原智子さんのピアノによるハイドンとモーツァルトの名曲集。このアルバムを通して聴いてみると、録音を聴いているというより一夜のコンサートを聴いているような気分になります。ピアノの美しさや先鋭的な表現などではなく、ベテランピアニストならではのいぶし銀の至芸を聴いているように感じます。音楽は無理なくきっちりと表現し、力みなく、さりとて短調でもなく、聴き終わるとジワリと音楽の温かみが伝わってくるよう。このアルバムよりもテクニックのキレた演奏は色々ありますが、このアルバムでしか味わいがあることも事実。私は気に入りましたので、両曲とも[+++++]とします。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : アンダンテと変奏曲XVII:6 ピアノソナタXVI:52

山名敏之のカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」3種(ハイドン)

久々のCD。しかも国内盤です!

ToshiyukiYamana.jpg
TOWER RECORDS / amazon / ローチケHMVicon

山名敏之(Toshiyuki Yamana)のフォルテピアノによるハイドンのカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」(Hob.XVII:1)、クラヴィコードによるクラヴィーアソナタ(XVI:52)、ハープシコードによるカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」、クラヴィコードによるクラヴィーアソナタ(XVI:20)、クラヴィコードによるカプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」などを収めたCD。アルバムタイトルは「ハイドンと18世紀を彩った鍵盤楽器たち」。収録は2012年3月13日から15日、大阪は関空のそばの泉佐野市にあるエブノ泉の森ホールでのセッション録音。レーベルは浜松市楽器博物館コレクションシリーズで知られるALM RECORDS。

ふと手に入れたアルバムですが、内容をよく見てみるとハイドンのソナタをフォルテピアノ、クラヴィコード、ハープシコードで弾き分ける、なかなか含蓄あるアルバムでした。

奏者の山名敏之さんは藝大ピアノ科卒業後、オランダのスウェーリンク音楽院などでフォルテピアノを学んだ人。録音時は和歌山大学教育学部の教授です。2009年から2012年まで「ハイドン・クラヴィーア大全」というシリーズでハイドンのクラヴィーア独奏曲をクラヴィコード、ハープシコード、フォルテピアノの3種の鍵盤楽器で演奏したそう。いわば日本のトム・ベギンといえばハイドン通の皆さんにはわかりやすいでしょうか。

このアルバムはそうした活動の成果として録音されたものと思いますが、選ばれた曲と楽器が変わっています。冒頭の収録曲を改めて噛み砕いてみると、フォルテピアノ、ハープシコード、クラヴィコードの3種の楽器で弾き分けられたのは、カプリッチョ「豚の去勢にゃ8人がかり」という不思議な名前の曲。その間にクラヴィコードでXVI:52と、XVI:20という名ソナタのクラヴィコードによる演奏が挟まれているという構成。特にカプリッチョは当ブログで以前取り上げた時には大宮真琴さんの「新版ハイドン」に従い「8人のへぼ仕立て屋に違いない」という名前で掲載していましたが、このアルバムのライナーノーツの記載によればそれは誤訳で、歌詞の意味を踏まえると「豚の去勢にゃ8人がかり」が正しい訳とのことです。

このアルバムの解説は奏者の山名さんによるものですが、この意欲的なアルバム構成の背景がよくわかる力作。量といい内容といいアルバムの解説というよりは論文と言ってもいいもの。デザインを専攻している方ならばよくご存知のドナルド・ノーマンの名著「誰のためのデザイン?」の記述で有名になったアフォーダンスという概念を軸に、フォルテピアノ、ハープシコード、クラヴィコードというハイドンが作曲していた時代に使われた楽器そのものが、作曲、作品にどのような影響を与えたか、そして当時作曲に使われていたクラヴィコードの特徴がハイドンの音楽に与えた影響などについて各楽器のフリクションやダンパーペダルなど楽器のメカニズムに関する分析をもとに影響を記述したもの。純粋に音楽を楽しみたい方にはちょっとトゥー・マッチな内容かもしれませんが、これはこれで読み甲斐があるもので、これだけでもアルバムを手に入れる価値があるかもしれませんね。

