ラースロー・ヘルタイ/アルゴ室内管のスタバト・マーテル(ハイドン)

先日聴いたSkunjpさんのコンサート以来、宗教音楽と合唱指揮が気になって、手持ちのアルバムをいろいろととっかえひっかえ聴いたり、未入手盤を手に入れたりしています。今日はそんな中ぐっと引き寄せられる演奏に出会いましたので取り上げましょう。

HeltaiStabatMarter.jpg
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ラースロー・ヘルタイ(László Heltay)指揮のロンドン室内合唱団(The London Chamber Choir)、アルゴ室内管弦楽団(Argo Chamber Orchestra)の演奏でハイドンのスタバト・マーテルを収めたアルバム。収録は1979年2月、ロンドン北部のハンプステッド(Hampstead)の聖ユダ・オン・ザ・ヒル教会(St Jude-on-the-Hill)でのセッション録音。レーベルは豪DECCAのELOQUENCE。

ラースロー・ヘルタイはイギリス合唱指揮界の大御所とのこと。手元にはこのアルバムの他、ドラティの天地創造に併録されている「サルヴェ・レジーナ」を振っているほか、そのドラティとは天地創造、四季、トビアの帰還でブライトン祝祭合唱団の合唱指揮を担当、またマリナーとの天地創造、四季ではアカデミー室内管と合唱団(Academy and Chorus of St Martin in the Fields)の合唱指揮を担当しているなどハイドンの録音でも重要なアルバムに登場しています。

いつものように略歴を調べてみると名前のつづりから想像されるとおり1930年、ハンガリーのブダペスト生まれの指揮者、合唱指揮者です。フランツ・リスト音楽院で指揮と作曲をコダーイらに学び、1957年渡英してオックスフォードのメットン大学(Metton Collage)に入りイギリスに帰化。1964年に今度はニュージーランドに渡り、ニュージーランド放送交響楽団の副指揮者とニュージーランド歌劇場の音楽監督となり、そこでブリテンの「アルバート・ヘリング」など多くの現代音楽の初演を指揮。イギリスに戻るとクレンペラーのアシスタントとなり、またフェニクス・オペラの指揮者としてブリテンの「ネジの回転」のフランス初演、同「ルクレツィア」のニューヨーク初演を果たします。また1967年にはブライトン音楽祭に招かれ、ブライトン・フェスティバル合唱団の創設に携わり、その音楽監督となった他、1975年にはアカデミー室内管弦楽団に付属する合唱団(Chorus of St. Martin-in-the-Fields)を創設し、1999年まで合唱指揮者を務めました。先に触れたハイドンの録音での合唱指揮はいづれもその合唱団の創設者だったからということになりますね。こうした活動から1985年から99年まで王立合唱協会(Royal Choral Society)の音楽監督を務めました。ブライトンフェスティバル合唱団とはカール・リヒター、イストヴァン・ケルテス、アンタル・ドラティなどの多くの録音で合唱指揮を執っているとのこと。近年はバルセロナに住んでスペインで合唱指揮などの指導をしていましたが、現在はブダペストに戻り、まだご存命とのこと。

このアルバム、虚心坦懐なヘルタイのコントロールでオケとコーラスの柔らかな響きが、敬虔な演奏とともにさらに透明に昇華していくような至福の演奏です。ハイドンが自身で大病を患ったあとに神への感謝を込めて書いた名曲がその心情そのままに蘇ります。歌手は下記のとおり。

ソプラノ:アーリーン・オジェー(Arleen Augér)
コントラルト:アルフレーダ・ホジソン(Alfreda Hodgison)
テノール:アンソニー・ロルフ・ジョンソン(Anthony Rolfe Johnson)
バス:グウィン・ハウエル(Gwynne Howell)

Hob.XXbis "Stabat Mater" 「スタバト・マーテル」 [g] (1767)
録音は時代なりですが、流石DECCAという分厚いながらもしなやかな響きが楽しめます。教会での録音らしく残響も多めですが、音が溶け合って見事な録音。冒頭からオケは完全にリラックスしてゆったりと広い教会堂に広がる残響を楽しむがごとき演奏。

第1曲「悲しみに沈める御母は涙にむせびて」
テノールのアンソニー・ロルフ・ジョンソンの芯のしっかりとした声がクッキリとメロディーを進め、オケとコーラスはそのまわりに広がります。コーラスは驚くべき透明感。滑らかに起伏を変化させしなやかな波に包まれるような至福の瞬間。いきなり敬虔な祈りの感情に包まれます。ハイドンのすぐれた演奏に共通する作意のない謙虚なコントロールによる自然な表情が心を打ちます。