さて、このアルバムのキーになっている「豚の去勢にゃ8人がかり」という曲はこれまで4回取り上げています。

2017/06/12 : ハイドン–ピアノソナタ : 【新着】フランチェスコ・コルティのソナタ集(ハイドン)
2017/05/12 : ハイドン–ピアノソナタ : フランツペーター・ゲーベルスのソナタ集(ハイドン)
2013/01/27 : ハイドン–ピアノソナタ : デレク・アドラムのクラヴィコードによるソナタ集
2010/09/27 : ハイドン–ピアノソナタ : ジョアンナ・リーチのスクエアピアノ2枚目

この中でも、デレク・アドラム盤は私がクラヴィコードという楽器へ開眼するきっかけとなったアルバム。音量が極端に小さく、響きも後年の楽器より貧弱な楽器の知る人ぞ知る素晴らしさに目覚めさせてくれたアルバムです。そして、今日取り上げるアルバムも、クラヴィコードによる演奏が含まれているということが手に入れようと思った直接の動機。ということで、珍曲「豚の去勢にゃ8人がかり」の3つの楽器による弾き分けと、有名な2つのソナタのクラヴィコードの演奏の出来が気になるわけですね。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
まずは挨拶がわりか、冒頭にはこのカプリッチョのフォルテピアノによる演奏が置かれています。フォルテピアノは1782年製アントン・ヴァルターの複製品で2002年ロバート・ブラウン作のもの。曲はユーモラスなメロディーがロンド形式で何度も転調しながら現れるもの。3つの楽器の中では最もダイナミックレンジの広いフォルテピアノの特徴を生かして、テンポよく快活に入り、徐々にダイナミックに変化していくところが聴きどころでしょう。終盤はフォルテピアノらしからぬ迫力を帯びて堂々としたもの。ユーモラスさや諧謔性よりも楽器を鳴らしきることに主眼を置いているような演奏。録音は浜松市楽器博物館コレクションシリーズで手慣れているだけに楽器の魅力を伝えるいい録音です。

Hob.XVI:52 Piano Sonata No.62 [E flat] (1794)
続いてクラヴィコードによるソナタの演奏。クラヴィコードは1790年頃のJohann Bodechtel作の複製品で2002年フランスのクリストファー・クラーク作のもの。このソナタはご存知のとおり、ハイドンのソナタの総決算のような曲。クラヴィコードで演奏した実際の音量はフォルテピアノよりもかなり小さいものでしょうが、録音だけにレベルを調整してフォルテピアノに近い音量で録られています。クラヴィコードは音量は小さいですが繊細な音色と音色の変化、ヴィブラートがかけられることなどが特徴であり、音量を気にせずに集中してきくと小宇宙的な世界を楽しめます。解説ではピアノやフォルテピアノが音を発するタイミングに集中して演奏するのに対し、クラヴィコードは音を鳴らし終わるタイミングに集中して演奏するという楽器の特性により、音を響かせるダンパーペダルなしでもこの壮麗なソナタを十分音を響かせて演奏できることに触れられています。そう言われて耳を澄ませて聴くと、なるほどそうした楽器の特性がこの曲の作曲にも影響していると思えてきます。演奏の方は絶対的なダイナミックレンジが狭いながらも小音領域での相対的なダイナミックレンジの広さで十分ダイナミックに聴こえ、ソナタの格に負けない風格ある演奏に聴こえます。山名さんの演奏は特に速い音階の鮮やかな指使いが印象的。前出のデレク・アドラムの演奏が楽器製作者らしく、クラヴィコードのちょっと落ち着かない音程の不安感を全く感じさせない絶妙なタッチと高潔な諧謔性を感じる芸術性の高さが素晴らしい演奏だったのに対し、楽器の弱点であるちょっとしたふらつき感と音域ごとの音色の違いをそのまま感じさせる面もあったのが惜しいところ。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
続いてカプリッチョのハープシコードによる演奏。楽器は17世紀のルッカースの複製品で、1978年エジンバラのグラント・オブライエン製作のもの。ハープシコードさしい凜とした音色はこのユーモラスな曲の典雅な側面に光を当てます。今度は楽器自体もダイナミックレンジは逆に狭く音量のコントロール幅は狭い中、メロディーの表情で聴かせることになります。メロディーを奏でる高音域のクリアな響きの美しさは魅力的。この音色が古典期のハイドンの作品を妙にバロック風な響きに聴かせるのが面白いところ。