第2曲「天主の御ひとり子の尊き御母は」
ハイドンのスタバト・マーテルは13曲構成。第2曲はコントラルトのアルフレーダ・ホジソンのソロ。オケの序奏から癒しに満ちたメロディーが沁みます。ホジゾンはヴィブラートがよくかかったふくよかな響き。高音の艶やかさが印象的。オケはこれ以上リラックスできないほどに力が抜けて、しっとりと美しいメロディーを奏でていきます。この至福感、演奏ではなく祈りの感情に素直に従ったコントロールなのでしょう。

第3曲「キリストの御母のかく悩み給えるを見て」
ソロはなくオケとコーラスのみの進行。よく聴くとやはりコーラスのしなやかさが絶品。各パートが次々にメロディーを歌っていきますが完璧な響きの重なりに鳥肌がたちます。

第4曲「尊き御母の御子とともにかく苦しみ給えるを見て」
ここにきてようやくお気に入りのオジェー登場。しばらくゼーフリートに浮気してましたが、やはりオジェーもいいですね(笑)。清流のようなしなやかなオケの伴奏に乗って、オジェーの爽やかな美声が控えめに教会堂に響きわたります。オジェーとオケのあまりの美しい響に絶句です!

第5曲「聖母はイエズスが人々の罪のため責めらむち打たるるを見給えり」
バスのソロ。グウィン・ハウエルは個性的な声。バスにしては異例に音程と歌詞がクッキリとして、響きが引き締まります。オケも音階のキレをきりりとエッジを効かせて応じます。

第6「聖母はまた最愛の御子が御死苦のうちに棄てられ生き絶え給うを眺め給えり」
スタバトマーテルの中でも一際美しい短調のメロディーが聴かれる第6曲。テノールソロのロルフ・ジョンソンが切々と歌うメロディーを、オケが深い響きで支えます。こうした曲でじっくりと沈みこむことで曲の深みが増すわけです。ヘルタイも実に深い呼吸で応じます。

第7曲「慈しみの泉なる聖母よ」
怒涛のコーラスが押し寄せます。実演で聴いたら素晴らしい迫力なんでしょう。迫力ばかりでなく響きが消え入るところまで完璧にコントロールされています。

第8曲「ああ聖母よ、十字架に釘づけにせられ給える御子の傷を」
ソプラノとテノールのデュエット。いきなりオジェーの美声に癒されます。きっちりしたロルフ・ジョンソンと抜けるようなオジェーの美声との掛け合いですが、徐々に両者とも表現の幅が広がり、お互いに刺激しあってのデュエット。それをヘルタイも表現力豊かなサポートで盛りたてます。この曲一番のクライマックスでしょう。

第9曲「命のあらん限り御身とともに熱き涙を流し」
そして続く第9曲はコントラルトの静かな曲。どの曲にもヘルタイが仕込んだ敬虔な祈りと癒しが満ちていて、それに合わせて歌手が華を添えている感じ。伴奏の表現力の重要さを思い知ります。このへんの表現力はヘルタイならではなのでしょうね。

第10曲「処女のうちいともすぐれたる処女」
4人のクァルテットとコーラス。管楽器はイングリッシュホルンだけという単純な構成ながら絃楽器にイングリッシュホルンがところどころで響きに変化を与えています。オケよりもコーラスの分厚い響きが素晴らしい迫力で押し寄せる合間にソロがメロディーを置いていく感じ。シュトルム・ウント・ドラング期特有の仄暗い雰囲気が音楽を深くしています。

第11曲「聖なる処女よ、われの地獄の火にやかれざらんため」
スタバト・マーテルでは珍しい速いテンポの曲。バス独唱。オケのしなやかなクレッシェンドに乗ってハウエルがキレのいい歌を聴かせます。

第12曲「キリストの死によりてわれを守らしめ給え」
テノールのロルフ・ジョンソンのソロが気品溢れるソロを披露。大詰めにきて、徐々に癒しが満ち溢れてきます。

第13曲a「肉体は死して朽つるとも」 第13曲b「天国の栄福をこうむらしめ給え」
最後の曲。コーラスのしっとりとした響きがつくる大波が過ぎるとコーラスによる圧倒的なフーガになり、ソプラノ、コントラルト、最後はテノールとバスも加わりクライマックスへ。終曲らしく引き締まって最後はアーメンで終わります。