Hob.XVI:20 Piano Sonata No.33 [c] (1771)
今度はクラヴィコードによる中期の名ソナタの演奏。曲の格からいうとソナタ2曲が構成も緻密で構築感のある曲なんですが、フォルテピアノやハープシコードと直接響きを比較できる配置でクラヴィコードの響きを聴くと、直接的な響きの印象で少し聴き劣りする印象を持ってしまいます。演奏自体は悪くないんですが、楽器と曲の組み合わせは、少し無理があるように感じてしまいます。それだけ奇抜な組み合わせにチャレンジしているのはよくわかります。特にこの響きの美しい曲では、クラヴィコードの濁った響きが顔を出すところもあって惜しいところ。タッチの強さが音程に影響するクラヴィコードだけに、楽器に起因するのか、演奏の問題なのかはわかりません。演奏の質は高いものの、この曲の美しさを表現しきれていないようにも感じました。

Hob.XVII:1 Capriccio "Acht Sauschneider müssen sein" 「豚の去勢にゃ8人がかり」 [G] (1765)
最後はクラヴィコードで演奏したカプリッチョ。前のソナタではちょっと響きの濁りが気になったのですが、このカプリッチョでは不思議と気になりません。おそらくこの曲の曲想、音域、リズム、展開そのものにクラヴィコードの音色が合うのでしょう。実にしっくりとくる演奏で、クラヴィコードの不可思議な響きもこの曲のユーモラスさの演出に一役買っている感じ。この演奏でこのアルバムが締まりました。

このほか、XVI:20のソナタの自筆譜や初版譜に基づく1楽章の演奏が末尾に収められています。

山名敏之によるフォルテピアノ、クラヴィコード、ハープシコードでハイドンのクラヴィーア曲を弾き分けた好企画。このアルバム、フォルテピアノなどの楽器を演奏する方、研究者の方には論文や解説が大きな価値を持つものと映るでしょう。私にとっても、3つの楽器を弾き比べた音色とそこから浮かび上がる音楽の違いを楽しめるものとして実に興味深いアルバムです。演奏の出来については客観的に見るとフォルテピアノとハープシコードの演奏の面白さが逆に際立つもので、クラヴィコードの演奏では最後のカプリッチョでようやく合点がいきました。ということで評価は、フォルテピアノ、ハープシコードの演奏は[+++++]、クラヴィコードの演奏はカプリッチョが[+++++]、ソナタのXVI:52[++++]、XVI:20は[+++]としました。

にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

tag : ピアノソナタXVI:20 ピアノソナタXVI:52 豚の去勢にゃ8人がかり クラヴィコード 古楽器

プロフィール

Daisy


Author:Daisy

なぜかハイドン(Franz Joseph Haydn)が特に気に入り膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。東京在住のごく普通のサラリーマンです。

最新記事
カテゴリ
タグリスト
クリックするとそのタグに関する記事が表示されます。特定の曲に関する記事の表示ができます。

バッハすみだトリフォニーホールピアノソナタXVI:49ピアノソナタXVI:46ピアノソナタXVI:20ピアノソナタXVI:34サントリーホールラヴェルブーレーズ弦楽四重奏曲Op.74弦楽四重奏曲Op.71チマローザ変わらぬまこと無人島モーツァルトアルミーダ騎士オルランド哲学者の魂、またはオルフェオとエウリディーチェ英語カンツォネッタ集ピアノ協奏曲XVIII:1ピアノ協奏曲XVIII:11ピアノ協奏曲XVIII:3ピアノ協奏曲XVIII:4弦楽四重奏曲Op.20交響曲3番古楽器アレルヤ交響曲79番ラメンタチオーネチェロ協奏曲1番驚愕交響曲88番オックスフォード交響曲27番交響曲19番交響曲58番アンダンテと変奏曲XVII:6紀尾井ホールショスタコーヴィチベートーヴェンドビュッシーストラヴィンスキーピアノ三重奏曲ミューザ川崎協奏交響曲オーボエ協奏曲LP日の出ヴァイオリンとヴィオラのためのソナタピアノソナタXVI:50ピアノソナタXVI:40ピアノソナタXVI:32ピアノソナタXVI:38ピアノソナタXVI:29スタバト・マーテルピアノソナタXVI:48ピアノソナタXVI:37ピアノソナタXVI:39ブルックナーマーラー十字架上のキリストの最後の七つの言葉ヒストリカル交響曲90番告別交響曲97番奇跡交響曲99番交響曲18番弦楽四重奏曲Op.64ひばりフルート三重奏曲悲しみ交響曲102番交響曲86番ヴァイオリン協奏曲哲学者ニコライミサミサブレヴィス小オルガンミサ交響曲95番交響曲93番交響曲78番時計軍隊ピアノソナタXVI:23王妃ピアノソナタXVI:52SACD武満徹ライヴ録音チェロ協奏曲交響曲80番交響曲81番交響曲全集マリア・テレジア交響曲21番豚の去勢にゃ8人がかりクラヴィコードBlu-ray東京オペラシティ交響曲12番交響曲10番交響曲9番交響曲11番太鼓連打ロンドン交響曲4番交響曲15番交響曲2番交響曲1番交響曲37番弦楽四重奏曲Op.54ピアノソナタXVI:12ピアノソナタXVI:8ピアノソナタXVI:14ピアノソナタXVI:2ピアノソナタXVI:42ピアノソナタXVI:25ピアノソナタXVI:3ピアノソナタXVI:1ピアノソナタXVI:5ピアノソナタXVI:4天地創造ディヴェルティメントリヒャルト・シュトラウス東京芸術劇場交響曲98番ピアノソナタXVI:36ピアノソナタXVI:35ピアノソナタXVI:7ライヒャドニぜッティロッシーニ弦楽三重奏曲皇帝シェーンベルク東京文化会館フルート協奏曲ホルン協奏曲弦楽四重奏曲Op.2弦楽四重奏曲Op.9弦楽四重奏曲Op.17剃刀弦楽四重奏曲Op.77弦楽四重奏曲Op.103ピアノソナタXVI:31ピアノソナタXVI:26ファンタジアXVII:4モンテヴェルディアレグリバードタリスパレストリーナピアノソナタXVI:6美人奏者四季迂闊者交響曲70番ピアノ協奏曲XVIII:7アコーディオンバリトン三重奏曲スコットランド歌曲ガスマンヴェルナーシューベルト交響曲67番ピアノソナタXVI:24交響曲35番交響曲46番交響曲51番DVD交響曲47番テレジアミサピアノソナタXVI:28ピアノソナタXVI:21アリエッタと12の変奏XVII:3帝国ラ・ロクスラーヌハイドンのセレナード弦楽四重奏曲Op.76ピアノソナタXVI:51ラルゴ五度ピアノソナタXVI:44ラウドン将軍弦楽四重奏曲Op.1弦楽四重奏曲Op.33騎士交響曲17番ピアノソナタXVI:27シベリウス交響曲42番時の移ろいベルリンフィルホルン信号弦楽四重奏曲Op.55交響曲87番トランペット協奏曲リュートピアノソナタXVI:10ピアノ五重奏曲ピアノとヴァイオリンのための協奏曲XVIII:6チェチーリアミサラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン東京国際フォーラム雌鶏交響曲39番冗談ナクソスのアリアンナピアノ協奏曲XVIII:9ピアノ協奏曲XVIII:5ヴァイオリンソナタ交響曲52番ピアノ協奏曲XVIII:2ロンドン・トリオドイツ国歌モテットオフェトリウムカノン弦楽四重奏曲Op.50よみうり大手町ホールパッヘルベルアダージョXVII:9受難交響曲84番パリセットベルク主題と6つの変奏オペラアリアピアノソナタXVI:41スクエアピアノ交響曲57番交響曲68番リラ・オルガニザータ協奏曲リーム交響曲89番交響曲50番CD-R偽作トビアの帰還ホルン三重奏曲薬剤師オルガン協奏曲火事交響曲38番リベラ・メピアノ協奏曲XVIII:10交響曲77番交響曲34番温泉フルートソナタドイツ舞曲誕生日校長先生ピアノソナタXVI:11ピアノ小品ピアノソナタXVI:47bis音楽時計曲カートリッジ雅楽プロコフィエフヘンデルサン=サーンス交響曲36番リストオーディオバリトン二重奏曲交響曲75番交響曲66番交響曲91番長岡鉄男歌舞伎おすすめ盤ピアノソナタXVI:47第九読売日響オペラ歌舞伎座スケルツァンド弦楽四重奏曲op.33ザルツブルク音楽祭ピアノソナタXVI:22変奏曲XVII:7オペラ序曲天地創造ミサジャズネルソンミサ弦楽四重奏曲Op.42交響曲76番ピアノソナタXVI:43古楽器風東急文化村ノットゥルノヴェーベルンライヴ府中の森芸術劇場裏切られた誠実バリトン五重奏曲ハイドン入門者向け歌曲ピアノソナタXVI:G1ウィーンフィル月の世界交響曲72番建築ファリャ交響曲56番マリアテレジア2つのホルンのための協奏曲展覧会ピアノソナタXVI:19弦楽四重奏曲全集シャンゼリゼ劇場皇帝讃歌交響曲24番大オルガンミサ新橋演舞場交響曲5番テ・デウムサルヴェ・レジーナカッサシオン室内楽曲ピアノソナタXVI:45ベトナム料理国立新美術館高音質CD交響曲28番交響曲13番交響曲62番交響曲107番交響曲108番ジプシー・ロンドチェンバロ四重奏曲スカルラッティ声楽曲カンタータ戦時のミサ珍盤ザロモンセットN響ハルモニーミサミサ曲全集NHKホールハインリッヒミサピアノソナタ全集ジュピターレコードマーキュリー管弦楽曲室内楽変奏曲XVII:5交響曲54番交響曲41番ギターピアノソナタXVI:33府中ピアノソナタXVI:30カラヤンスウェーリンク書籍交響曲65番交響曲71番アプラウスピアノソナタXVI:13魂の歌仙台ヤナーチェク現代音楽狩りピアノソナタ