中野博詞さんの「ハイドン復活」には、このスタバト・マーテルによって声楽作曲家としてのハイドンの名がヨーロッパ中に轟くこととなった経緯が詳しく触れられてます。ハイドンの声楽曲といえば天地創造などのオラトリオにミサ曲といったところが有名ですが、このスタバト・マーテルも非常に重要な作品であり、天地創造などに劣らぬ素晴らしい作品だと思います。地味な曲ゆえいまひとつ録音数は多くありませんが、聴いていただけれればその素晴らしさはおわかりになると思います。このラースロー・ヘルタイ盤は、コーラスの素晴らしさはもとより、宗教音楽とは祈りの感情にもとづいた音楽であることをあらためて認識させてくれる素晴らしい演奏でした。一貫して敬虔な心境と癒しに包まれ、それでいて音楽に生命感が宿り、アーティスティックでもある稀有な演奏といっていいでしょう。
未聴の方は手にはいるうちにどうぞ! 評価はもちろん[+++++]とします。

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tag : スタバト・マーテル

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愛の極致

Daisyさん、こんにちは。
ハイドンのスターバト・マーテル、最高ですね!
まだラースロー・ヘルタイ盤は届いていませんが、図書館で借りたピノック盤を昨夜、聴きました。

いつかはキチンと聴かなければと思っていたこの曲です。まずは心身共に受け入れ態勢を整えるためマリアに関する信仰的な曲を聴きました。

まずはクリスバル・デ・モラレスのマニフィカト(ブルーノ・ターナー盤)。スペインル・ネッサンスはまだビクトリアほどの深淵爛熟は究めていませんが、でもほの暗い空間にモラレスが放つ凛とした底知れない信仰の深さはいったい何なのでしょう。(つい口調がDaisyさん風に…)

次に個人的にお気に入りのヴィヴァルディ作曲、スターバト・マーテル。実は私は一年半ほど知られざるヴィヴァルディを探訪し、多くの名作を知る機会を得ました。といってもヴィヴァルディの同曲は有名な曲なのですが…。これはマリアの深い悲しみを歌うより、ピエタ慈善院の夜の中庭でひっそりと歌われる恋の歌のようです。昇華された官能と言いましょうか。演奏は、今はなきHARMONIC RECORDSの至宝ともいうべきレーヌ盤。バロック的ゼクエンツの魅力に胸がキュンとなります。

かくして、ハイドンのスターバト・マーテルを味わう最上のコンディションが整いました。そっとピノック盤をトレイに乗せてスタート…。やがて流れ出てきた音楽に私は唖然となりました。

ヴィヴァルディに比べて何と絢爛豪華に広がる豊穣な音楽世界!いや…絢爛豪華とは言葉がきつい。つまり厚みと深さが全然違うのです。これがハイドンの実力…心から感動しました。
でもあまりの音楽的充実に体力が伴わず、2曲目を聴いた段階でCDを止めました。…スターバト・マーテル、まだ全貌は知りませんが、これはハイドンの信仰的な曲の白眉ではないでしょうか?
こんな大音楽、イッキに聴くのはもったいない。…続きは明日。

そして考えたこと…。
それはマリアの悲痛の深さです。

イエスが神の御子であることは知っていました。そうでなければ産まなかったでしょう。当時のユダヤ社会において父無し子を出産することは、すなわち石打ちの刑を意味しましたので。
しかし信仰により産み育てた我が子が次第に神性を現し、自分の手の届かぬ偉大な存在に変貌していきます。でもその一方、母としては可愛い我が子であったことに変わりはありません。
そのイエスが十字架上で血を流し、死の苦しみを味わっているのです。マリアの胸は張り裂けんばかりだったでしょう。ところが、そこで驚くべき言葉が発せられます。マリアの行く末を配慮して弟子の一人に仰った次の言葉です。

「そこに、あなたの母がいます」(ヨハネ伝19:27)

今まさに極限の苦しみの中で死のうとしている人間が、普通こんなこと言うでしょうか?
絶対に人間に言える言葉ではありません。
何という愛の極致…。

Re: 愛の極致

Skunjpさん、コメントがだんだん深くなって来ました(^_^)

>受け入れ態勢を整えるためマリアに関する信仰的な曲を聴きました。

修行が足らずまだそういった発想というか、心情を持つに至っていません(笑)
私の場合、まずは演奏者の背景を知ることがその演奏を聴く「受け入れ態勢」ということなのでしょう。どこで生まれ、どこで学び、誰に師事してどう活躍してきたのか。なんとなく奏者の人となりを知ることで、その人の音楽に対する理解も進むような気がします。以前取り上げたパウル・クレツキやゲオルク・ティントナーなど苦難の人生を乗り越えてきた人にはそれなりの魂のようなものを感じます。そういったことに興味を持つに至ったのが、かなり初期に取り上げたピアッツィーニのピアノソナタ全集の演奏が、レイグラフの演奏に似ていると感じて調べてみたところ、まさにそのレイグラフに師事していたことがわかったという件があったからです。それ以来、なんとなく演奏を取り上げる際には、できるだけ奏者の背景を調べるようにしています。

さて、スタバトマーテル(なぜか私のiPhoneはスタバとマーテルと変換)の素晴らしさを早速に察知されたとのことで、名演を存分にお楽しみ下さい!