ハイドン所有盤リスト
Joseph Haydn Discography at H. R. A.
所有盤をジャンル別にリスト化しています。基本的に録音年順とし、録音年不明のものは末尾に記載。演奏者名はジャケットなどの表記に合わせています。

2017年7月のデータ(2017年7月31日)
登録曲数:1,361曲 登録演奏数:10,291
月別(表示数指定)
リンク
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

カウンター
カレンダー
08 | 2018/09 | 10
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
ブログ内検索
Translation(自動翻訳)
ブログランキング等
当Blogへお越しの際は、下のバナーをクリックの上お仲間のBlogも是非お楽しみください。
クラシック音楽鑑賞の情報満載。
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ

クラシックの膨大なブログランキング。更新もクイック。
人気ブログランキングへ

音楽家、音大生、音楽愛好家のブログランキング。
音楽ブログランキング

このブログの成分解析。キーワードによるブログランキング。
blogram投票ボタン

大家さんFC2のクラシックブログランキング。


おすすめ(音楽)
当ブログが発掘した超名演盤
ViventeR.jpg
衝撃の爆演(記事1 記事2

PetersenQ.jpg
Op.1の超名演(記事

Destrube.jpg
美音の饗宴(記事

書籍もCDも送料1点から無料。配送クイック


クラシックの独自企画・復刻盤は要注目


クラシックのアルバム・日本語解説が一番充実
HMVジャパン
HMV & BOOKS ONLINEでハイドンのアルバムを検索icon
HMV & BOOKS ONLINEでハイドン関係書籍・楽譜を検索 icon

おすすめ(音楽以外)





アクセスランキング(FC2)
[ジャンルランキング]
音楽
151位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
クラシック
13位
アクセスランキングを見る>>
twitter
ブログの更新情報などをつぶやいています。
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

RSSリンクの表示
Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