No title

スタバで待ってる

まあ、冗談はともかく…(笑)

全体として素晴らしく、心打たれる曲も多いのですが、十字架を歌うにはあまりに脳天気な5曲目にかなり引きました。

これはピノックの解釈の限界…?

というわけで、ラースロー・ヘルタイが待たれます。


※Daisyさんがお書きになる演奏者の背景はすごく助かってますよ。

No title

あまりの感動に60数分、魂が吸い込まれるように聴きました。

ピノック盤とは違う曲を聴いているのかと思うほどです。例の5曲目も全く問題なし。むしろ素晴らしいくらいです。

そして9曲目に私は十字架を見ました。厳粛にしかも温かい余韻を残してつま弾かれるコントラバスのピチカート。そこにイエス・キリストの血のしたたりを覚えました。私達の一切の罪を赦すための…。

このヘルタイという人は、たぶん信仰者ではないかと思います。音楽を自分に奉仕させるという大方の行き方ではなく、完全に音楽に自分を捧げ尽くしています。その先には確かに神が見えているのではないでしょうか。

そうとしか思えないような、これは独特の音楽です。音がどこまでもいぶし銀のように渋く柔和に光っています。音楽はどこまでも深く大きく呼吸しています。呼応するように、歌手達も自己顕示から解放されて音楽に奉仕しています。

お書きになっておられる通り、これは全く祈りの音楽ですね。演奏行為と言うより祈りです。本当に素晴らしい!

しかし、この特別な演奏の真価を見いだし、それをこれ以上はない的確な筆で表現されるDaisyさんには今回心から感服しました。これが「わかる」なんて、神様から愛されている人です。

ハイドン・クラークの49番でも感じたことですが、良い演奏は川の流れのようです。ある時はほとばしり、ある時はたゆたう水のその一滴に至るまで、地形と重力という神様の摂理に従い、これ以外にはないほどの自然さをもって滔々と流れ下ります。優れた演奏も全くその通りです。どこにも人工的な不自然さがありません。ヘルタイのスターバト・マーテルも同様の音楽でした。

そして、このブログの読者の幸せを感じます。散財し試行錯誤してDaisyさんが摘み取られたハイドンの最上の果実を、私達は労することなく手に入れることができるからです。Daisyさん、本当に有り難うございます。

Re: No title

Skunjpさん、これ以上の悦びはありません。

> あまりの感動に60数分、魂が吸い込まれるように聴きました。

先日のコンサート以来、宗教音楽に対する聴き方というか、私の心情が変わり、このヘルタイ盤の素晴らしさがわかるようになったというのが正直なところでしょう。ピノックの演奏が悪いわけではありませんが、ピノックの演奏は音楽をうまく演奏するというレベルなのに対し、ヘルタイの演奏は音楽に自分を捧げていると思わせる深みと静かな凄みを感じるわけです。そして「良い演奏は川の流れのようです」とはまさにその通り。作為は微塵もなく、音楽のあるままに演奏しているのがよくわかります。このあるままに演奏するというのが本当は一番難しいのではないかと思います。演奏からは澄み切った限りなく透明に近い演奏者の心情がにじみ出てくるようです。

私自身、正直宗教にたいする信仰心のようなものにたどり着いたわけではありませんが、どこかで人の役に立つということが拠り所でブログを書いています。本当は実に素晴らしいのに日本では評価がいまひとつなハイドンの良さを一人でも多くの人に伝えるというミッションは一貫して持ち続けていきたいと思います。

これだけのコメントをいただけることに悦ぶ一方、責任も重大ですので、一層精進しなくてはなりませんね。なかなかコメントの返事が追いつかなくて申し訳ありません。レビューも曇りない心情で一枚一枚向かい合わなくてはなりませんね。今後ともよろしくお願い致します。
プロフィール

Daisy


Author:Daisy

なぜかハイドン(Franz Joseph Haydn)が特に気に入り膨大な録音をコツコツ集めてレビューしております。好きなものはお酒全般(ワイン、日本酒、モルトなど)、美味しいものを食べること、料理、鄙びた温泉めぐり、歌舞伎見物、スポーツクラブで泳ぐこと(美味しいお酒を呑むため!)などなど。東京在住のごく普通のサラリーマンです。

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